第27話
「殿下にとって、有益なお方であるのであれば、私は何も申し上げることはございません。どうかあのお方を、よくお支え下さいますよう、お願い申し上げる次第にございます」
「エリック、お前……」
「おや、……エリック様は、急に、仰ることが反対になりましたね」
突然殊勝な態度で頭を下げてみせたエリックに、バートンは非難するような眼差しを向ける。
エリックの豹変を、ケイトは警戒して目を細め、表情を読ませぬために扇で口元を隠した。
「さっきまで、レナード様から私を引き離すことこそ正しいと、そうお考えだったように思いましたが」
「ええ、先刻までは。けれど……考えを変えさせて頂きました」
飄々と恥ずかしげもなく意見の変更を宣言するエリックに何の考えがあるのかと、ケイトは神経を張り詰め、思考を巡らせる。
ケイトから、何を誘い出そうとしているのかを見極めるために。
「それは何故か、お伺いしても?」
「さぁ?単なる勘、とでも申しましょうか……」
勿体ぶった言い振りで言葉を濁し、エリックは優雅な仕草で紅茶を手に取った。
わざとらしいほどにゆっくりと嚥下するエリックを見据えながら、ケイトは抑揚のない声で言葉を返した。
「とてもではありませんが、あなた様は、勘、などというもので動かれる方には、お見受けしませんけれど」
「おや、嬉しいお言葉でございますね」
ケイトとエリックの舌戦を、バートンはどこか訝しげにしながらも、言葉を発することなく見守っていた。
テーブルを挟んで対峙する三人の空気は張り詰めている。
「それとも、ケイト様は、私達に疑われていた方が、ご都合がよろしいので?」
言葉遊びを楽しもうとでも言うように唇を薄く開き、エリックは余裕を見せる。
その言葉を、ケイトは馬鹿馬鹿しいと切って捨てた。
「それは勿論、疑われているよりも、信用されていた方が気分は良いでしょうが、とても本心から信用をして頂けたようには思えませんので。むしろ気味が悪うございます」
「ふふ、ご正直でいらっしゃる。……なに、大したことではございません。私は」
動揺だけは見せまいとケイトが意図して淡々と答えれば、急に余裕を持ち始めたエリックは、ますます笑みを深めた。
「殿下のご判断を尊重することにした、それだけでございます」
「……レナード様の?」
歌うように告げられたエリックの言葉は、何故かケイトの中の不安を煽った。
「我が君は、決して誤ることをせぬお方。あのお方の選ぶ道は、常に正しい。それを思い出しただけでございます」
ケイトの知らない何事かを知っている、そう思い知らせるかのようにエリックの言葉は自信に満ちて発せられた。
盲目的で、いっそ狂信的とも言えるような言葉に、ケイトは思わず眉を顰めた。
「……それは、随分と」
とても頷けるような内容ではないと苦々しく感じながら、ケイトは極力感情を込めないように心がけ、異を唱えるために口を開く。
「随分と、危ういお考えのようにも、感じますけれど」
「ほお、どこが?」
揶揄するように首を傾げるエリックに、ケイトは軽い蔑みを込めた視線を送った。
「あなた方は、たとえ己の身に代えても、主人に意見できる稀なるお方だと、私は感じておりましたが」
期待はずれと言うことでしたでしょうか、と続く言葉を飲み込んで口角を上げれば、エリックは愉快そうに肩を竦めた。
「おや、随分と我らを買ってくださっているようで。……ええ、もちろん。あの方が『誤った』道を選ばれたのならば、命を懸けて止めてみせましょう。けれど、どうやら今は、その時ではないようです」
勝利を確信した大将のような顔で、エリックはケイトを何の躊躇いもなく直視した。
「あなたが殿下の近くに『正しい方法で』仕え、お力を尽くして下さるのならば、あの方にとって、不利益なものは、何もない」
「……正しい?」
どこか鼓膜を歪に震わせた言葉を、ケイトはゆっくりと繰り返す。
その様子を見ながら、エリックは表情を変えることなく、一つ頷いて言葉を重ねた。
「ええ、その通り。……問題はございません。殿下のお考えの通りであれば、誰も皆、道を誤ることはございませんでしょう」
何かを暗示しようとするかのように、エリックがふわりと視線を揺らめかす。
その視線を冷静に追いながら続き促せば、曖昧な意図を含ませた声が、ケイトの耳をざらつかせた。
「誰も、皆?そこには、私も、あなた様も含まれているのでございますか」
「ええ、もちろん」
何かを確信したような顔で、意味ありげに微笑むエリックに、ケイトは乾ききった口を宥め、密かにごくりと唾を飲んだ。
意を探るように目を細めたケイトが口を開こうとした、その時。
バタン
「お、仲良くやっているようだな」
「っ、殿下、お帰りなさいませ」
躊躇いなく開いた扉から、まったく気負いなく現れたレナードは、片眉を上げて面白そうに口にした。
慌てて立ち上がり礼をとった室内の面々を眺め、そしてレナードは最後にエリックに目を留めた。
「仲良く、なったか?」
「まぁ、それなりに」
「ふふ、それは良かった」
エリックが薄い笑みを浮かべて肩をすくめると、レナードは目を僅かに細めて満足げに頷く。
二人を見比べながらケイトは、どこかざらつくような、違和感を覚えた。
「……レナード様?」
「ん?どうした?」
名を呼びかければ、いつもと同じ顔のレナードが、きょとんと振り返る。
その顔をじっと見つめ、ケイトは小さく頭を振った。
「っ、いえ、なんでも」
「……っふふ」
言葉を飲み込んだケイトに気が付いたのか、エリックが小さく笑う。
それをそっと睨みつけ、ケイトはそっと深い息をした。
「レナード様、お茶のご用意は、いたしましょうか」
「あぁ、一服したいところだが、あいにく決済待ちの書類が山のようにあるんだ。また明日来る」
にこっと笑って、どこか楽しそうに言うレナードに、ケイトはまた一つ声を飲み込んで頭を下げた。
「承知いたしました。……お待ちしております」
はぁ、とケイトの唇から細く長い吐息が漏れた。
ほんの半刻にも満たない時間だったはずなのに、 疲労感が強かった。
レナードが二人を連れて去った後、ケイトは強い倦怠感に襲われ、ソファにぐったりと凭れていた。
帝国ではこの程度の駆け引きは日常茶飯事だったはずなのに、この国の妙に穏やかな暮らしの中で、ぬるま湯に浸っているうちに、免疫が落ちてしまったらしい。
そう考えて、ケイトはゆっくりとソファに腰掛け直した。
ローテーブルの上に置かれた紅茶のカップを手に取り、すぅと湯気を吸い込む。
アンが注ぎ直してくれた紅茶の香を味わいながら、ケイトはもう一度ため息をついた。
地位のある高貴な人間は皆、『裏』を持つ。
ただの善意や好意、裏のない言葉など、あるはずがないのだ。
ケイトはうっかり、そのことを忘れかけていたけれど。
平和ボケしてしまったらしい自分の間抜けぶりをケイトが密かに笑っていると、コトン、と静かに机に皿を置く音がした。
「あぁ、ありがとう、アン」
焼き菓子の載った皿をケイトの目の前に置いたアンを、ケイトは疲れを綺麗に隠して見上げた。
にっこりと笑って礼を言うと、アンはどこか思いつめた顔でケイトを見つめている。
「アン、どうしました?」
「……ケイト様」
安心させるようにケイトがにっこりと微笑むと、アンは何かを言いかけていた口を、一瞬躊躇うように閉じて俯いた。
「アン?」
「……はい」
ケイトが促すと、アンは覚悟を決めたかのように顔を上げ、口を開いた。
「ケイト様、……私が、こんなことを、言うべきではないことは、承知の上ではございます。しかし……」
ぐっと、腹の前で組んだ手に力を込め、一度瞬きをすると、アンは苦しげに言葉を絞り出した。
「どうか、あまり、殿下に、心のすべてを渡すようなことは、なさいませんように」
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