第22話
突然レナードが二人の男を連れて後宮へやって来たのは、ケイトが昼食を食べ終わった頃のことであった。
皇子の訪問を告げられ、ケイトが慌てて迎える準備をしていると、「気にするな」と言いながらレナードが扉を開けて入ってきた。
「レナード様っ、と、これは……失礼いたしました」
咎めるように名を呼び振り返れば、レナードの背後には見知らぬ顔の男が二人いた。
「私の信頼する側近のエリックと、バートンだ。エリックは現宰相の長子で、私の執務補佐をしてくれている。バートンは騎士団の第一騎士団長で、後宮含めて皇城の警備を任せている」
栗色の髪に暗緑色の瞳を持ち、きつい目鼻立ちをした男と、短く刈り上げた暗い金の髪に深青色の瞳を持ち、長身で逞しい体躯をした男が、レナードの後ろで片手を胸に当てた礼を取った。
「ともに私が十二の時から仕えてくれている、信頼の置ける者だ。今後関わることもあるだろうから、顔合わせも必要かと思ってな」
突然のことに思わず言葉に詰まって、ケイトは瞬いた。
朗らかな様子で二人を紹介するレナードは、普段よりも数段浮かれているように見えた。
「……そうでございますか。わざわざお連れ頂き、ありがとう存じます」
ケイトの住む後宮には、侍女と警備の兵士しかいない。
だから、レナードと後宮に仕える者以外の人間にケイトが会ったのは、皇国へ来た初日以来のことだった。
そして当然ながら、ケイトが皇子の側近達と顔を合わせたのも、この日が初めてだった。
「お初にお目にかかります、ケイト様。エリックと申します」
「バートンにございます。以後、お見知りおきを」
「……ケイトと申します。何卒よろしくお願い申し上げます」
戸惑いながらもケイトは、穏やかな笑みを浮かべて、完璧な『淑女の礼』をとってみせた。
するとエリックと名乗る男が、さもおかしそうに唇を歪め、笑みに似た表情を浮かべた。
「おや、ケイト様。別にここは、我々しかおりませんゆえ、『女の振り』など、せずとも構いませんよ」
「……ふふっ、失礼致しました。私の知る皇国の正式な『礼』は、これのみでしたもので」
敢えて女の振りをしていたわけではないと、さりげなく強調して、ケイトはにっこりと口角を上げた。
瞳に感情を浮かべず、ただ相手を映しこむ。
ふわりと口元を扇で覆い、優雅に掌でテーブルを示した。
「どうぞ、お掛け下さいませ」
隙を見せぬ微笑に、ケイトへ向けられた視線が鋭くなる。
二人の男の目は、冷静にケイトを見定めていた。
テラスのテーブルに腰掛けて、探り合っているとは感じられないような、毒にも薬にもならぬ会話を交わしていれば、バートンが自然な微笑みを浮かべて口火を切った。
「ケイト様は、剣の心得があるとか。ぜひお手合わせ願いたく存じます」
「いえ、そんな、騎士団のお方と交わせるほどの腕前では、とてもとても……」
「ご謙遜を。殿下からも、なかなかの腕前だと聞いております。戦うために剣を持つことは『初めて』なのに、随分と巧みに剣を扱うと」
細められた碧眼の奥には、明らかな疑いと不信感が漲っている。
「ふふっ、それは、随分と高くご評価頂けたようで……」
ケイトの本能が、バートンを敵だと認識し、警報音を鳴らしている。
負の感情を瞳から除き去り、ケイトは色のない視線でバートンを真正面から見つめた。
「ふぅん、まぁ、たまには良いんじゃないか?ケイトもなかなか上達したし、バートンは国一番と言っても過言じゃない騎士だ。楽しいと思うぞ」
張り詰めた二人の空気を見守りながら、レナードは面白そうな目で眺めている。
自分の側近のことも、ケイトのことも深く疑っていないのだろう。
「ぜひ、お手合わせを」
バートンの辞退を許さぬ瞳に、ケイトは腹を括った。
「……分かりました」
庭に出て、模擬刀を手にケイトはバートンと向き合った。
「帝国から下げ渡された妾妃と剣合わせをしていると聞いて、耳を疑いました。なんとまた危険なことをされているのか、と」
会話がレナードに聞こえぬ距離にくると、バートンの顔つきが変わった。
ケイトを威嚇し、挑発するような目をして、遠慮もなく殺気を放つ。
「おや……それは、どういった」
歯に衣を着せぬ物言いをするバートンに、ケイトも唇へ薄い笑みを掃いて冷たい声を返した。
「もちろん、いつ殺されてもおかしくないという意味ですよ」
淡々と告げるバートンに、ケイトはゆるりと柔らかく目を細める。
「私が、レナード様を害すると?……なぜ?何か証拠でも?」
「さぁ?けれど、あなたが殿下を害さない人間だという証拠もない」
吐き捨てるように言い切ったバートンに、ケイトは無言を返す。
瞳には凍るように冷たく重い光を浮かべて、ケイトは唇を引き締めた。
バートンは声に怒りを滲ませて、ケイトを視線で突き刺す。
「殿下は、大変純粋で、心根の素直なお方です。どうか、悪しき心であの方を穢されぬよう、お願い申し上げたい」
その言葉を最後に、バートンが剣を抜き放った。
ケイトが剣を構えるのを待ち、バートンが剣を振り仰ぐ。
空気が、張り詰める。
ガンッ
「くっ」
容赦なく鋭く重い剣が振り下される。
奥歯を食いしばって攻撃を受け止め、必死に受け流す。
利き手がビリビリと痺れている。
容赦なく繰り出される攻撃は、極限まで追い詰めることで、ケイトが必死に何重ものヴェールで隠した下の本音を暴こうとするようだった。
ガツンッ
鍔迫り合いの最中、ギリギリと金属が傷んでいく不快な悲鳴がした。
交わすたびに重さを増す剣撃に、ケイトがじりじりと後退する。
「思いの外頑張ってみえますけれど、その程度では、相手になりませんね」
生死を賭けた殺気の中、至近距離で睨み合う。
嘲るようなバートンの言葉に、ケイトは苛立ち混じりに言い返した。
「ですからっ、最初から貴方の相手ではないと!申し上げたでしょう!」
「っくく、本当でしょうかねぇ」
冷たく目を細めたバートンが笑う。
バッと飛び退くように後ろに離れ、そしてケイトは剣を構え直そうとした、が。
「早く本性を現しなさいッ!」
準備の間もなく目の前に迫り来る剣。
首の骨を叩き折ろうとでも言うように、明らかに殺意を持って首筋を目掛けて突き出される金属の煌めき。
「っ、」
命を賭けた瞬間にだけ生じる、世界から音を排した極限の集中が訪れる。
ケイトには全てがこま送りのように見えた。
大丈夫
いける
……まだ、死なない
ケイトの頭の中で、静かな声が聞こえた。
「ふふっ」
笑みすら浮かべて、ケイトはいっそ優雅な仕草で手首を返す。
帝国に居た頃から離さず身につけていた腕輪の内側から、長針型の暗器を取り出し、バートンの急所へ投げ付けるために。
それを察したらしいバートンの目が開かれ、剣先に僅かな振れが生じる。
勝機を掴んだケイトが、ふわりと笑みを深めた。
しかし。
「おい!やり過ぎだ!」
「っぁ」
慌てたレナードの声が、ケイトの鼓膜を貫いた。
咄嗟にケイトの動きが止まる。
考えるより前に、暗器を操ることを知られたくないという感情が先に立ち、体が動かなくなった。
その一瞬の躊躇が、命取りとなる。
「くそッ」
「う、ぐぅっ」
慌てて剣先を変えたバートンの機転でなんとか剣はケイトの首筋を外れる。
しかし避けようと無理に体を捻ったケイトは体勢を崩して激しく転倒し、強かに頭部を打撲した。
「おい、ケイト!」
「ぁ……レナ……」
ぼやけていく視界の中で、慌てた様子のレナードが駆け寄ってくることを察しながら、ケイトは力尽きて目を閉じた。
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