第13話
一つの卓の周りに三人から五人程が座っている。迷夜が見る限り、それが十五以上。迷夜たち以外の卓では、妃について来たであろう侍女や宦官たちは、席に着かずに立ったまま傍らで控えている。
…あの髪飾りは菊を模したものね。花弁の角度の付け方が秀逸だわ。…あっちの妃の装束、あれは何色と言うべきかしら。どんな染料を使えばあの色に?
「……楽しそうね」
王后の視線がこちらに向けられていることには気が付いていたので、迷夜はただ正直に答えた。
「はい。楽しいです。…お茶はよく分からないのですが。…多分、美味しい? です」
途中、王后に手ずから淹れてもらったお茶を一口飲んで感想を言う。自分でも微妙な感想だと思ったが、王后は笑ってくれた。
「ふふふ。嬉しいわ」
どう応対するのが正解か分からなかったので、迷夜は自分にとってはどこか怖い王后様を真正面には見ずに、いつも通りに自分の仕事をする事にした。時折、話し掛けられたら返事をするに留めている。一応、行儀作法や礼節はそれなりに学んだつもりだったが、大して身についていなかったらしい。お茶の香りも味も、そちらに集中すればもう少しくらいはまともな感想をひねり出せたと思うが、今集中したいのは仕事の方なので無理だ。…結局、迷夜はどうあっても己の心に従う人間なのだ。
王后は微笑みながら言った。
「もう少し経ったら、皆様、席を立って自由に語り合うのよ。よろしかったら、貴女がたもどうぞ」
このお茶会はそんな趣向か。…いやしかし、席を立っている間に他の誰かが自分の席に着いてしまったらどうすればいいんだろう。あぶれて、行く先が無くうろうろしている自分を想像して、迷夜は首を傾げた。それはそれで、妃らしくは無いが自分らしいかも知れない。…妃らしい妃は、行き先が無くなったらどうするのだろう?
しばらくして、迷夜たちの卓の周りが騒がしくなった。
「失礼致します、王后様」
「この度はお招きに預かり、光栄ですわ」
華やかに着飾った妃たちが、王后に挨拶に来る。梢花と張る程の美人もいるが、皆、首は大丈夫なのかと心配になるような髪型をしていた。着ているものも、装飾品の類も豪奢なものがほとんどだ。上手くまとめている者もいるが、やり過ぎた感満載の者も多い。
そして、その妃はやって来た。
先程から迷夜は無意識のうちに視界の隅に追いやっていたが、向こうから来られたらどうにもならない。そもそも王后に挨拶をしに来たのなら、最初から迷夜にどうこう言う筋合いなど無い。
「王后様。ご機嫌麗しゅうございます」
鮮やかな、王后の纏っている臙脂色よりも強く明るい、赤い装束。その赤を更に燃え立たせるかのような金銀他鮮やかな縫い取り。紅玉、黄玉、翡翠、真珠…色とりどりの石をあしらった金銀細工の簪、耳飾り、首飾り、腕輪、幾つもの指輪。ごてごてと派手で盛りまくった意匠は、全て重そうに見えた。簪を挿している髪型も複雑怪奇で、髪を下ろそうとしたらどれだけ時間も手間暇も掛かるのか、と考えるだけで恐ろしくなった。…それともまずは、あの髪型を創り上げたこの妃の侍女を褒めるべきなのか。化粧も濃いめだ。それが悪いと言う訳では無いが、もう少し抑えてもこの人の場合は充分見栄えがする…気がする。年の頃は判断し難い。付属品が多過ぎて、分かりにくくなっている。それこそが狙いなのかもしれないが。敢えて言うなら、装飾品の好みからしてなんとなく…三十手前な気がする。
「あら。……。……相変わらず、…すごいわね」
王后も、今、明らかに言葉を選んでいた。…相変わらず。つまりこの妃はいつも、こう、ということらしい。首をよく痛めないものだ。
「妃たるもの、美しく装うことは当然ですわ」
嫣然と笑う妃に、取り巻きの妃たちが追従する。
「流石ですわ。恋麗様」
「いつだって、素晴らしいお召し物で」
他の皆様はまだ、大人しめの格好だった。少しほっとすると同時に、取り巻きである皆様は心からこれが好いと思って褒め称えているんだろうか、と思ってしまう。好いと思っているのなら後宮の未来が不安だし、心にも無いことを言わなくてはならないんなら、なんて不自由なのかと同情を覚える迷夜である。
恋麗と呼ばれた妃は扇を広げ、口元を隠した。その扇も、何だか無駄にきらきらしていて、何の絵が描いてあるのか不明だ。目が痛い。
「そちらが新しい妃ですの? ふぅん」
口元を隠しているようで、しっかりこちらに見せている。歪ませた唇に差してある紅が艶めかしい。…けど、もうちょっと落ち着いた色合いの方が似合うと思う。扇を持った手の、たくさんの指輪が鈍く光る。
次いで、恋麗は矢厳に目を遣った。矢厳はあからさまに嫌な顔をした。
「ああ、貴方。彩維様のところの。…今日、彩維様のお姿は無いようですけど、どうかなさったの?」
「…我が主は、急な病を得まして」
「まぁあ。お大事に」
欠片も心が籠っていない。取り巻きたちに目で合図し、くすくすと笑っている。根性が悪い。
矢厳の顔が曇るのも当然だ。
不意に、稜星を思い出す。彼ならこういう時、どんな反応をするだろう。何故だか、迷夜に話し掛けてくれる人だ。書庫でのこと。ああ言った場面では、迷夜を見なかった振りをする方が自然ではないか。迷夜にあまり慣れていない人間は、そういった傾向がある。迷夜以外の、妃にはどう対処を。
稜星は。あの人、は。
「……ん?」
いつもなら迷夜は、こういった時どうするだろう、と思い浮かべる相手は大盟だ。厳しくて、職人で商人、な父。なのにどうして、自分は今、彼を。
「彩維様にお見せしたかったものがありましたのに。残念ですわ」
その声音が迷夜の思考を断ち切った。彩維本人がいたら、早くも涙目になっているくらいの毒にまみれた響きだった。
「見せたい、もの」
矢厳は射殺さんばかりの目で、恋麗を睨み据えている。…これは何が始まっているのか。迷夜は考えを巡らせる。ふむ。
矢厳と恋麗は仲が悪そうだ。矢厳の主は彩維。彩維はあまり人付き合いが得意では無いのだろう。迷夜たちが話し掛けても怯えていたし。このお茶会にも来たく無さそうで、実際に欠席した。そして、恋麗たちは彩維に用がある。ほぼ確実に碌でも無い用だ。あの声音を聞けば、誰だって悪意しか感じないだろう。
要は、彩維は恋麗たちにいじめられているのだろう。
「…馬鹿みたい」
呟きにすらならなかった。誰の耳にも届かなかった筈。揉め事は極力起こさない方が良いに決まってる。
「こちらを」
恋麗が言って、扇を閉じる。指から一つ、指輪を抜き取る。掌に載せて、卓を囲む全員に見せ付ける。
「それ、は」
矢厳が愕然と目を瞠っている。
指輪。銀色の、多分純銀では無いもの。表面には石が一つ付いているが、くすんだ赤であまり良いものでは無いだろう。内側の面には細かく蔦紋様が彫り込まれている。
恋麗の付けている他の装飾品とは全く違う。ちっぽけで、質の良いものとはお世辞にも言えない。
「如何かしら? 価値の無いがらくた同然のものでしょう? この蔦紋様は気に入っているのですけど、石がくすんでいて。宝石では無く、これはただの色石でしょうね」
矢厳の反応を楽しんでる。彩維がいれば彩維に見せに来たんだろう。
四阿付近での彩維と矢厳のやりとり。指輪がどうの。…何て分かり易い。彩維から取り上げたのか。そんなことをして何が楽しいのか。…そうか、楽しいのか。
「それは…っ」
「本来、わたくしの趣味では無いのですけど」
にぃと唇の端を吊り上げる。
「お母様が持って行け、と仰ったものなので。最近まで忘れて仕舞い込んでおりましたのよ。つい先日、ふと思い出しまして。彩維様にお見せしようと持って来たのですが」
「っ!」
矢厳が唇を噛み締める。ここで反論するのは得策では無い。後宮の妃に、客観的な証拠も無いのにけちを付けるのは。だから、彼は耐えている。それを分かっていて、恋麗はたたみかけている。
「この指輪は、我が母の家のものとしてはみすぼらしくて。でも、仕方が無いんですの。今でこそ母の家は瓏の国でも有数の大家として知られていますが、昔は存続の危機もあったようで。これはその頃のもの。だから、石も良いものでは無いんですのよ。わたくしのおばあ様のおばあ様が、嫁ぐ頃にどうにか作らせたもので」
「嘘」
揉め事は起こしたくない。そう思っていたのに。気が付けば迷夜は声に出していた。先とは違って周囲のほとんどの人間の耳が、この声を拾っただろう。
「な」
恋麗が驚きに口を開ける。大した間抜け面だ。それもこれも、この妃がくどくどと喋り続けるのが悪い。父の年始の口上より格段に聞き苦しいのも。
「なっ。何が『嘘』なんですの? ちょっと、貴女。自分のところの侍女にどういった教育なさってるの!」
「え?」
後半、恋麗が問い詰めたのは梢花である。
「あの、あちらは私の主の、迷夜様ですよ…?」
どうやら緊張が解けてきたらしい。梢花がいつもみたいな声音で指摘する。
「は?」
これはよくあることだ。装束も雰囲気も、迷夜より梢花の方が令嬢らしい。今、ここでは妃らしいと言うべきか。梢花は気付いてなかったが、新しい妃の品定めの時点で、恋麗は迷夜ではなく梢花を見ていた。
矢厳と、受付と案内役と、王后以外のここに居る人間は、ほぼ間違いなく梢花を新しい妃だと思っていただろう。矢厳たちは職務があるから迷夜を覚えるとしても、王后はよく知っていたな、と思う。
そこはさておき。
「その指輪が、貴女のおばあ様のおばあ様の作らせたものだと言うのは、嘘だ、と申し上げました」
迷夜は席を立ち上がる。
「何を、根拠にっ」
恋麗が指輪を握りしめる。隠されて見えなくても、迷夜にとっては一度見れば充分だ。
「先程、貴女が『気に入っている』と言っていた蔦紋様ですが、あんなに細かいものをあんなに幅の狭いところに彫り込む技術はごく最近のものです。貴女のおばあ様のおばあ様でしたら、大まかに計算して百年程は前の方ですよね? 在り得ません」
「な」
後年になって紋様だけ彫り込んだ、とか言ってくるかな、と警戒したがそれは思いつかなかったようだ。恋麗は衝撃を受けたらしく固まっている。
「装飾品を扱う専門の方に、機会があれば聞いてみれば良いでしょう。名のある方は大抵ご存知ですよ。そうした技術が飛躍的に発展したのはここ三十年程のこと。…許大盟が現れてからのことだと。或いは、程大盟と」
「……っ、誰よ、それ!」
「私の父です」
坦々と、事実のみを答える。
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