第5話

 後宮の門へと続く道は、大概は閑散としている。…活気があってもおかしいかも知れないが。本来、通る者は限られているし、今は王も高齢で滅多なことで寄り付かない。

 だが、今日は少し違うらしい。

「……また、新しい妃が来るのか」

 呆れた気分で李稜星は呟いた。

 王がほぼ不在だというのに、来てどうするのだろうと疑問に思う。行儀見習い? 行儀を良くして、どこぞの高官や富豪に見初められて嫁いで、それで幸せが確約されるものなのだろうか。…稜星は首を傾げてしまうが、世間一般ではそう思われている節があることも理解はしている。

 確約された幸せなど、無い。落とし穴は気が付かないうちに作られていて、或いは天災の如く突然発生して、幸せを奪っていくものなのだ。

 どことなく拗ねた物言いになっていたらしい。傍らに居た頼孝心が、宥めるような苦笑いになる。

「稜星。一応、色々考えた上で今こうなってるんだから、あんまり言ってやるなよ。親父殿だって頑張ってるぞ、多分。頑張る方向が合ってるか、は俺も分からんけど」

 なんだかあまり、親父殿、を庇っている気がしない発言である。

「お前の望みに添ってるか、を見極めるのは難しいからな…」

「孝心」

「あ。でも、俺も新しいお妃様が来るの見るのは嬉しいぞ。綺麗な娘さんはやっぱり目の保養になるからなー」

「孝心…」

 孝心は後宮の門番である。故に、後宮に妃や関係者が出入りする時は応対もする。二十三歳の稜星よりも二つ下。明るくざっくばらんな従兄弟で幼馴染は、年下なのに兄のように思える時もあるが、一方でどうしても年下でしかない言動もする。

 だが、気分は少し浮上した。

「お前なら、どんな女性でも寄って来そうな気はするけどな」

 孝心に対して、軽口を叩くくらいの余裕は出てきた稜星である。

 身内の欲目を抜きにして、孝心は良い男だ。背が高く、笑うとその表情に目が行ってしまうが顔立ちも端整だ。武術の腕も立つ。

「んー、でも。後宮に来るお妃様って、綺麗だけどさ。ちょっと俺の好みから外れるんだよなー」

 ただ、彼自身が気取らない性分なので、贅を尽くして着飾っているお妃たちにはあまり興味が湧かないらしい。

「稜星はどうなんだ?」

「何が?」

「お妃様たちはともかくとして、お前の好みってどんなのか、訊いたこと無いなーって思って。うちの妹は無しなんだろ?」

「……。『稜星は何考えてるのか分からなくて、怖いから婚約は嫌…』と涙目で言われたら、そこはまぁ、無しになるよな」

 稜星は二十歳、孝心の妹が十七歳の頃の話である。稜星が文官として王城に勤めることが決まった際、両者が良ければ、と結婚話が持ち上がり、前段階として婚約を調えようとしたのだが、見事に潰えた。

「う。ごめん。ほら、あいつ、昔から気が弱くて泣き虫だったから」

「『何考えてるか分からなくて、怖い』が、お前にも否定されない俺が悪いんだろうな…」

 稜星が自嘲した時だった。

 誰かの声が聞こえた。女性二人のようだ。稜星と孝心は揃ってそちらに目を遣った。

「王城って広いって聞いてたけど、ここまで広くする意味ってあるのかしら? どこに行くにしても遠いでしょうし、歩くのも適度なら健康には良いだろうけど…あんまり長い距離だと疲れちゃうと思うわ」

「ですが、たくさんの人が居るのですし、何より王様がいらっしゃるところですもの」

「王様…主上って呼ぶんだっけ? ま、良いか。…王様は周りに人がたくさんいて、仕事中に気が散ったりしないのかしら。父様は『作業中に仕事場に来るんなら気配は殺せ。出来ないんなら来るな。実際に俺に殺されても文句は受け付けん』って凄むわよ。いざって時の集中力すごいくせに」

「私は王様のお仕事には詳しくないのですが、旦那様のお仕事とはだいぶ、分野が違うのではありませんか。……旦那様のお仕事振りは、私から見ても…ちょっと特殊と言うか。…それに、旦那様がそう言うのは」

「そうね、私に対してだけ。後継ぎの兄様や他の職人に言わないだけの分別はあるわ。無茶振りで私を試して、どれくらい応えられるかを知ろうとしてる。真っ当に試す時とそうじゃない時があるけど」

 二人の女性は声を潜めていなかったので、稜星の耳にその話は聞こえてしまった。酷い父親の話のようにも聞こえるが、『試されている』と言った方の女性の声は、決して暗いものでは無かった。

 回廊を、彼女たちが曲がってくる。その姿が見えた。

 紅梅色の装束を纏った小柄な女性と、常磐色の装束を纏った背の高い女性。いや、どちらも少女と言える年代かも知れない。二人も門の前の人影に気が付いたようだった。

 紅梅色の装束の少女が小走りに駆けてくる。

「こんにちは。ここって後宮で合ってます?」

「こんにちは。合ってるよ。…案内はいないのか?」

 稜星はそう返し、気になったことを問い掛ける。通常なら、初めて来る者に案内くらいは付けるものだと思うのだが。

「面倒なので、撒きました」

「え」

 予想外の答えである。

「後宮の担当か何かの人ですか?」

 担当か何か。…役職名を知らなければそうなるか。妙に納得して、稜星は緩く首を振った。少女に合わせて、簡潔に言おう、と考える。

「俺はしがない文官だよ。こっちの男は門番だけど」

 孝心を示すと少女は大きく頷いた。次いで、彼女は後ろに置いてきたもう一人を振り返る。

「梢花。やっと着いたよ」

「はい。聞こえました。良かったですね、迷…っきゃ!」

 近くまで来ていた常磐色の装束の少女は答えようとして、裾に足を引っ掛けたらしい。見事につんのめった。

「梢花っ」

「おっと」

 孝心が腕を伸ばす。そうして梢花と呼ばれた少女は転ばずに済んだ。

「すみませんっ」

「いえ。大丈夫で…す、か」

「はい。ありがとうございます」

 孝心の語尾が不自然に途切れる。梢花を抱き留めた腕をぎこちなく外して、しかし視線は彼女に釘付けだった。

「孝心?」

 稜星の呼び掛けにも返事は無い。稜星は改めて、梢花を見つめる。

「……おお」

 思わず感嘆した。美人だ。長い睫毛を伏せる様が絵になるような。ただ、これまで後宮に来ていた妃たちと違うのは、梢花が無駄に飾っていないことだろうか。編み込まれ結わえられた髪を金の簪が飾る。金の腕輪も白魚のような手をより嫋やかに見せる。要所要所で装飾品の類は付けている。が、それらが決してくどく無く、一見簡素に見えつつも、間違えなく質も技術も素晴らしいものだと分かる。品良く、それでいて華やかさを感じさせる意匠は梢花によく合っており、その美貌を良く引き立てていた。

「ね。梢花、綺麗でしょ?」

 紅梅色の方の少女の言葉に、首を縦に振る。ぼぅっと梢花を見つめていた孝心もその言葉で我に返ったのか、同じ反応だった。いや、見つめていた、と言うより、あれは見惚れていたのだろう。

「め、迷夜様…」

 褒められた梢花は、頬を赤くする。赤くなって狼狽える様は綺麗よりも、可愛らしい。そしてまた、孝心が見惚れている。

 それにしても『様』?

「…今回、後宮に入る妃って」

「あ、はい。私。秦迷夜と言います。こっちは侍女の石梢花」

「……」

 軽く手を挙げた迷夜に、一瞬、稜星は沈黙した。少しの間、考え込む。

 迷夜の方は、装飾品の類を付けていない。見て分かる箇所には無い。髪も朱色の紐で結わえた程度だ。二人の装束はどちらも良いものに違いない。何故、装飾品に関しては主人である迷夜を差し置いて、梢花だけが付けているのだろう。

「…迷夜は、簪とか挿さないのか?」

 つい初対面にもかかわらず、呼び捨てで率直に尋ねてしまった。気にした風も無く、迷夜が笑って答えた。彼女の口調も奔放なものになる。

「挿さないわよ。他の、装飾品も付けないし。腕輪ならともかく、他の、首飾りとか耳飾りとかは自分に付けてもよく見えないから。付ければ気分が上がることもあるけど、それよりは他の誰かが付けてるの見る方が好き」

「鏡を見れば良いんじゃ…」

「その場合だと自分の見たい自分、しか見てない気がして、なんか嫌。傍から見た私、を私は見れないでしょう? つまらないわ」

 そういうものか。

「もっとも、傍から見た私、は碌なものでも無いかも知れないけどね。あ、ちなみに腕輪は作業に邪魔だから付けないのよ」

「作業?」

 鸚鵡返しに訊いたものの、迷夜はそこは流した。

「梢花を飾るのはすっごく楽しいわ。同い年なのに梢花は大人っぽくて、私とは違う色が似合ってお化粧も装飾品も似合うもの。次はどんなのにしようかしら」

「迷夜様…」

 心底嬉しそうな主人に、当の侍女は困惑気味だ。嫌がっている訳ではなさそうだが、それでいいのだろうか、という疑問が湧いてくるのだろう。

 後宮の妃は、己に仕える侍女も着飾らせる。侍女は主人の装飾品の一つ。己の格をも上げることに繋がる。だが当然、妃は侍女以上に着飾るものだ。そして、その上で大概の妃は、己よりも美しい容貌の女を、己の侍女にはしない。それはそうだろう。己より目立つ侍女など、侍女では無い。

 と、いう後宮の常識を、思いっ切り無視している目の前の迷夜だ。いや、梢花が美人なのは事実だが、迷夜だって充分に愛らしい顔立ちをしている。

 なんだか、面白くなってくる。

 稜星がちょっと笑ったのに気が付いたのか、迷夜がこちらを見上げてきた。頭一つ分以上の身長差があるのが意外な気がする。

「お兄さんたち、お名前は?」

「俺は李稜星。あっちは、頼孝心。…って、孝心。お前、まだぼーっとしてるのか」

「あー、梢花、正統派の美人さんだもんねぇ。私もたまに見惚れるよ」

「迷夜様。あの、この方、大丈夫でしょうか? お熱でもあるのでは…?」

 孝心の目の前で、梢花が手を振っている。おろおろと心配そうだ。見惚れられている自覚は無いらしい。美人だし、性格も問題無さそうだし、孝心はもしかして見る目があるのだろうか。

 稜星が呑気にそんなことを思っていた時だった。

 迷夜と梢花がやって来た方向から足音が聞こえたと思ったら、一人の青年が現れた。年の頃は二十歳前くらい。青年、と断定できるのは彼が稜星の知り合いだからで、知らない者はうっかりすると少女、と錯覚してしまいかねない。

「っ、居たー!」

 その青年が迷夜を指差し、大声で叫ぶ。

「あ。案内してくれた人」

「嫌味ですか! 案内出来てませんからっ」

 確かに。迷夜は先程『面倒なので、撒きました』と言っていたし。

「だって、王城初めて来たんだし、見学したかったのよ。なのに『そっちは入っちゃ駄目』とか言って止めるから」

「当ったり前でしょう! 王城なんですよ、ここは!」

 撒いた後、自力で後宮の門まで来たのか。やるな、迷夜。

 褒めたいところだったが、それを実行したら青年は稜星にまで怒り出すだろう。容易に想像がついて苦笑する。

「矢厳。その辺にしなさい」

「…っ。居たんですか、稜星様」

「知り合い?」

 きょとんとした顔で迷夜が確認してくる。

「ああ。後宮の宦官で、漢矢厳だ」

 簡単に紹介する。…あまり紹介になっていないかも知れないが。

 矢厳は細面で、華奢な体格をしている。身長は低い訳では無いのだが、初見だと性別を間違えられることはよくあるそうだ。今は宦官として後宮に居るので、性別の問題は一旦置いているような、逆に更に微妙なことになっているような状態だ。

「……。よく分かりませんけど。稜星様はこんなとこ突っ立ってないで仕事してください。で、孝心様は、ここで突っ立ってるのが仕事でしょう。しっかりしてくださいっ」

 正論だ。

「あ。ああっ」

 孝心が慌てたように返事をする。矢厳の喝が効いたらしい。門の前が自分の持ち場であるとようやく思い出したようだ。

「ほら、稜星様も」

「はいはい」

 その場から去ろうと踵を返す。矢厳の咳払いする声が聞こえた。仕切り直しのつもりだろう。

「では、妃様方。こちらへ」

 肩越しに振り返る。先導する矢厳と名残惜しそうな孝心。しずしずと主人に従う梢花と…ご機嫌に歩き出す迷夜の姿が見えた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る