第45話

 王城の、無駄に広い部屋の中に、王族たちは集まっていた。密談のためにである。が、何しろ無駄に広いので、囁き声ですべき話は全く通らない。大きな卓を囲んで、こちら側とあちら側で会話をするのも一苦労だ。

「何を考えているのですか、棠山殿! 勝手に、李稜星を捕縛しようなどと!」

「王后様に言われたことを忘れたのですかっ?」

 結果、徐々に怒鳴り声になってくる。

「う…るさい! 箱の中身が気になるだろう! 奴を連れて来ようとして何が悪い!」

「悪いに決まってるでしょう! 脅したり懐柔したり、色々手はあったでしょうが! いきなり襲撃しますか、普通?」

「しかも連れて来れて無いですし…。今後、より警戒されますよね。どうするんですか、これ…」

 口には出さなかったが、部屋に居たほとんどの人間が、この馬鹿が、と思っていた。宰相を軽視する空気が形成されつつある。

 恋麗は流石に声を潜めて、隣に座った父に物申した。扇を口元に当てる。

「ちょっと、お父様! どうするんですの! 皆様が呆れていますわ!」

「い…や、しかし。これは仕方が無いことだったんだよ。恋麗」

「仕方が無いって何ですの? そんな殿方の一人くらい、さっさと殺してしまえばよろしいのでは?」

「私もそう思ったから、あいつらを雇ったのに。役立たずどもが…!」

「ち、父上。恋麗も。そのくらいに」

「お兄様は黙ってらして」

 傍に居た兄にぴしゃり、と言い放つと、恋麗はまた父に愚痴を言い始める。

「わたくし、人生でこんなに立て続けに嫌な目に遭うなんて、思ってもみませんでしたわ。あの新入りの妃が、王后様の前でわたくしを侮辱してきて…! 更には、他の妃たちに言い付けて、出自のことで恥をかかせようとしても一向に堪えた様子が無いだなんて…!」

 扇を握り潰したくなるくらい、腹が立っている。何なのかしら、あの妃。

「…私は気付かず、後で他の者に聞いたのだが、それらしい小娘が李稜星と共に書庫にいたとか」

「どうして気が付かないんですの、お父様! わたくし、先程その話を聞いた時に思ったんですのよ!」

 捲し立てていると声が高く、大きくなってくる。

「後宮の妃が、書庫に! 殿方と! 何か弱みを握れる好機だったのかも知れませんのに! …いいえ。真実なんてどうでもよろしいのよ。 でっち上げてしまえば、それで」

「そうね。真実を無視したがために、現在の王族は荷王家の血を継いでないのですものね」

 恋麗の背後から、無邪気に声が掛かった。だが、その内容は容赦が無い。

「…っ! あ」

 ぎこちなく振り返る。

「恋麗ったら、お喋りさんね。この部屋、声が響くから内緒話は向いていないわね」

「王后、様」

「だいぶ興奮しているようだから、それで大きな声になってしまった、というのもあるでしょうけど。…彩維にも迷夜にも、あんまり意地悪しちゃ駄目よ?」

 やわらかく笑いながら、王后がこちらを見つめている。恋麗と、棠山を。そして、王后は表情を消した。

「棠山」

「はいっ」

「まあ、良いお返事ね。でも、私の言ったことは、守れないのね? 残念だわ」

 ぞわり、と背すじに冷たいものが走る。

「いえ。あ、の。王后様。それはっ」

「淳風様が亡くなって、ほんの数日だというのに。こんな有り様だなんて。…顔向け出来ないわ」

 落ちこんだような様子の王后だが、その目には怒りの色が見て取れる。ああ、この人は怖い人だったのだ、と恋麗は身を縮めた。

 王后・斗果南は先々王の姉の血筋。先王が真に先々王の血を引く子であれば、淳風とは、はとこの関係に当たる。この部屋の中では、唯一の王族。自分たちとの差を思う。

「……」

 王族を名乗りながら、王の血筋では無い。それを知った者たちは、取り乱した。当然だ。これまで生きて来て、己が血は、何よりも誇れるもの。己のよすがだったのだから。…なのに、それが嘘の上に成り立っていたのだと、王の遺言状は伝えてきた。

 これから、どうしろと?

 これまでとは違って、己の身が、血が、厭わしい。そんな馬鹿な話があるか。何故、王は。その死の後に、同族に真実を突き付けるような真似を。…無かったことにしてしまえは良かったのでは。血の証明など簡単に出来ることでは無い。明らかにしなければ、済む。そこでお終い。

 或いは、遺言状の存在を握り潰せていたら。王の遺志がどうであれ、それこそ無かったことに。だけど、それは出来なかった。…王后が『内容を知っている』と言ったから。最初の鍵を預かっていたのは棠山で、箱そのものは王后が管理していたのだから、誰かの手による偽造は在り得ない。

 王が遺言状の作成を始めたのは三年前からだそうだ。そして遺漏なく書き終えると箱に仕舞ったのだという。その頃から、王族の混乱など読めていただろうに。

 王と王后の間に子は無い。よって、次の王として可能性が高いのは、棠山だった筈。

「どうして、こんなことに…!」

 喉の奥で唸っただけのつもりだったが、王后の耳は恋麗のその言葉を拾ったようだ。

「『どうして』…? そうね。淳風様もそう仰っていたわ。ご自分のおばあ様にお話を伺った時に」

 王后の声音は静かで、この部屋に沁み入るようだった。それでいて、先程まで怒鳴り声を上げていた者たちに響く。

「淳風様は悩んでいたわ。だけど、あの方が悩んでいたのは、どちらかと言うとご自分のお父様が犯した罪について」

「罪…?」

「淳風様のお父様つまり先の王は、先々王弟の一族を根絶やしにしかけたのよ。唯一生き残ったのが、当時はまだ赤子だった氷輪様。現在、問題になっている李稜星様のお父様ね」

 王后はそこで言葉を切り、周囲を見回した。

「今、『その時、取りこぼさずに殺しておけば良かったのに』と思った方。顔に出ていたわ。覚えておくわね」

「っ!」

 紛れもない本音を、王后に見透かされた者たちは心の臓が止まった気がした。

「恥を知りなさい。…王の血筋で無いことは、貴方がたの所為では無いわ。それでも、ほんの赤子の死を、ただ己が利のためだけに望むなど。王族である前に、理性ある人間として失格よ。先の王など、実際に殺しに行くように命じたのだから最たるものね。…もう一度言うわ。恥を知りなさい」

 夫の父親、しかもかつて王位にあった者を、いとも簡単に貶して王后は息を吐いた。

「淳風様は、同じ轍は踏まぬようにと、知った後は自らを律していたわ。…だけど、十七年前。先の王の命に従った者たちが…まだ、その命令を覚えていた。今度は稜星様のお母様を殺してしまった。淳風様は気が付いて止めようとしたけれど、防ぐことが適わなかった、と」

 王后は一度目を伏せ、再び開く。

「私は、淳風様を知っている。お父様の罪を知ってからは、苦悩していたあの方を知っている。その上で、己が王に相応しいかをいつだって自問自答していらした。己が血がどうでも、本当に王であろうとした方よ。…その方の、遺志を曲げることは決して許さない」

 あの時の、あの妃を思い出させた。自分の、大切な誰かの誇りを守ろうとする、目。これは恋麗に欠けているものだ。腹立たしくはあるが、紛れも無い事実だ。

 王后は元々座っていた席までゆっくり戻っていく。

 卓に置かれた箱。それを皺の目立つ、けれど綺麗な手で撫でる。鍵は細い鎖を通して、王后の首に掛かっている。

「鍵を無視して、箱を壊すことは出来る。私を殺して、鍵を奪うことも出来る。…そもそも、私の方が先に逝った場合は、今この状況が成立しないわね。ふふ。かと言って、私が淳風様より長生きしたとして、私に『遺言を伝えておいてくれ』と言って置くのだけだと、ちょっと信憑性が弱いかしらね? でも、どうにか生きているのだし、こうして箱は開かれたのだから。やっぱり私は淳風様のご遺志を尊重したいわ。…そろそろ暗くなる頃ね。灯りを点けてちょうだい?」

 自分の命が脅かされる事態も予測し、それでも王后は軽やかに笑った。


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