ある海の上で

ろくろわ

メロディーは届かない

 男は釣り上げた獲物を確認すると同時に、反射的に両手で耳を塞いだ。何故なら男の船の上に釣り上げられたのは紛れもない人魚だったから。


『人魚の歌は命を奪う』


 男は小さい頃、人魚を助けたことがあった。だけどその話をした時『人魚の歌は命を奪う』と教えられた。そして船を使う漁師となった今、これは漁師の間で有名な話だった。

 美しい声色で惑わし、船を沈める。

 だから男は人魚の歌を聴かないように耳を塞いだまま、この状況を考えた。

 どうして釣り針に掛かったのか?

 人魚の口は人間だ。なら、餌を口で噛んだのか?いや、釣り上げた時そんな様子はなかった。考えられるのは手で針を引っ張った。もしかしたら海の底に引きずり込むつもりだったのかもしれない。


 男は驚愕した目で人魚を見た。


 ◇


 人魚は驚いた。

 たまたま海上近くに来た時、船の上に居たのは、昔、網に掛かった自分を助けてくれた上手な歌を歌う男だったから。


 人魚は是非お礼がしたく、男の垂らす釣糸を頼りに船の上に上がった。

「あの時、網から救ってくれてありがとうございました!貴方が船で歌う歌をいつも聴いていました」


 だけど、男は耳を塞いでいて人魚の声は届いていなかった。



 ◇


 男は耳を塞いだまま、人魚を見る。人魚は船に上がるとずっと口をパクパクさせ、手を大きく広げている。それはまるでオペラ歌手のようだった。

 男はまた、考える。このままでは命を取られると。

 ならどうすべきか。

 人魚の上半身は人で下半身は魚だ。

 もし刃をたてるなら……。


 男は耳を塞いだ両手が離れ、かつ人魚の歌を止める方法を考えた。


 ◇


 人魚は耳を塞ぐ男を見て、身振り手振りで何とかお礼を伝えようとした。人魚は聞いたことがあった。人は自分と異なるものを見た時に畏怖すると。

 きっと私の姿が怖いに違いない。

 人魚は精一杯笑顔を作り、ゆっくりと、ただお礼が伝えたいと話した。


 ◇


 男は自分を見る人魚が、ニッコリ笑ったことに更に恐怖を感じた。きっと殺される。

 男は船においてある包丁の場所を確認し、意を決して人魚に近づき、その口に口付けを交わした。



 ◇


 ゆっくりと人魚に近づきキスをした男の行動に、人魚は驚いたものの、すぐにそれは喜びに変わった。ずっと会いたかった恩人からのキス。

 いつの間にか人魚の中で男の存在は大きくなっていたのだ。



 ◇


 男は自分の口で人魚の口を塞ぎ、両手を耳から離してみた。男の思惑通り、人魚の歌は聞こえない。

 男は口付けを交わしたまま、船に乗せていた包丁を手に取り、人魚の背部に振り上げた。


 ◇


 人魚は男に触れてはいけないと思っていた。だけど男の口付けに嬉しく、思わず男に抱きついた。あまりにも嬉しくて、目からは自然と涙が溢れた。


 ◇


 男が包丁を振り下ろすまさにその時、人魚が急に優しく男の事を抱き締めてきた。男は思わず後ずさりしてしまい、その口が離れてしまった。

 しまったと男が耳を塞ごうとした時、男は気付いた。

 人魚が一粒の真珠の涙を溢していることに。


 ◇


 人魚が男を抱き締めると、男は後ろに下がりその唇が離れた。人魚は男をしっかりと見つめ、そしてお礼を伝えた。

「あの時、助けてくれてありがとう。いつも海の底で貴方の歌を聴いています。ねぇ聴いて。私も貴方の歌を覚えたの」

 そして人魚は歌を口ずさみ海へと飛び込んだ。


 ◇


 男は涙を流した美しい人魚の前で立ち尽くした。

 彼女から悪意は感じなかった。ただ、人魚の口から出ている声を聞き取る事は出来なかった。人魚の声は人が聞き取れる声ではなかった。そしてその後、人魚が口ずさんでいた歌のようなメロディーも、男には聴くことが出来なかった。


 ◇


 つい、数分の出来事であった。

 男は人魚を殺そうとし、人魚は男にお礼を伝えた。お互いの想いと意図は伝わらないまま。

 それでも男は命が助かったことに安堵し、人魚は想いを歌にし伝えられたことに満足した。


 例え、それが男に聴こえないメロディーだったとしても。



 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ある海の上で ろくろわ @sakiyomiroku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ