第13話

「殿下のケイ様に対する誤解が解けて良かったですわ」

「誤解……?」


朝食後に、嬉しそうに話す侍女へ曖昧な笑みを返し、ケイは内心困惑していた。


「はい。殿下がケイ様にお厳しく、つれなくなさっていたのは、きっと帝国育ちで帝国の後宮に慣れたケイ様が皇国を見下しているとでも、お思いになっていたからでございましょう?あの方は帝国の文化や学問の水準に憧れる反面、少々対抗心を燃やしていらっしゃって……それに、少し愛国心が強すぎるところがおありなのです。どうかお許し下さいませ。北の田舎者である我々にはあまりにもお美しくて、優雅でいらっしゃるから」

「そんなこと……」


侍女が、皇子を弁護する言葉を流れるように続ける。

遮る隙もない様子に苦笑して首を振りながらも、まるで皇子の代弁でもするかのように自然な謝罪に、ケイは僅かな違和感を覚えた。


「それにしてもあなたは殿下と、随分と親しいようですね」

「えぇ、私の母は、殿下の乳母でしたので、幼少の頃から存じ上げております。殿下は幼い頃から、根っからの真面目者でございました」


ケイは敢えてきょとんとした表情を作り、不思議そうに首を傾げてみせたれば、侍女は特別なことでもないように答え、くすくすと笑った。


「殿下は真っ直ぐで、素直なお方です。ケイ様のお優しさやお美しさをお知りになれば、きっと殿下もケイ様と親しくしたいとお思いになりますわ。そうすれば、慣れぬ皇国でのケイ様のお暮らしも、きっと慰められることでしょう」


にこにこと笑う侍女は、心底ケイの身を案じ、そして皇子を信頼しているようだった。


「えぇ、そうですね。殿下に訴えてくれたのでしょう?危険を冒して……ありがとう」


柔らかさを意識して微笑みを浮かべ、侍女に感謝を告げれば、侍女はこれ以上ない満面の笑みで答えた。


「お礼など……ただ、私は自分の信じる通りに動いただけにございますので。それに、危険などございません。皇子は道に反することをなさる方ではありませんから、徒らに民の命を奪うことはなさりません」


皇子のことを、盲目的とも言えるほどに信頼しているらしい言葉に、言葉をなくす。

そして自信満々な侍女は、おそらく自身の行いの正しさも、ケイの人柄も信じているのだろう。


これまでのケイの言動が皇子からは伝わっていないらしいことを察して、ケイはただひたすらに驚くしかなかった。

あの皇子は、一体どういうつもりなのだろうか。


ちっとも警戒は解いていないくせに、極めて良心的な態度で接し、驚くべき平等さで判断してくれているようだった。


「……本当に、変わった男」


朝に似合いの雀達が窓の外で元気に飛び回る様を目で追いながら、ケイはため息とともに呟いた。



***



森を抜け、国境の検問を通り越し、皇国へと足を踏み入れた一行が泉のそばで休憩と昼食を摂っていた時。


「さて」


当然のような顔でケイとテーブルを共にしていた皇子は特に気負いもない様子で口を開いた。


「これで、皇国の中に入った」

「はい、存じております」


帝国の周囲を覆った巨大な石塀を、先ほど抜けたばかりだ。

ケイが戸惑いながら首肯すると、皇子は平然と宣言した。


「皇国へ入ったからには、お前のことも、この国らしい名で呼ぼう」

「……え?」


皇子の言葉に、ケイは驚きを隠すことが出来なかった。

思案顔で皇子が呟いているのを、やたらと瞬きを繰り返しながら、ただまじまじと見つめるばかりだ。


「ケイ、ケイか。東の名残のある名前を変えるのは惜しいが……ケイトとでも呼ぶか。女のようだが、ケイも似たようなものだ、問題あるまい。純粋という意味だ」

「は、い。ご随意に」


話を終えた後は平然と食事を続ける皇子の端麗な顔を、ケイは言葉もなく見入った。


名前を、呼んで貰えるのだろうか。

この国の人間ではないのに。

この国に似合うという名を。


じわじわとこみ上げる感情は、決して不快なものではなく、温かく胸を満たす。

知らず、ケイの頬ににっこりと自然な笑みが浮かんだ。


「ケイト……ケイト、良い響きです」


そんなこと、思ってもみなかった。


ケイと言う名は、初めの家で付けられた。

何十年も前に東の国から来たという使用人の名字から付けられた名前だ。

意味などなく、ただ文字数も少なく呼びやすいと言われるばかりだった。

それでも、番号でも記号でもない、その者のための「名前」を与えられただけでも、十分に恵まれているのだと、理解していた。


「……ふふ、それにしても、純粋、ですか」


ぽつりと、誰にも聞こえないような声で呟いて、ケイは俯いた。

口元が笑ってしまいそうになるのを、唇を噛み締めて誤魔化す。


まさか、名前に意味を貰えるとは思わなかった。

それも、帝国でスルタンの寵を誇り、あらゆる賓客を体でもてなしていた人間に、純粋、とは。

いっそ、滑稽なほどの話だ。


この皇子は、奴隷にも心を認める人間のようだ。

この道中で、散々腹を立てていたはずなのに。

まだ、ちっとも警戒を解いてはいないはずなのに。


きっと恐ろしいほど人が良いのだろうと、ケイは少し呆れた。

そして、自分でも気付かぬままに、少しだけ心を溶かした。


「今日よりこの身は帝国のケイにあらず。皇国のケイトでございます。皇国と我が皇子に、この身命を永遠に捧げましょう」

「……胡散臭い誓いはやめろ。我が国では誓いは、神の御前で交わす神聖なものだ。馬の前で適当に口を転がすものではない」

「あら、心からのものですのに」

「白々しいわ」

「ふふふっ」


初めて名を貰ったような気がして、ケイトは久々に心からの笑みを浮かべた。


「皇都は、まだ遠いのですね」

「ん?まぁ、帝国に比べて皇国は狭い。あと数日だろう」

「そうですか」


なぜか胸を高鳴らせて、ケイは道の先を見た。

皇都へと続く、細い道を。

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