第10話

帝国の最北端の街の宿で、ケイは皇子の次に上等な部屋を割り当てられた。

見張りの兵士が入り口の外に立ち、部屋の中には侍女が一人。

侍女の少女はケイの世話のために、片時も離れない。

澄んだ青色の、随分と聡明な瞳をしていた。

まるで、この世の醜い淀みを目にしたことなどなさそうな少女だった。




「私は、きっと暗い後宮の奥深くにただ閉じ込められ、飼い殺されて終わるのでしょう?」


窓の外でパラパラと降り始めた雨を、暖かな部屋の中から眺めながら、ケイはぽつりと誰へともなく問いかけた。


「何を、おっしゃいますか」


返事をするのは当然、部屋の中にいるケイではないもう一人、真面目そうな侍女の少女だ。

困ったように否定する少女は、必死に言葉を探しているが、短い人生経験の中からでは、ふさわしい見つけられなかった。

ケイは少女が困惑し焦っていることを知りながら、悲しげに目を伏せて唇を噛んだ。


「だって、帝国には捨てられ、そして皇子殿下は、私に触れようともなさらないではありませんか。きっと、……もう私が、美しくないから」


そこまで言うと、両手に顔を伏せ、小さく肩を震わせる。

まるで自暴自棄になり、世を儚むように泣き崩れるケイは、大層儚く、見る者の哀れを誘った。


「ケイ様……」


侍女が己も目に涙を浮かべて寄り添えば、ケイは手を伸ばし「優しい子」と消えそうな微笑みを浮かべて額に口付ける。


「私がどこかに打ち捨てられたら、あなたも迷わず私をお捨て」

「ケイ様……!そんな、そんなこと、ありませんわ。皇子はお優しい方です。きっと大切にして下さいますわ」


ケイと皇子のこれまでの会話など知らぬ侍女は、必死になって慰めを言い募る。


「ふふっ、あの方がお優しいのは、あなた方があの方の愛する臣民だからですよ……。男とも女ともつかぬ異邦人の私は、きっと忌避されているのです」

「どんな女性も、ケイ様には敵いませんわ!帝国のスルタンをも魅了された方が、そんなご自分を卑下なさらないで下さいませ」


涙ながらに訴えてくる少女に、ケイは疲れきったような顔で諦めの笑みを浮かべた。


「私は……そのスルタンに、捨てられたモノですから」

「ケイ様……」


とめどなく瞳から涙を生み出す少女の手を引き、ケイは少女を抱きしめる。


「あぁ、あなたはとても心の綺麗な優しい子ね。どうか幸せが続きますように」

「もったいないことにございます。ケイ様のようなお方にお仕えできて、私は既にこれ以上ない幸せ者にございます」


純粋な敬愛と崇拝の眼差しに、ケイは瞳を潤ませて、喜びに声を明るくさせた。


「あぁ、本当?あなたは私が好き?馬で野山を駆ける男のように逞しくも、ましてや美しく身を飾る女のように柔らかくもない、みっともない人間なのに」

「えぇ!勿論でございます。ケイ様ほどのお方はおりません。心より敬愛し申し上げております」

「本当に、可愛らしい子」


涙の雫を零そうとする眦にそっと唇を寄せ、ケイは柔らかく侍女の背を抱きしめた。


「あなたは、私のために泣いてくれるのですね」




***




「お前、何をした」


夜遅く、ケイ一人しかいない部屋へ、不機嫌を隠しもしない皇子が唐突にやって来た。

夜の訪れにしてはあまりにも色気のない登場に、思わず吹き出しそうになりながらケイは皇子を迎えた。


「何か、とは?」

「お前につけている侍女の娘に何をした?あの深慮な娘が、泣きながら訳の分からぬ直訴をしに来たぞ」

「おやおや」


さしたる驚きも見せずに首を傾げれば、皇子はさも腹立たしそうに、ケイの許可を待たずにソファに荒々しく腰掛けた。


「お前が泣いている、帝国を追われたお可哀想な方になんと心ない対応をなさるのか、そんなお方だとは思いませんでした、国の模範たるべき皇族として恥とはお思いになりませんか、あぁケイ様がおいたわしいことでございます……ときた。なにが起こっているのか、急すぎて俺にはさっぱりだったぞ」


皇子は疲れたように深いため息をつきながら、手慰みに腰の剣を指でコツコツと叩いている。


「これが皇宮だったら、不敬罪で処分されてもおかしくないような有様だったぞ。何と言って唆したのか知らんが、哀れにもほとんど恐慌状態だった。……お前、あの娘に、何をした?」

「ふふっ、別に、ただ仲良くお話しただけですが?」


疑いの目で睨みつけてくる美しい濃紺の瞳に浮かぶ青い炎に見とれながら、ケイはにっこりと微笑んだ。


「ここにいる誰もが、皇子殿下の愛する大切な臣民なのでしょう?ふふっ、彼らと私の仲が縮まることを、喜んでは下さいませんのですね」

「喜ぶとも。お前が真っ当に、彼らの敬愛や忠義に応えるのであれば、な」


当然のごとく言い切った皇子の強い口調に、彼の公正な精神は感じはしたが、ケイはつい笑ってしまった。


「あははっ!私が彼らの想いに応える、のですか?」


あまりにも、皇子の意見がマトモで、生まれつき上に立つ者の、「持つ者」の言葉だったから。

ケイはつい、制御の難しい苛立ちに身を任せてしまった。


「なにも持たぬ私が、どうやって?

あぁ、それは、もしかして……私の、カラダで?」

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