第3話


 祝賀会が終わり、父の仕事場の内の一つを訪ねたものの、そこには誰もいなかった。卓の上の帳面を繰る。ここは主に書き物をするための場所だ。帳面には大盟の手蹟。見事な仕事ぶりが窺える。

「……綺麗」

 つい夢中で読み耽っていると、ようやく大盟が現れる。

「何だ、早いな」

「父様が遅すぎるのよ」

「仕方無いだろう、客の相手がある」

 帳面を閉じる。すんすんと、匂いを嗅いで判定する。

「一応、お酒は控えた方なのね。新年のお祝いなのに。…あ。もしかして、お義母様に何か言われたの?」

 指摘すると、大盟が苦虫を噛みつぶしたような顔をした。

「……玉雪が『きちんと話さなくてはいけませんよ? そして更に、迷夜がどうしたいか、考えを訊かなくてはなりません』と、念を押してきたからな」

「やっぱり」

「白夜は、俺の好きなようにしろと言ったきりだが」

 瑞歌、玄珠、瑤喜、瓔連の四人は大盟と玉雪の間に産まれた子どもたちだが、迷夜は大盟と妾である白夜の間に産まれた娘だ。だからと言って迷夜は、玉雪や四人の兄弟たちに冷遇された記憶は無い。

 玉雪は、四十代半ばを過ぎた今でもおっとりとした良家のお嬢さん、といった雰囲気の持ち主だ。実際、資産家で土地持ちだった許家は元々彼女の実家だ。ただ、玉雪の父親である先代は、恐ろしく資産運用が下手だったと言うか何と言うか…人が好すぎて、悪い人間に騙されてしまう人間だったらしい。持っている物の大半を巻き上げられ、当時二十歳だった娘の玉雪にまで魔の手が伸ばされそうになった。それだけは、と必死に回避しようとしているところを、若い頃の大盟に出会い救われたのだという。大盟は詐欺紛いで巻き上げられた物のほとんどを、許家に返させた。無論、様々な駆け引きがあってのことだが、その件で大盟は玉雪の父親に大いに見込まれた。『娘と資産、土地を貰ってくれ』と言われ、大盟は条件付きで頷いた。『一人だけ、妾を置きたい』と。

 白夜は大盟より一つ年下の幼馴染で二人は恋仲だった。白夜は愛らしい顔立ちの娘で、将来の結婚の約束は幼いからこそのものだったが、互いに真剣だった。が、二人は引き裂かれた。それでも諦めることが出来ずに大盟は白夜を想い、白夜も大盟を想っていたのだ。

 玉雪も、彼女の父親もそれを了承した。

 白夜が妾として許家に来たのは、大盟と玉雪の結婚から数年経ってからだ。その間に玉雪の父親は亡くなり、その影響も落ち着き、白夜のことを周囲に理解させる、という手回しが整ってからのことだった。

 その働きもあってか、玉雪と白夜はとても仲が良い。玉雪はなさぬ仲の迷夜のこともとても可愛がってくれるし、迷夜も義母のことが大好きだ。

 一方で、大盟と白夜は迷夜の教育にはかなり厳しかった。『妾の子であることを弁えよ』と事あるごとに注意してきたのは実の両親の方だった。『本妻の子である兄弟たちより目立たず、出しゃばらず、さりとて許家の恥になるような真似はするな』と口を酸っぱくして言われてきた。…気持ちは分からなくもない。

 一応、両親だって玉雪や許家に引け目はあるのだろう。入り婿として許家に入った大盟に、妾の白夜が付いて来る。許家を立て直したのは大盟だが、流石に横暴だ、と詰られてもおかしくは無い。でも、誰も文句など言わなかった。『旦那様がいなければ、そして助けてくれなければ、わたくしたちは路頭に迷っていましたわ』と玉雪は微笑んだそうだ。そのように立ち回ったのは確かだが、玉雪たちは当たり前に白夜を受け入れ、迷夜の誕生を祝福した。では妾も、その娘も、同じかそれ以上で返すのが当然と言うものだろう、と。

「父様、これは念のための確認なんだけど」

「なんだ」

 父が卓の前の椅子に座ろうとするので、迷夜は壁際に下がった。

「父様に限って無いと思うけど、何か仕事上で結構な失敗をして、借金で首が回らなくなって。実は後宮では無くどこか…何て言うか…あまり褒められた場所じゃないところに娘を売りつける…なんて状況じゃ無いわよね?」

 少々歯切れの悪い口調となった自覚はある。だけど、念のため。訊いておきたかった。

父は気分を害したらしく、目を険しくした。

「見くびるな。俺はそんな状況になる前に打開策を考える」

「そうよねぇ」

「去年の秋ぐらいだったか。王都に出向いた際に王城の役人に会う機会があってな。で、色々話してるうちに、今後の仕事にも有利だろうし、せっかくだからお前を後宮に入れとくのも良いか、と思ったんだよ」

 父は伝手を作るために、許家を利用した感はある。同じようにして迷夜を使おうと思ったのだろう。この場合、使おうと思う娘は迷夜だけだろう。伝手のために迷夜を使うが、借金の形にはしない。今後、姉や妹が同じような状況に陥ることは無い。

「だったら良いわ。行く」

「……お前、もう少し、俺の話を聞いてから言えよ」

 椅子に座った大盟より、立ったままの迷夜の方が視線の位置は高い。こちらを見上げながら呆れたように言う父に、迷夜は首を傾げる。

「だってこれ、決定事項でしょう?」

「まあ、そうだが」

 玉雪にしっかり話し合え、と言われた手前、そのつもりはあったのだろう。だが、迷夜としては大盟の無茶振りには慣れている。何を命じられても引き受ける覚悟はあるのだ。やってられない、とぼやくことは多々あるけれど。

「……要は、うちの仕事の一環と言うか。お前は他人が装うのを見るのが好きだし、なら後宮はちょうど良いだろう、と」

「あ。言われてみればそうね」

 ちょっと後宮入りが楽しみになってきた迷夜である。父は唐突に何か言ってくることはあるが、こちらのこともそれなりに考えてくれているらしいことも理解してはいる。

「王は老齢だから、新しい妃が来てもどうということは無いだろうし」

 王の名は、荷淳風。確か、御年八十歳だったか。

「なのに、私が新しく入れるものなの?」

 素朴な疑問だったが、大盟は頷いた。

「行儀見習いみたいな部分もあるようだぞ。後宮に入ればその娘自体にも箔がつく。だから王にとって必要無くても敢えて開けておくんだと」

「ふぅん?」

 そういうものなのか。

「そこから役人や金持ちなんかとの結婚に繋がる場合も」

 そこではた、と大盟は何かに気が付いたようだった。

「どうしたの?」

 狼狽したように父が問うてくる。

「……。お前、結婚したい相手というか…そもそも惚れた相手とかは」

 そう言われても、全くぴんと来ない。ただ、もしかしたら玉雪としてはそこを一番懸念して、父との話し合いを勧めたのでは無いか、と今になって気が付いたくらいだ。

「いないわよ、そんなの」

「……そうか」

 大盟はほっとしたような、それでいてつまらなさそうな表情を浮かべた。

「で、いつ頃、行けば良いの?」

 色々と準備が必要になるだろう。

「春先に。…特に期限は決めていないが。それこそ状況に応じての出たとこ勝負ってやつだな」

「…了解」

 場合によっては、瑞歌の子どもが産まれるところや、瑤喜の婚儀に立ち会えないのか。残念だが自分は自分の仕事をしよう、と心に決める。

「それと。迷夜」

「なぁに?」

「……」

 こちらを呼んでおいて、父はしばらく考えに沈んでいた。迷夜は黙って、話し出すのを待つ。

「これは、ついでなんだが」

「うん?」

「お前、よく俺の帳面を見てるよな?」

「うん」

 つい先程までも。父のようには出来ないが、迷夜はやはり大盟の仕事が好きなのだ。幾ら見ていても飽きることは無い。

「じゃ、分かるか」

「……何が?」

 どことなく値踏みするような目で見上げられ、迷夜は少々怯んだ。これは…何か試されようとしている?

「昔、俺が『これは最高傑作だ!』って作り上げた時に思った仕事があるんだよ。そうだな、十七年、いや十六…十五? 年くらい前かな。…あくまで当時の、最高傑作だ。だけど今に至るまで、あれを超える仕事はそうそう無かったと思っているのも事実だ」

 迷夜は息を呑む。父がここまで言うなんて。どんな仕事だったのだろう。許大盟の仕事。帳面を思い出す。先程目にしたものだけでなく、以前見たものも思い出していく。父は全て記録に残している筈だから。あの帳面はそのためのものだから。迷夜は知っている筈。ああ、でもせっかくなら実物も見たい。

 娘のそんな気持ちを正確に把握したのだろう、大盟は笑った。

「それを、見つけてみろ。…見つけられたら、で良い」

「ん?」

「一応、当時もその客の名前や住所は控えておいたんだがな。偽名だった」

「偽名?」

 話が一気に怪しくなった。

「自分の名前、うっかり間違えるような御仁には見えなかったからなぁ。仕事の何年か後に、控えてあった住所近くに行く機会があったんで尋ねてみたんだが、その時も以前もそんな名前の人間はいなかった、と付近の住人に言われた」

「……住所は、架空の地名じゃ無かったの?」

「ああ。…なんとなく思うんだが、そういう時って偽の住所にするとしても、全くの出鱈目なんて咄嗟に出なくないか? 先に答えを用意してあるんなら、話は別かも知れないが」

「それは、そうかも。とりあえず自分に縁のある場所を思い浮かべそう」

 少なくとも迷夜は、咄嗟に一から偽住所を作れる自信は無い。

 大盟の仕事は、物によっては相当な金額が動く。故に慎重になる必要がある。万が一に備えて、住所氏名の控えは取らせてもらうのが常だ。少なくとも独立後はそのようにしてきたらしい。

「うん。だから、そこはあの御仁に関係あるところではあったんだろう。王都の…富裕層の豪邸が建ち並ぶところでな。我ながら、一般庶民の俺がよく聞き込みをしたもんだよ」

「……」

 大盟は商人らしく押しが強い。豪邸だろうが富裕層だろうが、怯むようなことは在り得ないだろう。寧ろ、そういった場所や相手でこそ真価を発揮する人間だ。聞き込みをすると決めたのなら徹底的に、己の知りたいことを不足無く。…というより。

「父様」

「おう」

「父様はどうして、そのお客様を捜したの? それとも、見つけたいのはこなした仕事の方? 『最高傑作』だから? 今まで、そんな風に終わった仕事をこちらから捜すことなんて無かったでしょ? お客様の方からこっちに修理を依頼されることはあっても」

 つい矢継ぎ早に訊いてしまったが、仕方が無いと思う。これはかなり変だ。大盟の言ってることも変だし、昔話の内容も変だ。迷夜だって色々ぶつけたくもなる。

「なんだ。お前が王都に行くついでに『最高傑作』を見てきたらどうか、っていう親心が分からんのか」

「分かんないよ。だいたい『最高傑作』の種類が何かも知らないし」

「だからそこは、お前に対する課題だ」

 本当に無茶なことを言ってくる。興味を持たせておいて、そのくせ手掛かりは迷夜が見た帳面の記憶だけって。しかも、見つけてみろ、とだけ言った。見つけてどうするのだ。買い取るのでも奪うのでも無いだろう。…奪うのは犯罪だし、する気も無いが。ただ、大盟の元に持って来れないのなら、これが『最高傑作』で間違いない、という答え合わせは出来ないのではないか。

「しょうがないな。手掛かりをもう少しやろう。…あれは『賢夫人への贈り物』だった」

「!」

 その言葉で『最高傑作』の種類は絞り込めた。頭の中の帳面を必死に捲り、該当の仕事を探していく。

 迷夜の纏う空気が変わりでもしたのだろうか。大盟が苦い笑いを見せた。

「父様?」

「あの客は、な…。なんか辛い顔してたんだよ。……。…見た、瞬間に…別れて、その後に久し振りに会った時の白夜を思い出した。だから、か。十数年経った今でも気になってる。今もそんな顔してるのか、してないのか。あの時点でいい歳だったと思うから、御存命か、は微妙なところだけどな」

 幼い約束の後の、父と再会するまでの母。そして再会した瞬間の、母。

勿論、自分が産まれる前のことだから、迷夜は正しく知ることは出来ないけど。

「気になるんだ…」

 父は絞り出すように、そう呟いた。

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