烏合の衆
冷たい雨がつづいている。フェールは三百の〈少年〉とともに川岸を進んでいた。
道はぬかるみ、ほとんど泥水の溜まりと化している。右手は急な傾斜の雑木林で、たまに木々のあいだから川の流れが見えた。左手は切り立った崖。エミリアによると、だれかが山を水平に削り、このような道をこしらえたのだという。ありがたい話だが、どうせならもう少し幅を広げてほしかった。向こうから荷車が来たらどうすればいいのだろう。
エミリアはフードをかぶり、杖をつき、もくもくと隣を歩いている。白い羊毛の僧服はたっぷりと泥水を吸い、裾はほとんど膝まで汚れている。弱音は吐かない。
「裾をたくすのも規則違反なのかな」
ちらと顔を向けた。鼻先がフードの奥からのぞいた。
「靴下もみっともなく汚れておりますので」
着物をつまみ、そっと持ち上げた。エミリアは白い布靴を履いていた。靴下は黒。もちろん濡れ、泥まみれだ。
泥水の池が行く手をふさいだ。フェールは先を行く荷車を見た。浅い溜まりだろう。
「担いでやる。一張羅がひどいことになる」
「はい。よろしくお願いいたします」
エミリアはおずおずと手を伸ばし、フェールの肩に乗せた。首の後ろで指を組む。フードの奥で唇の端が持ち上がる。フェールはすまし顔を保ちながら背に触れ、屈んで膝の後ろに手を差し入れた。
だれかが後ろから両肩をつかんだ。力任せに引き寄せる。フェールはあわてて手を離した。
イーファはエミリアをひょいと抱え上げ、揺すって胸に寄せた。
泥水にざぶざぶと入っていく。フェールはわれに返り、急いであとを追った。エミリアは王女様の首にしがみつきながら振り返った。笑みを押し殺している。
イーファは片膝をついてエミリアを下ろし、振り向いてフェールを見上げた。いつになく真剣な眼差し。黒の髪は濡れそぼち、白い肌に雨の筋が伝っている。
「エミリアといるな。隊をまとめろ。これでは烏合の衆だ」
「世について教えてもらってたんだよ」
「おみ足を眺めながらか」
先で怒声が上がった。フェールは目にするなり駆け出した。
「構わず牽け。片輪は地面についてる」
鶏を入れた荷車が川のほうに傾いている。左の車輪が水溜まりの中に沈み込み、〈少年〉が数人、腰まで泥水に浸かり、荷車の底板をつかんで支えている。先頭のやつらは通るときに確認しなかったのか。
フェールは背嚢を外して捨て、水溜まりに飛び込んだ。屈んで底板に肩を入れ、ありったけの力で持ち上げた。老鶏が羽根を打ち、檻の中を飛びまわる。足場は緩く、踏ん張りが利かない。そもそも荷車は重い。
レイが加勢に来た。荷車は傾いたままどうにかこらえている。
「隊長、こっちはいいから命令してくれ」
「わかった」
フェールは水溜まりから這い出した。貧相な牛が一頭、首に軛をかけ、立ち尽くしている。牛をけしかけるどころか、周囲には一人の〈少年〉もいなかった。
行く手を見、いやな予感がした。少し先に新入りの一団が固まり、まさにこちらを見物していた。カーニーは取り巻きを従え、黒い戦斧を担ぎながら、口にせせら笑いのようなものを浮かべている。
隣にアイラが立っていた。フェールは混乱した。レイが叫んだ。荷車がさらに傾き、牛がわずかによろめいた。轅がねじれて折れてしまうかもしれない。
後続の〈少年〉たちがやってきた。次々と水溜まりに入る。
「後ろから押すんだ。三人、前に来てくれ。荷車を引く」
フェールは轅をつかみ、思い切り引いた。牛は頑として留まっている。残りは荷車の後ろにつき、押している。ぴくりとも動かない。
雨が強まる。右の車輪がきしみ、横滑りした。フェールは声を上げ、注意した。真下に入って支えられればはやい。溜まりの水を抜ければの話だが。
水溜まりの川側を見た。急激な下りになっている。
フェールはひらめき、水溜まりに飛び降りた。長剣を鞘から抜き、両手で構え、天に向けて振り上げた。
川側の穴ぼこの縁にたたき落とした。茜色の刃はやすやすと大地を切り裂く。フェールはえぐるように右肩を入れた。石も土も根も構わず両断していく。
ほとんど背を向けるようにして突き上げた。剣を鞘に戻し、えぐり取った土の塊を蹴りつけた。動かない。肩まで水に入り、押す。
塊がずるりと動いた。さらに押す。奥、川のほうに。
土の塊が坂に達した。雑木林をどさどさと転げ落ちていく。溜まりの水が勢いよく逃げ、みるみる水かさが減っていく。
フェールは指示した。
「下から支えろ。ほかのやつは押せ。引け。このあと飯を食うぞ」
数人が屈んで下に入り、背で押し上げた。とにかく引き、押す。荷車が水平を保つと、牛が歩きはじめた。片輪が動く。しっかりと土を噛んでいる。
左側の車輪が穴ぼこの縁についた。さらに引き、押す。老鶏はおとなしくしている。
後ろの車輪が地についた。自然と歓声が上がった。フェールは腕で顔を拭い、半円状にくり抜いた道端を見た。妙にいい気分だった。〈旧式〉の武器が戦以外ではじめて役に立った。
アイラを思い出し、穴ぼこから這い出た。カーニーに詰め寄る。取り巻きはすでに武器を構えている。
「どうして黙って見てた」
カーニーが答えた。
「おれのせいじゃねえ。あんたの部下のせいだろ」
「飯を食いたければ協力しろ。アイラを離せ」
「なんでだよ。こいつから来たんだぜ」
フェールはアイラを見た。アイラはカーニーにしがみつき、叫んだ。
「独り立ちしろって言ったじゃない。だから、好きにしてる」
「だめだ。離れろ」
イーファが言っていたのはこのことか。カーニーは歪んだ笑みを浮かべ、アイラの脇の下に手を差し入れた。胸のあたりをまさぐる。アイラは唇を噛み、かたくなに留まっている。兄に復讐している。愛を返さない兄に。
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