第34話

 夕刻になって都合がついたのか、彩維と矢厳がやって来た。書庫は現在、遊道の権限で人払い中である。

 卓を囲んで腰掛ける。四角い卓に稜星と孝心、迷夜と梢花、彩維と矢厳がそれぞれ隣り合い、遊道が一人で座る。遊道の向かいに迷夜たちだ。梢花が立ち上がりお茶を淹れてくれる。

 稜星が、書庫で襲撃された話をかいつまんですると、矢厳が頭を抱えた。

「そこの妃」

「はーい」

 迷夜の返事は、聞いただけでは能天気にも思えるものだった。これが稜星や孝心相手なら『返事は伸ばさないでください!』と、矢厳は指摘しただろうが、流石に他所のご令嬢には言わなかった。ちなみに矢厳は、彩維には決してそんな態度は取らない。そもそも彩維は能天気な返事が言える余裕が無いだろうが。

「…あんた、襲撃時に稜星様と一緒にここに居たんですよね?」

「うん」

「もう少しこう、動じるとか何とか、無いんですか! 話聞いてると、あんたの思考回路が不可解過ぎて不安になるんですよっ、こっちは!」

「少しはびっくりしてるわよ?」

「少し、ですかっ?」

 それは、迷夜が自分自身を嫌だと思っている話に繋がるのではないか。そう考え、矢厳の言葉を止めようとした稜星だが、その前に迷夜がこちらに視線をくれた。

「稜星さん」

「ん?」

「これが一般的な反応よ」

 矢厳を指し示して真顔で言う。

 稜星は目を細めた。成程。迷夜の行動や言動を把握した上で、求婚した自分は一般的では無い、と。

「俺、迷夜に一般的とか求めて無いからな」

「求めましょうよ、そこは。その方が周囲の皆も安心すると思うし」

 謎会話を、矢厳が切って捨てた。

「で? 何なんです、あんたはっ」

 迷夜は、一応は彩維の指輪を取り戻した恩人の筈だが、矢厳の舌鋒は鋭い。…彩維の為だろう。幼い頃から知っている従兄であっても、彩維は怯えるのだ。恩人である迷夜も然り。迷夜も、彩維が『何考えてるか分からなくて怖い』代表格になってしまったようだ。

「襲撃に関して言うなら、ただ慣れてるだけよ?」

「は?」

 迷夜の発言には矢厳だけでなく、遊道も孝心も彩維も、勿論稜星も驚いた。梢花のみ、ゆっくりと頷く。

「旦那様、敵が多いですものね。…あっと」

 お茶を淹れようとして、こぼしかけている。

「父様の仕事についてくと、たまに遭ったの。商談が失敗して逆恨みで刃物で切りかかってくる人とか。馬車に乗ってた時に『稼いだ金、全部置いてけ』とか言って賊が道を塞いだこともあったっけ。後は、仕事場に火を付けられたこともあって…あれは小火で済んで良かったわね。それから」

「いや、もういい!」

 矢厳が止める。彩維が青褪めているからだ。

「そういう場合、どうするんだ?」

 迷夜があっけらかんとしているのでうっかり聞き流しても良い気になっていたが、どう考えても非常事態の話だ。稜星は確認することにした。

「護衛は付けてるし、他にも対策してるよ? うん。…でも」

「でも?」

「……賊とかが相手の場合、『仕事続きで体が鈍ってるんだよな。運動不足解消に丁度良い。行ってくる!』って、父様が一番に飛び出してくのがいつもの流れね。護衛の皆さんは止めるに止められずに一緒に戦ってくれるんだけど」

「そうして屋敷に帰って、奥方様に叱られるのもいつものお約束ですね」

「まぁ、お約束になっちゃってるから、諦めの入ったあんまり怖くない叱り方だけどね」

 書庫に沈黙が満ちた。

「……。うちの親父殿以外にも、突っ走る系中年が居るんだな」

「有り難くない仲間だな」

「孝心、稜星。どういう意味だ」

「…遊道様。普段が普段ですので言われても仕方が無いかと」

「矢厳…」

 男性陣が書庫内での一番の年長者を、労わりもせずに好き勝手に言っている。それを聞いて、ほぅっと彩維が息を吐いている。普段の空気に少し戻った、と気が抜けたのだろう。矢厳が目に安堵の色を浮かべた。梢花がお茶を淹れ終わり、座り直す。

 それを見届けて、稜星は迷夜に声を掛けた。

「で、迷夜」

 一般的では無い認定、を受けたので、敢えて話を振る。

「何か、疑問に思うことは?」

 こちらの事情のほとんどを、まずは明かさずに迷夜がどう見るか、聞いてみたかった。自称『性格が悪い』彼女に。…自分は意地が悪いだろうか。

「……。どうして。宰相様は稜星さんを捕らえようとしたのかしら」

「ふぅん?」

「だって。稜星さんの血筋がどうであっても、王様の遺言状に何か書いてあったとしても、今更、王位継承の問題に稜星さんが関わるとは思えなくて」

 亡くなった王、淳風には子が無かった。王后である果南以外の妃との間にもいない。そして、王族の誰かを立太子させている訳でも無い。

瓏の国の王位は男子優先だ。歴史上、女王の時代も何度かあったが、基本的には直系の男子に継がれることが多い。

 淳風には妹と弟が二人ずついた。四人は既に鬼籍に入っているが、上の弟には息子が居る。それが我が儘で頭の悪い、この国の宰相、楚棠山だ。

「確か、恋麗様にはお兄さんが居るって聞いた気がするんだけど」

「宰相に似ず頭は良くて、それなりに他者の話は聞くが、押しに弱そうな三十歳だな。…俺としては宰相も無しだが、あの息子もなー」

 遊道のぼやきに、共感する部分もある。血筋で何もかもが決まるとは思わないが、現宰相の家は支持したいと言えないのだ。

 とりあえずは表向き、棠山が継承権第一位ではある。色々なところの承認は必要だそうだが。子も居るので将来的にもしばらくは安泰と言えるだろう。また、淳風の他の弟妹にもそれぞれ子はいて、孫もいる。

 なのに。

「待ってれば王様になれる可能性が高いのに。そんな人がわざわざ、稜星さんを狙う理由って何かしら」

 やはり、迷夜は冷静に考えを巡らせることが出来る人間だ。考え考え話す時の表情も怜悧に映る。

「じゃ、ちょっと昔話に付き合ってくれ」

「昔、話…」

 迷夜は自分からは訊かないだろうと思っていたが、本当にそうだった。遊道が口にした、母のこと、父方の祖父や曾祖父のこと。気になっているだろうに。

 稜星は意を決して話し出す。

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