第21話
二、三日に一度の割合でお茶を飲みに来ていた皇子は、気づけば毎日後宮を訪れるようになっていた。
相変わらず、日中ばかりであったが。
時間のある時は剣を合わせ、時間のない時は紅茶を飲みながら話をする。
穏やかに日常の中へ組み込まれたレナードとの交流は、かわりばえのない日々の中にふわりと灯りをともしている。
けれど、ケイトは疑問だった。
「皇子は、なぜ毎日いらっしゃるのでしょう?お忙しいでしょうに」
慌ただしく一杯の紅茶を飲み、レナードの去った部屋で、ケイトはため息とともに首を捻った。
ぼんやりと呟く声に、茶器を片付けていたアンは不思議そうに首を傾げる。
「ケイト様に、会いにいらっしゃっているのでは?」
当然のように返される答えに、ケイトは苦笑する。
それは、もちろんそうだろう。
この後宮には、ケイト以外に側室はいない。
滞在時間から考えても、他にお目当ての人間がいるとは思いにくい。
「えぇ……ありがたい、ことですけれど」
なぜ?
その疑問が、頭を離れなかった。
ただケイトに会って、時に話し、時に剣を交わす。
それは、レナードには何の得があるのだろうか。
ほんの短時間ならば競ることは出来るが、もとよりケイトの剣は、さほど強くない。
皇子に教えを請い、少し上達してはいるものの、純粋な剣の腕前では、まだ騎士団で言えば中の下程度だろう。
暗器など種々の反則技を許可されたらケイトも皇子に張れるかもしれないが、剣のみの手合わせでは皇国騎士団の有力者にも引けを取らぬ腕前のレナードにとっては、子供の相手をしているようなものだろう。
大して実のある鍛錬になるわけでもない。
そして会話も、特に生産性のある会話ではないことも多い。
最初の頃こそ、レナードは議題を手にやって来て、ケイトの意見を聞き、忌憚なく議論を交わしたがっていた。
けれど次第に話題の種が尽きたのか、今では内容は単なる雑談となっていた。
ケイトがかつて見聞きした帝国の話や、暇に任せて読み漁っていた帝国の書物、かつて受けた教育など、レナードは面白がって聞いていた。
そしてレナードは、反対に皇国の歴史や地理、名所についてなど、得意げに語り、ケイトはそれを興味深く聞く。
時にレナードは、皇国の地理的な弱点をぼやくこともある。
改善策を相談されて、それに助言や意見を告げながらも、レナードの不用意さにケイトは戸惑いを隠せなかった。
レナードは、ケイトをどう位置付けているのだろうか。
ある日。
忙しいらしく、いつものようにお茶だけ飲みに来たレナードに、とうとうケイトは率直に尋ねた。
「レナード様は、どうして毎日こちらに……後宮へお渡りになるのですか?」
ただ話をしたり、戯れに剣を合わせてり。
忙しいはずの時間を割いて、レナードは昼日中にわざわざ後宮へ、何をしに来ているのか。
「後宮にいらっしゃりながら、ただお話や剣合わせをするばかりで、何もせずにお帰りになる」
「だから、話や剣合わせをしているだろうが。何もせずというのは変だろう」
おかしそうに首を傾げるレナードに、話を誤魔化すなとケイトは目を細めた。
「ここは、後宮でございます。他愛もないお喋りなど、何かしたうちに入りませんでしょう?」
ケイトは少し迷った後で、言葉を続けた。
「レナード様が、どなたか、気に入りの娘を見つけたとでも仰るのでしたら……」
「はぁ?そんな訳ないだろう!どこにそんな暇があるんだ」
不本意な疑いをかけられて立腹するレナードに、ケイトは少し反省し、そして僅かに唇を尖らせた。
レナードの忙しさなど、充分聞いているし、知っているつもりだ。
レナードはいつも皇城の執務室から夜遅くまで戻らず、一度戻れば後宮の皇太子の私室には夜遅くまで光が灯る。
後宮から気に入りの者を呼び寄せるでもなく、皇子は遅くまで持ち帰った雑務をこなしている。
自分が戻らないと部下も帰れぬからと言って、機密を含まぬ書類を持ち帰り、私室で片付けるのだとアンが言っていた。
ケイトの部屋へ来た時も、時折紅茶を一口飲んで、疲れたように大きな息を吐くこともある。
いくら能力が高く、体力があったとしても、レナードがこなせる量には限界があるはずだ。
しかし、この国に、正嫡の皇子は一人しかいない。
その上、側室の皇子達はそもそもまだ成人前だと聞く。
誰かに任せようにも、任せる相手がいないのだろう。
レナードの肩にのしかかる負担は、察して余りある。
「まったく、どれだけ忙しいと思っているんだ」
「えぇ、存じております。……だから、不思議なのです」
憤慨するレナードにケイトは目を伏せる。
一つ息を吸い、ケイトはそっと口を開いた。
「……もし、私のことをご心配下さってのことでしたら、もう大丈夫なのですよ?」
ケイトはもう、十分健康に戻った。
レナードはケイトを気にかけずとも構わないはずだ。
少しだけ気を張り詰めていたケイトは、小声で告げた。
「……そんなことを気にしていたのか、お前は」
皇子はきょとんとした顔で瞬いて、そして呆れたように呟いた。
その言葉に少し不貞腐れて顔を背ければ、柔らかな声が落とされる。
「ふっ。なに、気にするな。息抜きだ」
「いき、ぬき?」
穏やかな目でケイトをまっすぐに見つめて、レナードはまるで絵画の中の天使のように、綺麗に破顔した。
「俺は、お前に会いに来ているだけだ」
「……え」
固まったケイトを面白がるように見て、レナードは和らいだ表情で口を開いた。
「お前は面白い。それに、話していると色々発見があるし。なんとなく気分も楽になるからな」
レナードは、何でもない顔で話を続けて、そして自分の言葉に納得して頷いている。
しかしケイトは、じわじわと紅潮する頬を抑えきれず、席を立った。
「あっ、そういえば、先日仰っていた件ですが、一覧に纏めましたので見て頂けますか?」
「ん?おぉ、早いな」
「いえ、えっと……どこに置いたか……、少々お待ちくださいませ」
机の上から羊皮紙を探す振りで、ケイトは深呼吸を繰り返し、顔の火照りが引くのを待った。
果たして上手く誤魔化せただろうかと不安に思いちらりと伺えば、変わらぬ様子で紅茶を飲む皇子と、温かく目を細めたアンの姿を認め、ケイトは頭を抱えたくなった。
ケイトの心情の変化は、アンには筒抜けのようだった。
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