第29話 春の宴にて

「ちょっと意見を聞きたいんだが」

「へ?れ、レナード様!」


優雅な午後のお茶の最中、唐突にドアが開いたと思ったら部屋に現れたレナードに、ケイトは慌てて立ち上がった。

脇に大量の書類を抱えて入ってきたレナードは、構うことなく室内のテーブルに書類を広げた。


「悪いがこれを見てくれ」

「構いませんが、……はぁ。相変わらず、急なお出でで……ご連絡くだされば準備も出来ますのに」


慌てて皇子のもてなしのために動き始める侍女たちを見て、ケイトが苦笑交じりにやんわりと苦言を呈すれば、レナードは鷹揚に笑って要らぬ要らぬ、と片手を振った。


「なに、もてなしなど不要だ。気にするな」

「レナード様はお気にされずとも、我々はするのです」

「ははっ、それは悪かった。それよりお前は、どれがいいいと思う?」

「え?これは……」


説明もなく右上に準機密文書の印が打たれた紙を机上に並べたレナードは気負いなく、けれどどこか困った顔でケイトの様子を窺っていた。

状況を理解できないケイトが首を傾げ、説明を求めてレナードを仰ぎ見ると、レナードは苦笑して小さくため息をついた。


「春の宴の目玉を何にするか悩んでいてな」

「目玉?」


レナードの言葉を繰り返し、ケイトはパチパチと瞬きをした。まだ理解は出来ていなかった。


「あぁ、毎年、曲芸やら剣舞やら、色々招いているのだが、そろそろ飽きたということでな。ひとまずは例年通り、伝統を踏襲するつもりだったのだが、なにか面白い目玉はないかと陛下に言われてな。企画書を書いていたんだが、あまり浮かばなくてな」

「え?レナード様が、ご自分で?」

「あぁ、陛下は私に案はないかと仰ったからな。あまり人の手を借りるのも、きまりが悪い」


子供じみた表情で唇を尖らせているレナードに、ケイトはあからさまに呆れた顔をした。


「はぁ、なるほど」

「……お前、なんだか呆れていないか」

「いえ、別に。ただ、レナード様がいつもご多忙な理由の一端を理解したような気がしただけにございます」


僅かに含み笑いながら肩をすくめれば、レナードは面白くなさそうな顔で半眼になる。


「……悪かったな、強情で」

「ふふ、悪くはございませんけれど。……それで、私は何をすれば?」


不貞腐れた、けれどどこか恥ずかし気なレナードに慈しむような眼差しを向け、ケイトは書類を手に取った。


「ん?あぁ、ちょっと見て、意見を言ってくれないか?」

「おや、私の手を借りることは、よろしいのですか?」


揶揄うように尋ねれば、レナードは一瞬言葉に詰まってから、言い訳するように口を開いた。


「……だから、丸投げしてるんじゃなくて、相談したいと言っているんだ。他の奴らだと、何か案を出せと、命じているようになるじゃないか」

「ふふ、私にとて、命じて下さっても、構いませんのに」

「お前は俺の家臣じゃないからな」

「……おやおや」


あっさりと告げられる言葉が心地良く、こそばゆい。

頬に浮かぶ笑みは苦笑というにはあまりにも甘かった。

いとも簡単に絆される自身の心境に、アンの心配ももっともかも知れないと、ケイトは小さく苦笑した。


「どれも悪くはないと思うんだが、曲芸師を呼ぶのも、歌い手や楽師を呼ぶのも、ありきたりで、面白くないんだ」


弱り切ったように腕を組んで呻くレナードに、ケイトはすべての企画書にザっと目を通した後で尋ねた。


「奇術師は?」

「奇術師?魔術を使う者のことか?」

「いえ、仕掛けのある魔術、と申しますか、花を出したり、未来を当てたり、物を消したり……まぁ、確かに帝国でもあまりお目にかかったことがありませんし、数は少ないでしょうね」


ペラペラと紙を繰りながら呟くケイトの発言に、レナードは興味をひかれたように目を見開いた。


「ほぉ、お前は出来るのか?」

「簡単なものなら。けれど、小規模なものでは、皆では楽しめませんからねぇ」

「……お前は本当に、引き出しの多い人間だな」


あっさりと告げたケイトに呆れ交じりの感嘆を表したレナードに、ケイトはくすくすと笑う。


「世の中何が役に立つか分かりませんからね。……あぁ、そうだ。幾つかを組み合わせて、そして皆様に参加して頂ければ良いかもしれませんね」

「参加?」


妙に稚い仕草できょとんと首を傾げるレナードに、ケイトは笑いかける。


「はい。手の中から花を出す、簡単な奇術がございます。踊り子や曲芸を組み合わせて、あぁ、そうだ……この国には、祝い事の際に玉を割るようなことは致しますか」

「は?玉、か?聞いたことがないが」

「そうですか、でしたら、尚更よろしゅうございますね」


レナードの言葉にケイトはにっこりと笑い、ペンをとるとサラサラと紙に図を描いた。


「帝国でも一般的ではございませんでしたし、東方の習慣らしいのですが、大きな球の中に、色紙の欠片やら幕やらを仕込み、紐を引いてその球が割れると紙吹雪が周囲へ舞い、垂れ幕が落ちてくるような、そういう仕掛けがありまして。……後宮では宴や祭りの際は、その球から高価な造花やら宝石やら手巾やら、落ちてくるものを皆で歓声をあげながら手に取ったものです」

「……それは、予算がかかり過ぎるな」


もはや懐かしいとも言える過去を思い返しながら告げれば、レナードは真面目な顔で思案し、意見を述べた。


「ええ、宝飾品など、落とす必要はございません。万一にも当たれば痛うございますし。集まった若い娘たちに、もしくは踊りの中で踊り子にでも、紐を引かせればよろしゅうございましょう。生花や、袋に入った菓子など、他愛ないものでも、きっと楽しいことでしょう。重いものは、小さな紙か布の傘をつけて、落下の速度は緩めた方がよろしいでしょうね」

「ほぉ」


感心したような呟きを漏らし、レナードは真剣にケイトの描く図や書き込みを注視している。


「花瓶には菓子や砂糖で作った花をいけ、天から降ってくるのは生花。そのような趣向も楽しいかと」

「なるほど、そして花瓶から摘み取って食べるのか。風変りで楽しそうだな」

「ええ。あとは、そうですね」


にっこりと笑って、ケイトはもう一つ絵を描いた。


「小さな噴水や池のようなものを室内に作り、そこに酒を湛えるという手もございます。それならば、男性にもお喜び頂けるのでは?」

「はぁ、なるほどなぁ」


感嘆の吐息を漏らすと、レナードはいっそ呆れたように、脱力した声で笑った。


「さすが帝国の後宮に居ただけあるな。こんな、贅を凝らした趣向は、北の人間には思いもつかん」


茶化しているわけでもなく、心底感心している様子のレナードに、ケイトは少々居た堪れない思いで首をすくめる。

贅沢の限りを尽くしたスルタンの後宮で、もっとも贅沢な場所の一つに自分が存在していたのだという自覚はあった。


「おや、使うのは生花と花びらですし、もともとレナード様が考えていらした案とそう大して予算は変わらないかと思いますけれど……」

「いや、そこではない。なんというか、発想が、違う。さすが富の中心にして文化の交流地、……流石だな」


言い訳のように早口に告げれば、けれどレナードは特に気にした様子もなく単純な賞賛を口にした。


「よし、それでいこう。当日までのお楽しみということになっているから、なるべく人には教えないでくれ」


にやり、と笑って立ち上がったレナードは、手早く机上の書類をひとまとめにしている。

その書類に打たれた準機密文書の印を眺めて、ケイトはくすりと笑った。


「ええ、承知の上でございます。ところで、こちらは私のところへは、持ってきて良かったのですか?秘密の計画のようですけれども」


揶揄うように尋ねれば、レナードは「あー」と少し困ったような声をだし、そして降参するとでも言いたげに両手を上げた。


「まぁ、いいさ。だってお前は口外しないだろう?」

「……えぇ、それはまぁ、もちろん」


言う相手もございませんし、と口の中でもごもごと呟いて、ケイトはしれっと顔を背けた。

顔に血が集まっている気がして、なかなかレナードの方を向き直れない。


「あと、まぁ、陛下には、お前に助けてもらったと言っておく」

「そこではありませんけれども……気になさいますな、私はレナード様のモノでございますれば、私の知識も知恵も思考も、レナード様ご自身のお力のうちでございます」


少しばかり決まり悪そうに呟くレナードに、ケイトはやっと余裕を取り戻し、クスクスと柔らかい微笑みを向けた。

するとレナードは快活に笑い、そして呆れたように肩をすくめる。


「はは、この国には奴隷制度はないと言うのに、いつもお前はそれを言うなぁ」

「まぁ、そういう意味ではないのですけれど……ふふ、ご信頼頂けて嬉しゅうございます」


ただあなたの力になりたいのだ、とは言えず。

ケイトはひっそりと、与えられた信頼に、喜びを噛みしめていた。

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