第11話
後宮の門をくぐり、だけど部屋に戻らず遠回りをする事にした。庭園の花は咲き始めた頃。所どころに四阿があって、一休み出来るようになっている。
空を見上げると少々雲行きが怪しい。だがそのおかげか、人気は無い。
「王都の方が花は遅いって聞いてたけど、種類は多いわね。後宮の中だから、かもしれないけど」
「そうですね。あ、あれ、見たことのない花ですね」
「今度、調べて…題材にするのも良いかもね。今ここに筆と帳面があれば…!」
「迷夜様はある程度、記憶して描けるでしょう?」
のんびりと喋りながら進んで行く。
「そう言えば、孝心さんと話してたけど、どうだった? 楽しかった?」
孝心は多分、面倒見が良くて真っ当な人だ。背も高い。梢花と並んでいてもお似合いとしか思えなかった。
「はい。孝心様は何故かぼぅっとすることがありますが。大体は笑顔で、楽しげにお話してくださいました」
ぼぅっとする理由と言うか元凶の梢花は、頬に手を当てて孝心の様子を思い出している。
「ただ、あの方」
梢花の声色が変わった。ひそめるように、そして大切に守るかのように。
「?」
「お話をしていて時折、目…いえ、耳…? そう。もしかしたら耳を澄ませているのかも知れません。目の前の私では無く、何かを思い出しているような、何かを警戒するような…」
会話の最中に注意が逸れる。本来あまり褒められたことでは無い筈だ。だが、梢花はそこには特に悪い感情を持たなかったようだ。寧ろ興味を惹かれている。珍しい。これまでになかったことだ。
その時、迷夜の額を水が弾いた。次いで鼻先にも。掌を差し出し、感触を知る。
雨。
「降って来ちゃったわね」
すぐに雨脚は強くなっていった。恐らくあまり長くは降らないだろうけど。
「そこの四阿で雨宿りしましょう」
「うん」
小走りでそこまで行く。一度、梢花が転ばないかを確認するために振り返ったが、今回は平気そうだった。
四阿は狭すぎることは無く、数人が集まっても余裕がありそうだった。中に入って、手拭いを取り出し、水気を拭う。
ふと、声が耳に届いた。梢花も気が付いたらしい。二人同時に振り返る。
「っ!」
四阿の中には先客がいた。隅で小さくしゃがんでいたので分からなかったのだ。
「誰?」
「……。…」
二十歳くらいの女性だ。海のような青の装束で、手の込んだ髪の結い方をしている。妃の一人だろうと見当はつくが、そもそも迷夜たちは後宮に来て日が浅い。誰か、なんて判別出来る筈も無い。その上、何故だかとても怯えている。先程の声はしゃくりあげるみたいだった。泣いていたのか。
「えーと。こちらから名乗るべきかしら」
自己紹介をしようと口を開いたものの、そっぽを向かれてしまう。こちらと目を合わせるのも怖いようだ。小動物のような人だ。濡れている様子は無いので、雨が降る前からここに居たのだろう。
「雨が止むまでで良いから、同席させてもらっても良い?」
そこだけ確認をすると、小さく頷かれた。頑なにこちらを見ないまま、だが。
許可は取れたので、あまり近付かないように気を付けよう。追い詰めたくは無い。梢花と並んだまま、雨空を見上げる。
「迷夜様」
「ん? なぁに?」
「今また、帳面と筆が欲しい、と思ったでしょう」
「流石ね、梢花。その通りよ」
小声で話しつつ、考える。この雨を、写し取ることが出来たら。
そう思うのは傲慢だろうか。天から降って来るものを、人の手で形にし、作り出す。父の様に。その父も、己の技を未熟だと言う。自分はもっと、出来ていないけど。
雨音が、弱まっていく。向こう側の空が明るい。
「……っ様! 何処ですっ。彩維様!」
雨音よりも、その呼び声の方が強く聞こえた。四阿の先客が、ぱっと顔を上げる。誰かに似ている気がしたけど、泣き顔の方が気になって分からなくなる。涙で潤んだ瞳が美しかった。そこに怯えの色は見えなかった。この声の主には怯えないらしい。そして迷夜はこの声に聞き覚えがある。
「矢厳さん! こっち!」
雨が上がったので、四阿から出て手を大きく振る。隣に来た梢花も真似をした。
駆け付けてきた矢厳は傘は差したままで、足元は泥だらけだった。
「あんたたち、この前の! いや、それよりっ! 彩維様っ」
傘を投げ捨て、四阿に飛び込んできて、矢厳がその女性を目に留めた。深く息を吐いている。恐らく安堵によるものだろう。
「…心配しました。何処かで怪我でもして、動けなくなってるんじゃないかって」
優しい声音だった。真っ直ぐで、なのにやわらかさを感じる。
「……。……ごめんなさい」
消え入りそうに、彩維と呼ばれた女性が返した。矢厳の口調は全く怒っていないのに。怯えてはいないけど、酷く沈んでいる。
「良いんですよ」
「……私を、捜してもらったことだけじゃなくて」
「指輪のことも、でしょう? それこそ、気にしないでください」
「でも」
矢厳が手を差し伸べる。躊躇った末にその手を取り、俯いたままで、けれど彩維は立ち上がった。
「でも。…私にとっても、大切なものだったの」
泣きそうなのに、その言葉はとても毅然としていた。
「……はい」
矢厳が口元を歪めた。微笑んだようにも見えたし、こちらも泣くのを堪えているようにも見えた。
「……」
「……」
観客に徹している迷夜と梢花だが、そろそろ立ち去った方が良いだろうか。手を取り合った二人を窺いつつ、互いに頷き合う。
と、矢厳が何かを思い出した顔をした。慎重に彩維に尋ねる。
「……嫌なことを訊きますが。今日はこれからどうなさいますか」
「……。…今日、は」
「病欠、という手もあります。……と言うより、そこの妃」
立ち去る前に呼び止められてしまった。何でも無い振りをして返事をする。
「はい?」
「今日は昼から、王后様主催のお茶会がある筈ですが。妃たちを招いての。今ここに居たら時間はぎりぎりになるんですが」
放置した紙の束。あれはお茶会の招待状と注意事項だった。
「さぼる予定です」
横で梢花が頷く。
迷夜があまりにも堂々と宣言したためか、矢厳も彩維もすぐに理解が出来なかったらしい。二人揃って瞬きをした。
「……、はぁあ?」
「え」
声量に差はあったものの、どちらもが驚いたことは確かなようだ。
「いや、待て。あれはさぼるとか在り得ないやつでっ」
「招待状一枚に対して、注意事項が八枚もあるのよ? そんな堅苦しく、お茶なんて飲みたくないわよ。退屈の延長線に行くみたい」
「私も、茶器をひっくり返したりしそうで怖くて。緊張を強いられるなら行きたくない、と言うのが本音ですね」
迷夜と梢花の意見が合ったのだ。行かないでおこう。それに尽きる。
「注意事項を一通り読んだけど。『お茶会に出席したらどうするべきか』は書いてあったけど、さぼるのが駄目とも、さぼりたい時は連絡入れるように、とも書いてなかったわよ」
出席前提のものだから、だろうけど。…まぁ本来、欠席する際には連絡を入れるのが礼儀だろうが、出席を強要している時点で、先に礼儀を欠いているのは先方だと感じたので。
「そん…っな、理屈が通るか! あの注意事項は、王后様に気を遣った侍女たちが作ったって話でっ」
「私以外の妃は皆、さぼりたいって思わないのかしらね? 真面目に退屈をしに行くのね。感心するわ」
「お前っ、それ…っ。……。喧嘩売ってるようにしか聞こえないぞ」
幾らか声を落として、矢厳が指摘する。親切な人だ。正しい指摘だ。周囲から見た時、迷夜の方がおかしいのだときちんと教えてくれる。迷夜としては喧嘩を売る気は無くても、相手からしたらそうは映らないのだと。
「そうかしら?」
「そうだよ!」
問い返したけれど、百も承知だ。そんなこと。
迷夜には迷夜のやり方があるし、それがいずれ問題になるのは父だって分かっていただろう。迷夜は他者と足並みを合わせるのが苦手だ。故郷では許されていたことも、後宮では通用しないこともある。当たり前のことだ。
そして父は、それを踏まえた上で娘を送り出した。
つまり、迷夜が後宮で問題を起こそうと、余程困った事態にはならない、と踏んでいるのだ。伝手は欲しいが、後は好きなようにしろ、と。可能なら、仕事をして来い。『最高傑作』を見て来い、と。
ああ、そうだ。…仕事だ。
「梢花」
「はい?」
「王后様主催のお茶会なら、妃の皆様はいつもと違う格好をしてくるのかしら? より華やかに? それとも王后様に憚って、敢えて抑える方向性に?」
迷夜の様子がふと真剣なものに変わったからだろうか。矢厳と彩維が息を呑んだ。梢花だけは慣れたもので、のほほんとした相鎚が来た。
「どうでしょうね?」
「ああぁ、ちょっと興味出てきた。お茶会どうでも良いけど」
「では、今からでも向かいますか? 私も頑張って、割れ物には近付かないようにしましょう」
謎の頑張りを両手を拳にして、梢花が宣言する。謎ではあるが、先程の迷夜のさぼり宣言よりはましな気もする。
「時間はぎりぎりなのよね? 急ぐ意味も分からないし…よし、じゃ言い訳を考えながらゆっくり行こう。えーと、そうね。…『後宮に来てまだ日が浅いから、迷ってしまって、その内に雨が降ってきて、雨宿りしてたら遅れました』とか?」
歩き出しながら、ひと言ずつ確かめるように口にする。
「招待状を置いて来てしまいましたね」
「必要なのかしら? お茶会に行くのなんて後宮の人間くらいでしょうに」
「……一応は、誰何を受けることになる。無いなら無いで、納得されるが」
矢厳が話に割り込んできて、教えてくれた。多分、こちらの話の流れにはあんまり付いて来られていないようだが、有り難い。
「では、そこは『忘れました』で通しましょう。迷夜様」
「『出席する気が無かったんだから、最初から持って来てません』よりは断然真っ当よね」
迷夜たちの呑気な会話に、矢厳と彩維が少し遅れて付いて来る。
「本当に行く気なのか、あんたら」
「まぁ、気紛れ起こしてるのは認めるわよ」
「迷夜様らしいですよねぇ」
故郷の、許家周辺の人々は、大抵の場合この一言で終わらせる。それだけ迷夜は慣れられて、いる。
「矢厳さんと彩維さんは戻る?」
「……っ」
彩維が立ち竦んだ。一瞬だけそちらを振り返り、でも歩くのは止めない。
「行きたくないんでしょ? 病欠ってことにして良いと思うわ」
煽ったつもりは無かったが、そう聞こえてしまっただろうか。
迷夜なら、仕事の関係で大盟にこんな風に煽られれば、行く、と答える。父は娘の矜持の在りどころを、きっちり把握している。
だが、彩維が同じようにする必要はまるで無い。彩維は迷夜では無いのだし。そもそも迷夜は、自分がかなり規格外だと自覚があったりする。
「う…ん」
掠れる声が耳に届く。
「……彩維様」
矢厳が静かに彩維に呼び掛けた。
「一人で戻れますか?」
「え」
彩維よりも梢花が反応し、足を止めた。迷夜もその場に止まって、二人を振り返る。
「彩維様が欠席する旨、報せに行きます。やっぱり、連絡はするべきだと」
「そう、ね」
しっかりと手順を踏もうとしている。迷夜はこの部分を、分かっていながらすっ飛ばすから怒られるのだろう。…今後直す気は、特に無い。
「では」
彩維は自分の部屋に戻るらしい。矢厳に傘を渡されていた。
かくして、迷夜と梢花に矢厳がくっついてくる形になって、改めてお茶会の場へと向かうことになった。
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