第26話

香り高い紅茶と、彩りも美しい菓子が、テーブルに並ぶ。

華やかなテーブル越しに向かいの二人を眺めて、ケイトは、くすりと小さく笑った。


「お二人とも、どうぞお飲みくださいませ」

「えぇ、ありがとうございます」


如才なく優雅な笑みを浮かべて言葉を返すエリックは、穏やかな微笑みを唇に浮かべたまま、手を出そうとしない。

無言のバートンは、射殺すような視線でケイトを見るばかりだ。


目の前の紅茶にも菓子にも全く手をつけぬ二人に、ケイトは口元を隠して目を細める。

二人のあからさまな態度に、背後に控えるアンが怒りを押し殺した声でケイトの名を呼んだ。


「……ケイト様」


不信を露わにした態度は、ケイトへの侮辱であると同時に、茶を準備したアンへの侮辱でもあった。


「お二方は、お飲みにならないようです。お下げ致しましょうか」

「アン、落ち着いて」


けれど、いっそ愉快そうに含み笑いながら、ケイトはアンを窘めた。

ケイトは余裕のある微笑みを湛えながら、自分の前のカップを優雅に手に取る。

ふわりと漂う香りを楽しみ、そしてゆっくりとケイトは紅茶を口に含んだ。


「相変わらず、アンのお茶は美味しいですね。一人で三人分でも、平気で飲んでしまいそう……」


にっこりとアンに微笑むと、ケイトは目の前の二人に向けて目を細めた。


「どうぞ、お召し上がりくださいませ。もし、ご不快でなければ、私がお二人のものの毒見をさせて頂きますが、如何致ししましょう」

「……いえ、不要でございます。ありがたく、頂戴致しましょう」


エリックは、探るような目のままで、滑らかに口角を上げる。

無表情のままのバートンとともに、二人は揃ってカップを手に取った。


「どうやら、お二人は私のことをご不快にお思いのようで」


隠そうともしない二人の激しい警戒に、ケイトは吹き出しそうになりながら、口火を切った。

この二人相手に、面倒な駆け引きや探り合いをする気がなくなったのだ。


「私は、そこまで嫌われるほどに、何か致しましたでしょうか?」


突然話し始めたケイトを、無言で探るように見つめてくるエリックに、ケイトは困ったものだと言わんばかりに優美な所作で頰に手を当ててため息をついた。


「まったく、覚えはございませんけれど……敢えて、申し上げるならば」

「……ならば?」


流し目を送れば、嫌悪と敵意を滲ませた顔の二人は、ただじっとケイトを見極めようと睨むように見ていた。

しかしそれでも、ケイトの発言を待つつもりらしい様子に、ケイトは心の中で、『あの皇子にして、この部下あり』と呟いて密かに笑いを噛み殺した。


「長きに渡り、帝国の中枢に限りなく遠く、けれど限りなく近い場所に住まう人間であった、という、そのことくらいでしょうか」

「っ、ほぉ」


一瞬二人の瞳に激しく閃いた敵意と警戒と不信。

それを眺めて、ケイトは目を細めた。


おそらく、ケイトがこの二人に好かれる見込みはないだろう。

けれど恐らくこの二人は、無闇にケイトを排除しようとはしないだろうとも思われた。

あの皇子を心から敬愛し大切にしているらしい二人は、レナードが決断し、納得しないことは、行わないだろう。

そしてレナードは、今のところケイトを排除するつもりはないようだ。


ならば、この二人に好かれようが嫌われようが、ケイトに大きな問題はない。


単刀直入に切り出してしまうほうが良い。

レナードが戻ってくる前に、話を終える必要がある。

お互い、レナードの前では口に出来ない話もあるだろうから。


そう考えて、ケイトはゆるりと細めた目をを二人に向けた。


「私のことは、そんなに信用なりませんか」


おかしそうに笑むケイトに、エリックが不快そうに眼を細める。


「……殿下がいないと、貴方はそのような態度をとられるのですね」

「おや、別に、そう変わったつもりは、ございませんけれど」


飄々と小首を傾げるケイトに、エリックは隠しもせぬ侮蔑交じりの眼差しを向けた。


「随分と、人を食ったような話し方をされる」

「人など食っても、良いことはないでしょう。固くて、淡白で、おいしいものではございませんよ」

「……食べたことがあるような、口ぶりでいらっしゃいますね」


淡々と返しながら眉を顰めたケイトに、少しぎょっとしたように口元を引き攣らせたエリックに、ケイトはコロコロと無邪気に笑ってみせた。


「傷口を見れば、誰でも思うことでしょう?私はたとえ餓死するとしても、人の切り身など、食べたくはありません」

「傷を見て?怪我人を前に、妙な事をお考えになる方ですね。……血や怪我など、茶飯事でいらっしゃったので?」

「ふふふ、そんなことはございませんけれど。傷を見ると、大抵『普通の人間』ならば、誰しも食欲がなくなるでしょう?あれは、そういう理屈かと思っておりました」


揶揄うように言葉を繋ぎ、ケイトはエリックとバートンの様子を伺った。

エリックはケイトから何かの情報を引き出し、なんらかの『悪意』の言質を取ろうとしているのだろう。

尻尾を出さないケイトに不愉快さを隠しきれておらず、打算も計算も意図も、丸見えだ。

まだ若い、とケイトは笑みをかみ殺した。


「あまり、物騒なお話はやめましょう」

「なぜ?口にしたくないことでもおありでしたか?」

「ふふっ」


ない尻尾を掴もうとする可愛らしい努力を見切り、ケイトは余裕を手にした。

この種の人間に対する対応は、ケイトにとって容易極まりなかった。

どれほど優秀であろうとも、経験値の足らぬこの程度の若者ならば、簡単だった。

十代の初めから、帝国の後宮を牛耳り、スルタンの寵を放さず、大国の要人たちと駆け引きを重ねてきたケイトの、敵ではないのだ。


「いいえ、そんなことはございませんけれど。……でも、この美しく透明な紅茶の色も、血を溶かしたかのようだと、飲む気がしなくなってしまいますから」


歌うように語って、流れるような仕草でカップを口元に運び、見せつけるように赤く透明な液体を嚥下する。

ケイトの発言に、チラリと手にしていたカップへ目を落として、そのまま皿へ戻したエリックは、どこか強張った表情を浮かべていた。

その隣で、バートンは無言のまま、ケイトへ対抗するように紅茶を一息に飲み干している。

どちらにせよ、幼いことだ、とケイトは思った。


「……あなたは、」

「あぁ、もう止めろ、エリック」


エリックとケイトの舌戦を黙って見ていたバートンが、堪え切れなくなったように苛立たしげな溜息をついた。


「やはり、殿下は惑わされていらっしゃるのだ。わが身に代えても、お止めしなくては」

「おい、余計なことを言うな」

「おや、構いませんよ」


苦虫を嚙み潰したような顔で隣を睨むエリックに、ケイトは笑みを浮かべて制止した。


「お二人が私を敵視し、疑っていらっしゃることは存じております。まぁ、お気持ちは分かりますけれど、そんなに至近距離で殺気を放たれるほどのことをした覚えもございませんが」


今にも喉笛を噛み切りそうな眼光で睨みつけてくるバートンを可笑しそうに眺めて、ケイトは首を傾げた。


「私は、帝国より殿下に贈られ、今は殿下に仕える身でございます。帝国に特に未練はございませんし、皇国を害するつもりもございませんが」

「口では何とでも言えましょう。帝国の人間が、我が国に害をなす筈がないと、証明することの方が困難でしょう?」


ケイトの問いかけに、エリックは薄い笑いを浮かべて吐き捨てた。

すっかり本音で話し始めているエリックに、自分のペースに持ち込んだことを確信して、ケイトはますます笑みを深める。


「それは信じて頂くより他、ございませんね」

「容易に信じることなど、出来るはずありますまい」


馬鹿馬鹿しいと鼻で笑って、エリックは眉をしかめた。


「女であれば、子をなすことである程度信も置けますが、男であるとなると。体の繋がりだけではなかなか厳し、い」

「っ」


余裕綽々といった顔をしていたケイトが情交を示唆した言葉に一瞬動揺を閃かせる。

僅かながらも顔を強張らせたケイトに、エリックは瞠目した。


「ふむ」


突然ケイトをじっと見つめて、じっと考え込んだエリックに、ケイトは何か掴まれたかと、じわりと嫌な汗が出た。


「……何か?」

「いえ、……お二人のご関係を、推察していただけです」


嫌な笑みを浮かべるエリックに、ケイトは無表情な笑みを心がける。

その努力を嘲笑うかのように、エリックは堂々と言葉を続けた。


「先日、お二人の夜のことをお伺いしまして。さぞかしケイト様は『お上手』なのでしょう、と」

「なっ、殿下のご側近ともあろう方が、下品にもほどがございましょう?!」


控えていたアンが、耐えかね激怒したように噛み付いた。

僅かに顔を強張らせて固まっているケイトを眺めながら、エリックはアンに言葉を返した。


「なぜ?後宮は、そういった目的の『場所』でございます。恥じることはございますまい」

「けれど、あまりに礼を失しておりますわ!」


憤慨し声を震わせるアンに薄笑い、エリックは言葉を続ける。


「おや、良いではありませんか。『男同士』です」

「っ、な」


なんらかの意図を持って呟かれた言葉に、ケイトは思わず目を見開いた。


「殿下は閨ではケイト様の言うがままなのですか?それとも、案外ケイト様が、殿下に服従してみえる?」

「げ、下世話なことを……黙秘致します」


怒りと動揺と焦燥に、引き攣る頰を隠そうと努力しながら、不快そうに目を細めたケイトはエリックから目を背けた。

すると。


「殿下の反応とは、随分と違いますね」

「え?」


楽しそうに呟かれて、ケイトは思わず目の前の男に顔を向けた。


「殿下はカラカラと笑われて、『そんな訳あるか、男同士だぞ』と仰っておりましたけれど」


鼠をいたぶる猫のような残酷な目で、エリックは口角を上げた。


「『あり得ない。だって、そんな真似に、何の意味がある?』と」

「っ、ぁ」


男同士で、情を交わすなど、あり得ない。

だって。

そんなことをしても、何も生み出さない。

正しくないその行為には、何の意味も、ないのだから。


「っ、そ、うでございます」


分かっていたはずなのに。

どうして、こうも息が苦しいのか。


胸を掻き毟りたい衝動を抑え込み、ケイトは扇で口元を隠し、すっと目を逸らした。


「もちろん、そのようなこと、あり得ません」


僅かに躓いた己の舌を憎みながらも、必死に平静な態度を保つ。

けれどエリックは、追い打ちをかけるようにクスクスと笑って言った。


「おや、帝国では、咲き初める花のごとき美貌と類まれなる夜伽の手管で、数多の貴人を虜にしたと伺っておりますが。まさか殿下とは、清いお付き合いだけ、とでも?」

「……帝国と、皇国の違いなど、私も理解しております。この国で、そのような真似は、喜ばれますまい。殿下は、ご自身の正道に沿って行動されます。貴方方がご不安にお思いになるようなことは、ございませんでしょう」


夜より深い黒の瞳に、確かに傷ついた色を浮かべて、けれどケイトは澄ました顔で言い切った。


「……なるほど、貴方様でも、殿下は籠絡が難しいようで」

「籠絡、など、馬鹿馬鹿しい。…………ご自身の主がどのような方か、あなた方の方がよくご存知かと、思っておりましたけれど」


嫌味ったらしい言葉に怒りを込めて睨みつけると、エリックはなぜか納得したような表情で頷いていた。


「なるほど。……よろしいでしょう」

「は、なにが?」


唐突な言葉に戸惑えば、エリックはどこか面白そうに酷薄そうな薄い唇を歪めて、頷いた。


「まぁ、ひとまずケイト様を信じましょう」

「え?」

「おい!」


ケイトの戸惑いに、バートンの押し殺した怒りが被せられる。


「正気か、エリック!」

「えぇ、もちろん」


エリックは読めない表情に笑みを浮かべて、吐息とともに呟いた。


「あなたは確かに、殿下にとって、とても有益な存在になるのかも、知れません」

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