第6話


「退屈ね」

 後宮に入って三日後、既に迷夜はぼやいていた。

「後宮って暇なのね…」

 避けて置いた紙の束を一瞬だけ見て、後は放って置く。

「迷夜様の場合、お屋敷に居た頃が寧ろ、働き過ぎだったのは? 今だって暇と仰いますが、それ」

 傍らで茶を淹れていた梢花に指摘される。ちなみに現在、迷夜は卓の前に座り、墨を磨っている。

「自分で使うんだから、当然でしょ」

「このお部屋に来た時だって荷物を解くのも、お掃除も、その後の整頓も自分でやってしまいますし」

「だから。自分で使うのに誰かにやってもらうのは。…梢花だって、自分で片付けてたじゃない」

「お茶を淹れるのだって、放って置くとご自分と私の分を淹れて私が席に着くのを待っていますし。侍女泣かせな御令嬢ですこと。…まぁ、よく茶器を落として割ったりする私が言えたことでは無いのかもしれませんが」

「……。そんなに割って無いでしょ」

 梢花はほんのちょっと抜けているところがある。先日、後宮の門の前で転びそうになっていたが、実はあれは時折見る光景だ。

 美人で丁寧だけど完璧では無くてそこが良い、と地元の滄珠の地では男性陣から熱烈に口説かれたり、近年では結婚の申し込みも多くあったようだが、本人に伝わっていたか、は定かでは無い。何せ、ほんのちょっと抜けているのが梢花なので。あと一応、本人の好みは『自分より背の高い人』。

 …十歳くらいの頃だったか。梢花は昔から背が高かった。同じくらいの歳の男の子が、素直になれずに梢花をからかったのだ。仲間の子たちと、集団になって。その子からすれば自分が、好きな女の子より背が低いのが悔しかったのだろう。けれどその気持ちは伝わらずに、ただ彼女の心を傷付けるだけに終わった。

 今回、迷夜に付いて来たのは『王都に良い人いないかしら』という目的があり、迷夜は、多分今頃地元は大騒ぎだろうな、と推察している。が、仕方が無い。梢花にも伝わる態度で口説かなかった、或いは伝わってもお断りされるしかなかった男性陣が情けないだけだ。『自分より背の高い人』は確かに彼女の好みだが、それだけで判断しているのでは無いようだったし。梢花の両親は許家の屋敷で働いているため、娘が迷夜に付いて行くことを特に反対しなかった。

「迷夜様は粗方のことは器用にこなされますから、本当は私が付いて来る必要は無かったのかも知れませんけど」

「そんなこと無いわよ。梢花がいてくれるの嬉しいよ。…私の場合は、ほら。必要に迫られて色々覚えなくちゃならなかっただけで」

 大盟の教育の賜物だと、我ながら思う。

「父様ほどは上手く出来ないことばっかりだし」

「……旦那様は特殊過ぎます。…お茶はこちらの卓に置いておきますね」

 梢花がそう言って、迷夜が使っているのとは別の離れた卓に湯呑みを置いた。

「ありがとう」

「お菓子はどうします?」

「あ、大丈夫。必要無いわ」

 墨の具合を見ながら断ると、沈黙が返ってきた。

「? 梢花?」

 視線を遣ると梢花は思いの外、険しい表情をしていた。

「どうしたの?」

 心配になったので、墨磨りを中断して本格的に彼女に向き直る。

「……迷夜様。迷夜様のお菓子に関しての『必要無い』は、私は少し寂しい気がしてしまうのですが」

 あ。

「…あー、もう。あれ、もう三年は前の話でしょ? まだこだわるの、うちの人たち。私がお菓子作りを苦手になった件」

 天でも仰ぎたい気分になる。

「お屋敷中、大騒動でしたから。奥方様からも、瑞歌様、玄珠様、瑤喜様、瓔連様からもこの件については『くれぐれもよろしく』と頼まれておりますので」

 ここで、両親の名前が出てこないところが、実に、らしい。大盟も白夜も言葉にしないだけだと分かっているので気にしないが。

「…ご飯食べてそんなに時間経ってないから、今は要らないってことよ」

 とにかく現在、言い方を誤ったのは間違いないので、より噛み砕いて答えを返した。

「はい。だったら良いです」

 納得したのか、梢花が微笑んだ。


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