第11話

「はぁ?ははっ、なにを……」


悪い冗談だと言うように笑い飛ばそうとした皇子はケイの目を見て、息を飲んだ。


「……お前、まさか本気でそんなことを言ってはいないだろうな?」


正気を疑うかのようにまじまじとケイを凝視している皇子を、ケイは朗らかに笑い飛ばした。


「はははっ、何を驚いていらっしゃるので?私には、この身しかございませんから。当然でございましょう?他に、報いる手段がございませんもの」


平然と笑みを浮かべながら歌うように告げるケイに、皇子は目を見開いて叫んだ。


「馬鹿なことを!もしそんなことをすれば、重罰を受けるのは彼らだ。殺す気か?!」

「愛ゆえに私を求めたとしたら、それはどうしようもないこと。それに力無い私は、押さえつけられたら拒むことなどできませんもの」


頬に手を当てて物憂げに言ってみせれば、「ふざけるな!」と激昂して皇子は立ち上がり、ケイを睨みつけて唸るように恫喝した。


「そもそも、お前が下手な真似をしなければよいのだろう?!」

「下手な真似?ふふっ、どのような?私は、仕えてくれる者たちに、精一杯の心を示しているだけでございます」


欠片の動揺も怯えも見せず、ケイは優雅に足を組み替えて目を細めた。


「ご自分の御国の民を愛してやまないあなた様は、私が惑わせるのだと仰りたいのかもしれませんけれど……私は、この国の皇子の側妃となるために参ったのでございます。ですのに」


ほう、と妙に色めいたため息を一つ落とし、ケイは囁くように告げる。


「そんな相手に、惑った者の、罪でございましょう?」

「…………やってみろ」


呼吸の音すら雑音に聞こえるほどの沈黙の後、いっそ怨嗟にも似た声音で皇子は低く唸った。


「その気ならば、やってみれば良い。お前が我が国に害をなすと判断したならば、俺は躊躇いなくお前を切り捨てる。そして」


冷たい美貌に空恐ろしいほど美しい笑みを浮かべて、残酷な目で皇子は告げた。


「この国の記録からも、俺の記憶からも。お前を、欠片も残さずに消し去ってやる」

「……っ」


余裕の笑みを浮かべていたはずのケイの表情が、瞬間微かに強張った。

簡単に引きずり出された動揺に、ケイは自分が一番戸惑った。

ケイにとって感情とは、完全に制御できるものだったはずなのに。


「……別に、誰彼構わず破滅させたい訳ではありません」


なんとなく決まりの悪い気分で、すっと目を逸らしてケイは嘯いた。


「旅があまりにも単調で、面白みがないもので。少し、暇に飽いて、誰ぞに相手をして欲しくなっただけのことです。そこまで悪趣味ではありませんので、ご心配には及びません」


普段より早口になりながら、ケイは慣れぬ言い訳を口にした。


「ふん、……最初からそういう態度でいれば良いものを」


明らかに挑発的だったケイの台詞が本心からの言葉ではなかったと見抜いたのか、どこか毒気が抜かれたような顔で、皇子はあっさりと殺気を収めた。


「仰るとおりでございます。以後心掛けますのでどうかご容赦を」


白けてしまったケイも、それまでのねっとりとした視線が嘘のように、しれっと皇子から視線を外して、淡々と告げた。


そして少しだけ、ケイは、自分は何に動揺し、何を怯えたのだろう、と密かに首を傾げた。


死ぬことなど、怖くなかったはずなのに。

この皇子に憎悪のまま殺されることも、また快感だと、思っていたはずなのに。

……記憶に、残れないと、思ったからなのだろうか?


浮かんだ問いには、答えを見つけてはいけない気がして、ゆるく頭を振って嫌な考えを追い払った。


「兵士一人、侍女一人に、随分とお優しいことで」


普段の調子を取り戻そうと、流し目を送りながら揶揄するように肩をすくめて見せれば、皇子は馬鹿馬鹿しいとばかりに鼻を鳴らした。


「当たり前だろう。我が国の大切な国民だ。お前が我が国に害なす者であれば、俺は容赦なくお前を討つ。敵としてな」

「ふふふっ」


端麗な容姿に合わず乱暴な話し方をする男にとろりと溶けるような笑みを向け、ケイは鈴のような声音に毒を混ぜた。


「流石は強者揃いと称される北の皇国の後嗣でいらっしゃる。……けれど、どちらにせよ、私を討つことを焦る必要はございませんよ」


優婉な微笑に最大限の皮肉を込めて、ケイは喉を震わせた。


「あなたは、私の命など、いつでも指一本で握り潰せるのですから」

「俺は、無用の殺生はせん」


真っ直ぐな目でケイを見つめて、皇子は神の代弁でもするかのように堂々と誇り高く言い切った。


「殺されたくないのなら、それなりに善悪と常識を弁えて生きていろ。そうすれば、お前も我が国の民として、扱ってやらんでもないのだからな」

「ふふっ、それは……難しいことで、ございますね」


敵国から来た者相手に不可能に近いはずのことを告げながらも、皇子のその言葉に偽りはないのだろうと、なんとなく分かってしまって、ケイは何とも言えぬ胸の騒めきを覚えるのだった。

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