第14話 皇宮の内に入りて
どうやら作戦を変えなくてはいけないらしい。
ケイ……ケイトは潔く己の計画が根本から間違っていたことを認めた。
皇子は、ケイトがこれまで出会ったことのない人種のようだった。
ケイトが考えるに、皇子はケイトを警戒はしていても、敵視している訳ではない。
そして現在警戒しているのは、ケイトが皇子に害をなすか否かではなく、彼以外の人間を、彼の愛する民を傷つけないかどうかの一点に尽きるようだ。
ケイトが侍女や兵士たちへ良識的に接している限り、皇子はケイトに辛辣な態度を取ることはなかった。
ならば、皇子に受け入れてもらうためには、民を傷つける意図はないと、示すことがまず第一だろう。
ケイトはそう結論付けた。
ケイトは、周囲と打ち解けるように努めた。
節度を保ちながらも親し気に接し、穏やかに笑いかけ、折に触れてねぎらいの言葉をかける。
同情を誘うような言動や誘うような仕草を控え、馬鹿馬鹿しいと思いながらも、一歩一歩距離を縮めた。
その結果、皇都が見える頃には、暇を持て余せば従者たちと会話を楽しめるようになった。
もちろん、全ての人間と会話を交わすことが出来た訳ではない。
ケイトが少し気にかけていた、帝国の離宮でケイトへの忌避を露わにしていた二人組は、見付けられないままだった。
彼らは恐らく皇子の側近だろうと考えていたのだが、皇子の周囲に、特にケイトへ攻撃的な言動を取る者はいなかった。
彼らは先に皇国へ帰還しているのではないかとケイトが勘繰るほど、皆、不思議なほどケイトへ好意的であった。
これには、侍女の態度や、周囲への働きかけがあったのかもしれない。
ケイトは従者達に教えられて知ったことであったが、侍女は皇国ではかなりの名家の娘で、自ら望んで今回同行したとのことであった。
そして、何よりも彼女は『人を見る目』を評価されているらしく、彼女が是と判断した人間は、その時点で基本的に認められるようであった。
ケイトには、侍女のその能力はかなり疑わしいと思われたが。
けれど、どちらにせよ、地道な努力の成果は確実に出てきているようだった。
まだ警戒を解き切ってはいないものの、皇子の対応も軟化し、軽やかな会話も成り立つようになってきたのだ。
時には食事時に些細な軽口を叩くようになった皇子の態度に、ケイトは満悦至極だった。
今回は、うまく行きそうだ。
手間取ったが、このままいけば、皇子を首尾よく篭絡することが出来るだろう。
満足してそう考えていたケイトは、自分の方法が他者と親しくなりたいと考えた時に普通の人間が取る一般的な行動の一つだということには、気づいてはいなかった。
ケイトは、『普通』を知らなかったので。
***
「皇都に着いた」
外からコンコンと叩かれてケイトが馬車の窓を開ければ、馬に乗った皇子が簡潔に告げた。
「俺は馬に乗ったまま行くが、お前は馬車の中に居た方がいいだろう。帝国に悪感情を持つ者もいるからな」
「はい、仰せのままに」
ふわり、とケイトの表情が緩む。
さりげなく、おそらく本人は意識もしないほどの気遣いは、皇子の天性の気性かもしれないが、ここ数日で距離が近づいた結果のように思われて、ケイトは心が弾んだ。
「門を開けろ」
よく響く声で皇子が従者へ指示を出すと、門の向こうの騒めきが一層大きくなった。
聞こえてくる盛大な歓声は、皇子の帰還を迎える国民の声だろう。
「ここが、あなた様のお暮しになっている都……」
ぼんやりと呟けば、「帝都と比べるな」と嫌そうに皇子が返した。
「そんなつもりはございません。私も、これからここで暮らすのだと、感慨にふけっただけで。少々気になさりすぎでは?」
くすくすと笑いながら言い返せば、皇子はバツの悪そうな顔で顔を背けた。
「行くぞ」と一声残して、馬を歩ませる。
すっと伸ばされた背筋、無駄なくしなやかな長い四肢、ぶれることなく真っ直ぐな体幹、サラサラと風に靡き陽光より輝く髪。
後ろ姿でさえ、皇子の姿は、とても美しかった。
誰もが感動し、その存在を神に感謝するほどに。
であれば、皇子の姿を、目に捉えた国民の喜びはいかばかりか。
「皇子殿下の、ご帰還である!」
朗々とした衛兵の宣言の後、爆発的な歓声が響き渡る。
「殿下!」
「皇子殿下!」
「お帰りなさいませ!」
「皇子殿下!」
「我らの皇子殿下!」
集合体としてしか捉えきれぬほど、数多の歓喜の声が空間で暴れ狂った。
馬車の中で驚きに身を固くするケイトに、侍女はくすくすと笑いながら言った。
「驚きになりましたか?民衆からの殿下の人気は、歴代でも類を見ないと言われております。殿下の御姿を見ることが出来て、皆喜びが抑えられないのです」
どこか自慢げに、侍女は自国の皇子の美点を挙げていく。
「心から民草を思いやり無益な殺生を好まぬお優しさ、不正を嫌い正しく法に基づき裁く公平さ、賄賂に決して惑わされぬ潔白さ、追従や世辞を厭う清廉さ……。殿下は潔癖が過ぎて、時に揉め事の種となることもありますけれども、それでも皆、殿下を尊敬し、愛しているのです。この声の大きさを聞けば、お判りいただけますでしょう?」
音が聞こえなくなりそうな歓声の大きさに、真にこの皇子が民衆に愛されていることを実感し、ケイトはそっと顔を伏せた。
「そうですね、よく分かります」
皇帝との謁見のために帝国の正装を纏ったケイトは、ヴェールで隠した口元に苦笑を滲ませた。
「素晴らしい、ことですね」
触れることを、躊躇ってしまいそうだ、と。
柄にもないことを考えて。
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