第30話

春の宴の準備は着々と進んでいった。


ケイトの私室に訪れるたびに、レナードは細々とした相談をしていく。

一つ一つを共に考えたり、案を出したり、議論したりしながら、ケイトは春の宴に携わっていた。


そしてそれに伴い、レナードはケイトに、皇国の貴族たちを教え込んでいった。

いつか役に立つこともあるだろうから、とレナードは笑っていたが、ケイトは戸惑った。

レナードが目的もなく、曖昧な理由で行動するとは思えなかった。


ケイトはレナードの側室だ。

いくら第一の側妃とはいえ、この国で、正妃でもない妃が表に出ることはありえない。

しかも、男が。


それなのに、まるでレナードは、ケイトが表舞台に立つときの準備をするかのように、知識を埋め込んでいた。

皇国の要人、人間関係、力関係、各領地の収入、地理、特産物、……挙げればきりがない。

もしケイトが帝国に再度飼われることになったら、致命的ともいえるような、弱点まで。

ケイトにはレナードの意図が分からなかった。

無条件に与えられる信頼は、いっそ恐怖ですらあった。


「レナード様、そのようなお話を、私に聞かせてもよろしかったのでしょうか」


時折耐えかねて、不安もあらわに苦言を呈すれば、たいていレナードはさもおかしそうに、快活に笑う。


「平気だ。お前は、裏切らないだろう?」

「……なぜ、そう言い切れるのです?」


理解のできない言葉に問いを重ねれば、レナードは肩をすくめて言う。


「直感だ」


そして、納得しかねると眉を顰めるケイトに、レナードは苦笑して片目を瞑ってみせる


「俺の勘は、外れたことがないから、大丈夫だ。安心しろ」


立場が反転しているような言葉に、ケイトはいつも脱力してため息をつく。

軽やかな言葉の応酬は心地よく、とても距離が近い気がして、こそばゆくもあった。


「本当に、おかしな方ですね。……まぁ、分かりました。こちらはお任せください」

「あぁ、頼んだぞ」


敢えて呆れた顔をして、片方の口角を上げながら肩をすくめて、レナードの頼み事へ諾と答える。

そして静かに、ケイトは喜びを噛みしめた。


レナードが今後、ケイトに何かをさせようとしていることは分かったが、何をさせようとしているのかは分からなかった。

けれど、ケイトはそれが何であれ、レナードの期待に応えたいと願い、自らも学ぶことを望んだ。

ケイトはアンにも助けられながら、皇国の貴族名鑑を片手に彼らの知識と繋がりを把握し、皇国の地理と軍事、財政を把握していった。

レナードは無駄なことはしない。

であるならば、本当にいつか役に立つ日が来るのかもしれない。

その時に、自分が役に立てるのならば立ちたいと、強く願った。

自分のためではなく、自分の主のために、何かしたいと願ったのは初めてだったかもしれなかった。


訪れるのはレナードばかりの日々の中、ケイトはこれまでの人生でない穏やかな時を過ごしていた。

一時、ケイトの心を波立たせていたエリックとバートンは、妙な言葉を残してケイトの前を去ってから、不気味なほどに静かだった。

何か企んでいるのかとも怪しんだが、その様子もない。

さりげなくレナードに話を振っても、特に気になる情報は流れてこなかった。

二人がレナードに、ケイトを警戒するよう促している様子もなく、ただ奇妙なほどに、以前通りの日々が戻ってきていた。

野生の勘ともいうべき感覚で、ざらりとした微かな違和感を抱きながらも、ケイトは与えられる緩やかな日常を享受していた。

いつ終わるとも知れない安寧に、わずかばかりの不安と恐怖を抱きながらも、幸せと表現しても良いほどの、満ち足りた時を。




「ケイト様、明日でございますね」


楽し気なアンの言葉に、ケイトも零れるような笑みを返す。

春の宴は、翌日に迫っていた。


「ええ、楽しみですね。成功すると良いのですけれど」

「もちろん大成功いたしますわ。これほどケイト様が心を砕かれ、奔走されたのですもの。殿下には、うまくやって頂けないと、困ります」

「くく、殿下に手厳しいこと」

「ケイト様が甘くていらっしゃるから、つり合いを取っているのですわ。最後の頃は、ケイト様に広間の飾りつけの素案もテーブルの配置も何もかも、丸投げにも近かったではありませんか。まったく、ケイト様は怒ってもいいのでございますよ?」

「私にできることはそれくらいですから、構いませんよ」


笑いながらアンと冗談まじりの言葉を交わし合い、ケイトは達成感と満足感の中で明日に思いを馳せいていた。

帝国の後宮で磨かれたケイトの美意識とセンスが遺憾なく発揮された宴は、レナードの言葉を借りれば、かつてないほど美しく洒落たものになるはずだった。

来年の宴が早くも思いやられるほどに。


「ふふっ、楽しみ」


ケイトは久々にゆったりと紅茶を飲みながら微笑んでいた。

明日の成功を、愚かなほどに確信して。

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