第15話

ケイトが多少緊張していた皇宮での皇帝との謁見は、形式的な挨拶に留まり、つつがなく終えられた。


当然だが、皇国においては皇子の帰還が最大の関心事だ。

スルタンより下賜されたという話題性はあったとしても、所詮皇国の人々にとってケイトは、おまけに過ぎなかったのだろう。




「スルタンの至宝の君よ、よく参られた」


穏やかな表情の皇帝から長旅の労をねぎらわれ、これからよく皇国に尽くせとの言葉をかけられた。

顔を隠した帝国の正装のまま、ケイトは皇国の作法に倣って、立位のまま、侍女に習った『貴婦人』の礼をとった。


ケイトは女ではなかったが、皇国の人間はそんなことは知らない。

帝国の後宮で頂点を飾っていた愛妾が、皇国の忠誠への褒美として下げ渡された。

知られているのは、それだけのはずだ。


皇国における後宮の認識、ケイトの纏う衣装、今後の己の立場。

足りぬ知識ながらも様々のことを考え合わせ、ケイトは敢えて多くは語らず、女のように振る舞うことにしたのだった。


「幾久しく、よろしくお願い申し上げます」


男とも女ともつかぬ涼しい声が、雅やかな口調で口上を述べる。

裾を持ち上げた時に翻る裳裾から僅かに覗く足先に、謁見の間は多少騒めいたものの、皇帝も皇子もケイトも、平然と言葉を交わしていたため、すぐに静寂を取り戻した。

皇帝の言葉を謹んで受け取った後は、侍女に手を引かれ、ケイトはしとやかに謁見の間を後にした。




その夜。

皇子の帰還とケイトの歓迎を兼ねた宴が開かれた。


ヴェールを纏ったまま皇族の末席に設けられたはずの席に着いたケイトは些か戸惑った。

席に着いていたのが、皇帝と、皇妃、そして皇子だけであったからだ。


「ほかのお妃様方や、殿下方は?」

「ほかの?父の側室や私の兄弟のことか?」


そっと横の席に座る皇子に尋ねれば、皇子はおかしなことを聞いたかのように訝し気に首を傾げた。


「これは正式の場であるから、出席できるのは基本的に皇妃と、皇位継承権を持つ皇子や皇女、そして皇子の正妃のみだ。だが、母上の子は私だけだからな」

「えっ?」


公式の場であるためか、普段よりも丁寧な口調の皇子が、簡潔な説明を口にした。

しかし、あまりに思いもよらない答えだったため、ケイトは息をのんで固まった。


「どうした?何を驚いて……あぁ」


当然のように答えていた皇子も、ケイトの様子から何か思い至ったように、「帝国とはだいぶ違うと感じるだろうな」と苦笑した。


「帝国では権勢と豊かさを誇るために多くの妃たちを広間に並ばせていたのだろうが、皇国では多くの妻を持つこと自体、あまり好まれないからな。多くの妻を持つことより、妻を大切にすることが尊ばれる。だから、よほどの事情がなければ、複数の妻を並ばせるようなことはしない」


帝国との違いを語りながら、皇子はケイトが言葉を発しないことに気がついたのか、困ったように少し目を逸らした。


「だから、そもそもお前がここに出席しているのが異例なのだ。……お前は一応、スルタンから贈られた『帝国の掌中の珠』だ。今日の主役の一人であり、我々皇国が帝国の覚えめでたいことの証だからな。皇子の側室としてではなく、帝国からの客人として、お前をここに招いたということになっている」

「っな」


思いもかけない立場として席に着いているのだと知り、ケイトは動揺し、思わず小さな声を上げてしまった。

帝国を背負って招かれるなど、流石に荷が重すぎると青くなったが、皇子は宥めるように柔らかく目を細めた。


「あくまで、体裁上は、だ。皇国は道徳においては、体裁や体面を比較的気にするお国柄だからな。本質は単なる歓迎の宴だから、あまり気にするな」


ケイトを安心させるように、敢えて自虐するような言葉を口した皇子は、肩をすくめて苦笑した。


「まぁ、もし私に正式な側室がいれば、私が正妃を持つまでは、その者が妃として公式の場に侍ることはあるかもしれんが、私はまだ妃はいない。正妃を持つ前に側妃を迎えるような不誠実をする気にはなれなったからな」

「そ、うでございますか」


淡々と説明する皇子に相槌を打ちながら、ケイトは激しい戸惑いを隠せなかった。


「あの……それでは、妻以外に、男を側に置く者は稀なのでしょうか」


口にした後で、我ながら公の場で聞くことではなかったと悔やんだが、皇子はあまり気にせず答えを返した。


「ん?あぁ、稀でもないぞ。多くの美しい少年を囲う者はそれなりに居る。まぁ、彼らは何かしらの才をもつ者のパトロンのようなことをしていることが多いがな」


給仕が運んできたグラスを受け取りながら、皇子は平静な顔で話を続ける。


「好色ゆえに多くの男女を囲う者もいるが、そのような不潔で下劣な真似は嫌悪されるから大っぴらにはやらない。だから、外向きにはそのような不道徳者は「いない」と言うことになっている」


多少の不快感を滲ませながら呟いて、皇子は苛立たしそうにぐるりとグラスを揺らした。


「あとは心底女を嫌い男を好んで、己の子を成せなくても良いという、変わり者もたまには居るが。まぁ、そのタイプはかなり稀だな」


最後に軽く肩をすくめてみせた皇子は、特に他意のなさそうな、まっすぐな目をしている。

ケイトへの悪意や牽制などは、全く感じ取れなかった。

であれば、きっと全て、真実なのだろう。


「そうなので、ございますね」


なるべく平常を心がけて声を返しながらも、ケイトは頭を抱えたくなった。


皇国で側室は、血を絶やさぬための苦渋の手段のようだ。

性を問わず美しい者を囲うことは本当に、貴い身分の者たちの趣味や道楽でしかない。

欲望ゆえに多くの男女を囲う者は不道徳な人間だと嫌悪される。

男を真に愛する者達は居ても特殊で、子を求めないことは異常だと見做されるのだろう。


そうであれば、子を成せぬケイトは、確かに側室として迎え入れる意味のない人間だ。

当初の皇子の反発も、もっともだと言えた。


ケイトはこれまで、快感と享楽を欲する者たちに囲われ、求められるままに彼らへ仕えて生きてきた。

権力者の寝所に侍り、悦楽を捧げることしか知らない。

ケイトの武器は、艶事の駆け引きと閨房の術だけなのだ。


もしかしたら皇国はそもそも、自分にとってとても不利な環境なのかもしれない。


そんな予感に冷や汗が滲むケイトの様子には頓着せず、皇子はあっさりと告げた。


「略式の宴や無礼講の祝いの席ならばともかく、お前が正式の宴に参加できるのは、おそらくこれが最後だろう。楽しむと良い」

「はい……ありがとう、存じます」


必死に平静を装いながら、ケイトは今まで生きてきた世界と、皇国の違いを噛み締めた。


隣で優雅にワインを煽る皇子の横顔を横目に見ながら、本当にこの男を落とすことが出来るのだろうかと、ケイトは生まれて初めて、少しだけ弱気になった。

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