第53話


 外はとっくに日が暮れていた。

 黒に青が混じったような夜の色の装束は美しく、難しい。迷夜が一旦、考えるのを止めるくらいに。

「一旦は区切りが付いたって、思っていいのかしらね…?」

 夜空を見上げながら、迷夜は首を傾げる。ぽつりぽつりと灯りがあるので、多少夜目が利けば充分歩ける。

「まぁ、王后様に話は通したからな。他の王族らもそうそう手出しは出来んだろ」

 遊道がざっくりとした答えをくれた。

 王后を疑う訳では無いが、王族だって色んなのがいる。完璧に大丈夫とは到底思えないので、しばらくは自分なりに身の安全を注意しておこうと思った。自分と、梢花の分。稜星たちは自分たちでそれぞれどうにかするだろうから。迷夜はその足を引っ張らないように、頑張ろう。

「迷夜」

 稜星が呼ぶ。…この人の、自分を呼ぶ声は不思議だ。追い詰められてる気分にさせられる時もあるのに、いつも仄かに甘い。仄か、なのが曲者なのだ。もっと欲しいと求めてしまいそうで。……。今、何考えた自分。

「うん?」

 直前まで考えていたことを頭の片隅に置いやって、迷夜は気の無い返事をした。

「これから、迷夜はどうするんだ?」

「王様、亡くなられたからねぇ。うーん…。一応、父様に文を送ってみる。何か指示があるか確認してみなきゃ」

 王都に拠点を作る、という計画が何処まで進んでいて、王の崩御に伴って支障は無いのか、が知りたいところだ。

「父様と話したのが、何だか、遥か昔に思えるわ…」

「実際は、今年の初めに話が出たばかりなのですけどね…」

 梢花が同意するように頷く。

「『帰って来い』って言われることもありえるかなぁ?」

 逆に、帰らなくても良いと言われた場合は、後宮に逗留は出来るものなのか。そんなことを思っていると。

「じゃあ。これ、要るか?」

 稜星が箱を示した。中には簪が入っている筈。

 父の課題のことは梢花には伝えてあるが、稜星には教えていない。ならば『要るか?』と訊いてくるのは、迷夜の父親が作ったものだと知ったから気を利かせてくれたのか。そのうち、語ることもあるだろうか。迷夜に出された課題のことや、後宮入りの理由なんかは。

「父様に見せたい気もするけど、絶対にそうする必要は無いし…。何よりそれ、稜星さんにとって大切なものでしょう? 王后様も言ってたけど、稜星さんが持ってるのが良いと思うよ?」

 綺麗で見惚れてしまうけど、迷夜のものでは無い。稜星が大切にするべきものだろう。

 稜星がほんのり笑う。いつの間にか、すぐ傍に居た。

「俺が大切に仕舞い込んでもなー、とか思ったから訊いたんだけど」

「? ん?」

「ま、迷夜に渡す機会はこれからもあるか。預かっておくとしよう。…これから、か。俺にしては珍しく先のことに希望を見出してるなー」

「……え?」

 渡す機会? 稜星の話が理解出来ていない気がする。

「あ。そうだな。稜星。希望持つのは良い傾向だよな」

「いや、待て。何の話だ、お前ら」

「親父殿は変なところで勘が悪いよな」

「稜星様。私も迷夜様が簪を挿したところは見たいので、その機会が訪れた時は是非ご一報くださいね」

「了解」

 稜星と梢花と孝心の間では何かが成立したらしい。遊道は多分、放って置かれている。

「梢花…?」

 混乱してきたので、自分の侍女に問い掛ける。

「迷夜様、全然装飾品など付けてくれないので。私だって、迷夜様を着飾らせたい願望はあります。でも、いつも必要無いって断られるので。この際、妥協します。首飾りや耳飾りは百歩譲って無しで良いです」

 梢花にそんな願望があったとは。今まで考えたことも無かった。だって、梢花は美人で、着飾るのが当然で。迷夜はその支度をするのが楽しくて。

「付けても良いと思える可能性があるとしたら、その簪だけでしょう?」

「『付けても良いと思える可能性』…?」

 何それ。

「未来のご夫君からの贈り物ですものね」

「…………ぁ」

 言葉にならない、出来ない? どっちだ。どっちでも大した違いは無いのか。…いや、駄目だ。誤魔化せない。敢えて余計なことを考えて、考えないようにしていたのに。頬も耳も熱い。

「それ、は」

「別に夫になった後に、贈っても良いんだけどな。いつになったって。…俺は王族じゃないんだし、『賢夫人への贈り物』に拘らずに、ただ好きな相手に贈りたいって意味合いの方が強いし」

 好きな、相手。頭の中でその言葉が回っている。稜星が目を細めている。

 母が言っていた。父のことを『ほんのり悪い男で、そこが格好良い』と。…困った。理解出来てしまった気がする。

「近い内に迷夜の家族に挨拶に行かないとな」

 宰相に宣戦布告していたのと同じく軽い口調で、しかし重いことを言う。

「そんな話になってたのか…」

「親父殿。今、邪魔しないように」

 外野の声が遠い。

 その際の父の反応が読めない。いや、今そんなこと考えてどうする。現実逃避したいのに、逃避し切れていない。考えて、しまっている。

「迷夜?」

 誤魔化せない。

 仄かな甘さ。翻って自分は? この人にはどう捉えられているのだろう。この人の見る、私、とは。

「稜星、さん」

 呼び返してみる。

「うん」

「……。私が付ける気になるかは、分かんないけど…とにかく簪は…今は、稜星さんが持っててちょうだい…」

 他に言えることなんて、無くて。ぼそぼそとそれだけ伝えた。

いつか改めて、この人は贈ろうとするだろうか。自分は受け取るだろうか。先のことは分からないけど。

「分かった」

 それでも今、稜星が嬉しそうだったから、迷夜も嬉しくなったのは本当だ。


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