第51話

「はい。えっと…『李稜星様へ。この箱の中身については、滄珠の地の許大盟殿、若しくはその娘の秦迷夜殿に詳細を問い合わせてください』。……こんなところかしらね」

「……………。はぁあっ?」

 王后以外、誰もが叫んでいた。迷夜に注目が集まる。衛士に名乗ったから、王族たちも迷夜の名を知っている。なんてこと。

「え? 私…?」

「いや、何で。迷夜に」

「旦那様の名前もありますけど」

「名指し…?」

「知り合いなのか?」

 波紋が広がるように、部屋の中が騒がしくなっていく。

 迷夜はそっと、稜星の手を放した。そして、王后に問い掛ける。

「…私は、王様を直接存じ上げないのですが、父がどうなのかは分かりません。…王様は、父とお知り合いなのですか? 父が、私の話でもしたのでしょうか?」

 王后は声を立てて笑った。口元に手は当てているけれど、お行儀としてはちょっと駄目かもしれない笑い方だ。それだけ楽しそうでもある。

「貴女なら、この箱の中身を見れば分かるんじゃないかしら? 開けてちょうだい。稜星様」

「…はい」

 稜星が箱を手に取り、開ける。

「わ」

 そこに在ったのは、銀細工の簪だった。

「これ、は…」

 恐ろしく繊細な作りの、細工。梅の花の付いた枝を模したものと思われる。蕾やほころんだ花も本物そっくり。しっとりと露に濡れた風情すら感じられる。石は無く、銀のみで作られていたが、これについて価値が低いと言う者は、確実に見る目を持たない。そのくらいの逸品だ。迷夜なら何時間でも見てられると思う。自然に目が吸い寄せられるようだ。

「…父の作品、です」

 集中する。頭の中で帳面を捲る。これは。

「……。今から十七年前に、父が依頼を受けて作ったものです。依頼人は」

 その氏名と住所を告げる。

 王后が頷き、遊道が驚愕の声を上げた。

「淳風様が、お忍びの時に使っていた名前ね」

「俺が、両親と住んでた家の住所だ。…喜雨が死ぬ前に居た、場所。何で…」

「……淳風様は、貴方がたのことを心配して、一度お家を訪ねたことがあるようなの。そこしか氷輪様に繋がる方を見つけられなくて。…結局、お引越しした後で会うことは適わなかったそうだけど。許大盟殿に住所を確認された時、そこを教えてしまったと話してらしたわ」

 王にとっても覚えていなくてはならない場所だったのか。亡くなってしまった女性の、縁の深い場所。

「純銀製の簪。『賢夫人への贈り物』…」

「『賢夫人への贈り物』?」

 首を傾げる稜星に、迷夜は頷く。

「瓏の国の…荷王家の逸話にね、こんなのがあるのよ。…今から三百年くらい前に、国が荒れていた頃のお話です」

 口調を改め、語る。迷夜には父が語ってくれたっけ。

「時の太子が、佞臣の企みに打ち勝って即位することになりました。その際に、自分の母親以外にも、自分を助けてくれた別の…父王の妃がいました。即位式の日、太子は、自分の母親に頼んで、母が身に付ける予定だった簪を一本貰ったのです。そして、その妃の髪に挿したのでした。…もう一人の母に、尊敬と感謝をこめて」

 心から、貴女に。

「それが銀の簪だったから。大体的には知られて無いようだけど、以来、装飾品を扱う者たちの中では銀の簪は『賢夫人への贈り物』と尊ばれることがあるのよ」

 王城の方にも逸話は残っていた。後宮に来たばかりの頃、書庫で逸話集を探し、読んでみたら載っていた。王の意図は明白だ。

「尊敬する女性に、それを伝えるためのものよ」

「主上から、母さんに?」

 そして迷夜は悟る。父の言う『最高傑作』はこの簪だ。…依頼した王はもう亡い。辛そうな顔をしていたという人。己のいるべきでは無い玉座に留まり、善政を敷いて。憂いは多少は晴れたのだろうか。

「…思い、出した」

稜星がぽつりとこぼした。

「この箱…、母さんのだ」

「え?」

「父さんが作った箱なんだ。結婚したての頃、簪を貰った時にこの箱に入れて贈ってくれたって。母さんが言ってて見せてもらったことがある。勿論、こんなに良い簪じゃなくて、銀色だったけど純銀なんかじゃなくて。母さんが殺された時に…簪は壊れてるのが見つかったけど、箱は無くなってて」

 王は。その時からずっと。稜星に箱を返したかったのか。そして喜雨のことを讃えていた。息子を守った女性を。十七年も前からずっと。いつか渡せたら、伝えられたら、と。

 それが今、叶えられる。

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