第12話

翌朝。

ケイが帝国で食べる最後の食事を満喫しようとしていると、唐突に部屋のドアが開いた。


「俺も此処で頂こう」

「…………へ?」


澄ました顔で部屋へ現れた皇子に、ケイはまともな返答も出来ず、思わず素のまま目を丸くした。

ケイが唖然としている間に、皇子に続いてやってきた付き人たちが淡々と準備を終え、そして退室していく。

ケイに付き従っていたはずの少女も、一つ頭を下げるとしずしずと扉を出た。


「一体全体、どういった風の吹き回しでいらっしゃるので?」


ケイの胡乱げな反応を無視してテーブルに着席した皇子を、ケイはまじまじと見つめた。

何しろ、昨日の今日だ。

あまりにも不可解だった。


「ちょっと尋ねたいことがあってな」

「尋ねたいこと?」

「あぁ」


ケロリとした顔の皇子は、全く躊躇いもなく単刀直入に尋ねた。


「お前、買われたのか?」

「……は?」


ケイはスルタンの奴隷である。

それは公然の事実ではあるが、だとしても、さすがに本人に尋ねることではない。

冗談で言っているかと思ったが、皇子は真顔だった。


「どこぞの家に買われて、まだ幼い頃にスルタンに献上されたのだと、侍女に聞いた。親もなく、帝国の奴隷市場で買われたということか?」

「……始まりなど、記憶にございませんね」


ケイは、うんざりと息を吐いた。


都に憧れる侍女の少女に請われて、ケイは暇に飽くと帝国や後宮の物語りをしていた。

時にはケイの身の上話も混ざってはいたが、まさかその内容が皇子に筒抜けだとは思わなかったケイは、少しため息をついた。

皇国の主従関係は、ケイが知るものよりもずっと距離が近いらしい。


「私の最も古い記憶は、最初の主家のお嬢様に、絹でぐるぐる巻きにされていたことにございますので」

「……そうか」


考え深そうに眉間に柔い皺を刻む皇子を眺めて、面倒なことになった、とケイは眉間を揉んだ。


侍女が何かしらの行動を起こすことは想定していた。

その結果、昨夜のように「余計な真似はするな」と怒りをぶつけられることまでは、予想の範囲内だった。

そしてケイは、皇子の怒りを煽って、あわよくば閨に持ち込もうとしていた。

スルタンにすら閨房術においては比べる者がないと言わしめたケイにとっては、北の田舎の皇子など、閨に入ってしまえば勝ったも同然だろうと思われたからだ。

たとえ上手く寝所へ雪崩れ込めずとも、皇子の感情を敢えて荒立てて、その心にケイを深く刻み込むのも一興だという程度に考えていた。


けれどその一連の計画は、昨夜既に終わったはずだった。

間抜けなほどに冷静な顔で、こんなえげつない会話を朝の爽やかな空気の中で交わすとは思わなかった。

そして今、窓から降り注ぐ朝日の中で、互いの喉元に噛み付こうとするような駆け引きをする気にもなれなかった。

太陽が世界を照らし始める明るい朝は、ケイの時間ではなかったから。


「お前は望んで後宮に入ったのではないのか」

「…………当たり前でしょう。むしろ反対です」


大真面目に問う皇子に、ケイはさすがに呆れた。


「反対?」

「後宮は、たとえ入れて欲しいと望んだところで入れるものではありません。正妃となるような高貴な身分のお方であれば、後宮の管理者となるべく推薦され、スルタンに請われて後宮入りすることもあるでしょうが、稀でございます。今後宮にお暮らしの方の中では、せいぜい正妃様くらいでしょう。あとは皆、選択権など持たぬ、スルタンの良き奴隷となるべく集められた者たちです。入る入らぬを決めるのは、彼らではなく、彼らの道を決める権利を持つ者です」


スルタンの後宮のほとんどを占めるのは、己の命にすら選択権を持たない身分の者たちだ。

戦利品として攫われた者か、市場で買われた奴隷か、既にどこかの家の奴隷であった者。

正妃や、それに準ずる立場を与えられるような高貴な家柄の者を除いて、スルタンの後宮へ召し上げられる際に選択肢を与えられるような者はいない。


「ふむ。侍女の申す通り、それは同情に値するな」

「……同情など、頂かなくとも結構です」


真剣な顔で言ってのけた皇子に、ケイは半眼になった。

ケイにとって、同情は利用するものであっても、かけられるものではない。

まさか侍女を泣き落として、憐れみを誘った効果が今頃出てくるとは思わなかった、と、ケイはすっかり馬鹿馬鹿しくなって肩をすくめた。


「私は私なりに、最善を尽くして生きて来ておりますので。……世間知らずなあなた様とは違う、世の深みを味わっております」

「世間知らずなのは分かっているが、改めて人から言われると腹立たしいものだな」

「……は?」


うんざりし始めたケイは、早く会話を終わらせるために、いっそ怒りを買おうと挑発した。

しかし、生真面目な顔のまま、不貞腐れたように目を逸らして頷かれ、ケイは目を丸くした。


「お怒りになったのでは?」

「腹は立ったが、仕方ない。事実だ」


ムッとした顔で、食後のデザートを口に放り込む皇子を細めた目で見遣りながら、ケイは内心困惑を隠せなかった。


「罰をお与えには、ならないので?」

「馬鹿にするな」


心外だと憤慨した皇子は、さも偉そうに足を組み替えて、まっすぐにケイを睨みつけた。


「我が国の民になるからには、お前はもう奴隷ではなくなる。お前が悪意を持って人を害そうとすれば容赦しないが、そうでなければ俺は理由もなくお前を断罪したりしない」


堂々と言い切ると、皇子は綺麗に皇国式にフォークとナイフを並べた。


「それだけは覚えておけ」


まるで捨て台詞を残すかのように席を立った皇子に、ケイは思わず頭を抱えた。


「それは、捨て台詞にはなりませんよ……」

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