第22話

 稜星は咄嗟に何を言われたのか理解出来ないようだったし、それは傍らで聞いていた迷夜も同じだった。

「倒れた、だと?」

「待て、それはどこからの情報だ?」

「そんな…! 主上に何かあったら…!」

「縁起でもないことを言うのはお止めなさい!」

 自分たちだけでなく、聞き耳を立てていたらしい妃や官がざわめいた。波紋のように広がっていく。

「元々、体調が思わしくなかったとか」

「それは、何年か前からそうでしょう」

「倒れたってどういうことだ。一体、何がどうなっている…!」

 騒ぐ人が多かったせいで、逆に冷静になった迷夜は大きく息を吸って、吐いた。

「そこまで!」

 近くに居る人間の内では、一番小柄な迷夜の大声に驚いたのか、一瞬、誰もが黙った。稜星も目を丸くしてこちらを見ている。よし。

「孝心さん」

「あ。…はい」

 何だか、構えた返事をされた。

「『倒れた』という他に、詳しいことは分かっているの? 例えばちょっと転んだりしても倒れたことにはなると思うし、転倒を甘く見ても良いとは思わないんだけど、そういう…『倒れた』では無いのよね?」

「ああ。居室に王后といる時に、急に胸を押さえて…らしい。駆け付けた侍医によると、心の臓の異常ではないか、と」

 慌てるあまりに些細な情報が大事になった、と言うのではないようだ。

 迷夜は想いを巡らせた。はっきり言ってしまうと、迷夜は王に特に含むところも無ければ、恨みつらみも何一つない。後宮に来たものの、最初から王の存在など気に掛けてもいなかったし、娘を送り出した父からしてその前提だった筈だ。だが。

 そっと周囲を窺う。心底動揺している官や、手を合わせて一心に祈っている妃がいる。

 迷夜が知る限りではあるが、王の評判は悪くない。きっと彼らの反応は、彼らにとっては当たり前のものなのだろう。

 孝心では無く、周囲に向かって呼び掛ける。

「今は、続報を待ちましょう。物事がはっきりしないうちに推測で騒ぐことは、王様や王后様、そして治療をしてくださるお医者様の迷惑になりかねません」

「………。はい」

 ほとんどの人間が揃って、一拍置いて諾の返事をしてくる。良いお返事だ。

「はい。では、解散。官の皆さんはお仕事に戻って、妃の皆さんはひとまずお部屋に戻ってください」

 新入り妃が偉そうに仕切ってみる。だが案外、皆聞き入れてくれた。顔に不安だと書いてあるけど、やるべきことをやりに行く。

「……。迷夜は、すごいな」

 孝心も門番の仕事に戻って、最後まで迷夜の傍に残っていた稜星が、ぽつりとこぼした。

「すごい? 私が?」

 どの辺が?

 首を傾げた迷夜に、稜星が目を細めた。笑顔、では無い。獲物に狙いを定めた、みたいな表情だ。

「!」

 稜星が手を伸ばしてくる。後ずさりする間も無かった。頬に、指先。熱を感じる程では無く、ほんの少し、触れられる。

「あ……の?」

「うん」

 会話になっていない。相変わらず、笑ってない。なのに妙に満足気だ。

「稜星、さん」

「ん」

「……っ、お仕事!」

 そこでようやく、彼は苦笑した。手が離れていく。彼の熱は感じ取れないくらいだったのに、頬が熱い。これは迷夜の内から出る熱だ。顔が赤いのが鏡を見なくても分かる。

「……悪い。つい」

 つい、何だと言うのだ。

「迷夜は他者に話を聞かせるのが上手いし、現実的で冷静だな、と思って」

 その言葉に、先程とは異なる緊張を覚えた。

こちらの様子を見て、不穏な空気でも感じ取ったのか稜星が顔を覗き込んでくる。

「迷夜?」

「…何でもないわ。じゃ、私行くね」

 上手く取り繕えなかった。目を合わせることも出来ずに、迷夜は逃げるようにして稜星から離れた。


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