第7話


 迷夜は甘いものが好きだ。一方で、大盟は甘いものを食べない。そんな些細な好みの問題が、大騒動になったことがある。

 迷夜は十三歳で、その頃既に父の仕事の簡単なものを手伝っていた。

 そんな中での、空いた時間だった。どういった流れだったのかは忘れたが、数日前に兄弟でお菓子作りをしよう、という話になって、実行しようとした日だ。

 五人の子どもたちは厨房に向かった。料理人に話は通してあるし、作るものも決まっている。和気藹々と騒いでいた時だった。

「何やってるんだ、お前たち」

 商談帰りの父に遭遇したのだ。これから起こる筈のお楽しみを口々に父に告げようとした時、当の父がそれを遮った。

「あ、迷夜。お前、ちょっと来い」

 仕事のことで話があると言う。

 反発したのは末妹の瓔連である。

「父様! 今日は皆でお菓子作る約束があるのよ!」

 だが、大盟はあっさり切り捨てた。

「そんなもん、こいつに必要無いだろ。…行くぞ」

 後半部分は迷夜に向けて。仕事優先、迷夜は従うのが当然、な態度だった。そして迷夜は従った。兄姉たちも諦め気分だったが、瓔連だけはすっかり拗ねてしまった。それでも、結局四人で菓子を作り、少しは機嫌も直ったのだが。

「俺も迷夜も要らん。お前たちで食べろ」

 完成した菓子を二人分、瓔連たちが父の仕事場に届けに行った時の戸口での返答がこれだった。父としては気を遣ったのかも知れない。自分は甘いものを好まないのだし、子どもたちで分けた方が良い、という。しかし、やはり瓔連は涙目になった。そして部屋の中に居た迷夜は一人、静かに頷いた。

 それからひと月が経った頃。また兄弟での菓子作りの話が持ち上がった。今度は父様に内緒にした上で、迷夜を誘おうとも画策した。

 だが、誘われた迷夜は断った。

「必要無い、から、しない」

 迷夜からこの言葉を聞いた瞬間、瓔連は大泣きした。迷夜も含め、兄弟は大慌てした。

「迷夜姉様の馬鹿ぁ!」

 大盟が駆け付けてきた時、瓔連がそう叫んだので大盟は迷夜を叱りつけた。

「迷夜! お前、何、妹を泣かせてる!」

 しかし、瓔連は大盟を睨み付けた。

「一番悪いのは父様だもんっ」

「…は?」

 当惑する大盟をよそに兄弟たちは頷き合う。

「そうね、父様が悪いわね」

「元凶だよな」

「駄目駄目よね」

 迷夜はつい呆然としてしまった。止めるべきだろうか。…けどこの場合、誰を?

 やがて瓔連が少し落ち着いた後、玉雪と白夜を交えての家族会議が開かれることになってしまった。普段、家族が集まる食堂の空気が重い。

 話が全て終わった時、誰より怒ったのは玉雪だった。いつも穏やかな許家の奥方が、目を吊り上げるところを皆、初めて見た。

「旦那様」

「……………。………はい」

 大盟の声がわずかに震えている。そのくらいの迫力がこの時の玉雪にはあった。

「いつも思っていましたが、出過ぎた真似になるか、と敢えて言わなかったことを今、申し上げます」

「……は、い」

 玉雪が息を吸い込んだ。

「何故、いつもいつも、迷夜の意見を聞かないのです! 勝手に決めて、強制して。旦那様のお仕事は素晴らしいですし、下の者たちへの振る舞いもきちんとなさっていますが、どうして迷夜にだけ厳し過ぎるのですか!」

「け、ど。迷夜は」

「今回の件だって! 旦那様の好みと迷夜の好みは必ずしも一致しないのですよっ? なのにご自分は食べないからって、断って。迷夜が甘いものを好むことくらい御存知でしょう!」

 迷夜の基準は基本的に大盟なのだ。玉雪が怒りながら酷く悲しそうに息を吐く。

「…厨房の方から聞きました。『ここのところ迷夜様は、お部屋に新作のお菓子を持って行っても召し上がってくださらない』と」

「な」

「迷夜」

 義母の呼び掛けに、迷夜は背すじを伸ばす。

「はい」

 常ならば、迷夜は玉雪に対しても『うん』と答える。だが今は無理だ。

「お菓子を食べないのは、そして今回、瓔連たちの誘いを断ったのは、自分には『必要無い』ものだから、ですか?」

「はい」

 躊躇うこと無く頷いた娘に、父は衝撃を受けたようだった。菓子作りはともかく、流石に日常での嗜好までも強要する気は無かったらしい。

「白夜さん」

 玉雪が、今度は大盟の向こうの席に座る白夜を呼ぶ。

「……はい」

 白夜の声もまた、かすれている。

「厨房の方は最初に貴女に話をしに行った、と言っていました」

「…はい。聞いています」

「貴女、聞く前から気付いていたでしょう? 迷夜がお菓子を食べなくなったことを。何故、放って置くのです。仮に気が付いていなかったのなら、それはそれで論外です」

「……」

 母が俯いている。珍しい。いつもは澄ました顔をしていて。なのに。

「貴女の役割は、娘が性格の悪い義母にいじめられた時に庇うことです! 娘が好きなものを諦めるのを黙って見ていることではありません!」

「……」

 一同、沈黙。

 迷夜には、意地悪な義母なんていない。義母はいるが、その人は今、父と実母に説教をかましている張本人だ。

「ふ」

 迷夜は思わず、軽く吹き出してしまった。何だ、これ。

「笑い事ではありませんよ、迷夜! 貴女は貴女で、自分の好きなものくらい自分で大切にしなさい!」

 そうして、大盟と白夜が玉雪と、何より迷夜に詫びたことで一応は落着した。迷夜は、周囲を心配させないように、愚痴や我が儘を適度に口に出すことも大事なのだなぁと学んだ。

 ただこれ以降、迷夜は菓子は食べるが菓子作りは苦手になった。幾らやっても甘過ぎたり、火の通りが強過ぎたり。料理はそれなりに出来るのに、菓子だけそうなるのはこの一件を何らかの形で引き摺っているのかも知れないと、大盟は深く反省していた。

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