第2話



 迷夜の父、許大盟は腕利きの職人であり、商人だ。歳は四十五で、まだまだ将来の展望が広がっていると言える年代だ。住居を構えている滄珠の地は辺鄙な田舎だが、それはその方が仕事がしやすいからで、その気になればとっくの昔に、王都に幾つも広い屋敷を建てることが出来ただろう。

 かと言って、現在滄珠の地にある許家の屋敷も決して狭くは無い。大盟は地元の有力者の一人として顔が効くので、屋敷は多くの人が集まることがよくあった。

 年始の祝賀会は、家族や職人などの仕事の関係者、地元の仲の良い人々が一堂に会し、とりあえず和やかに始まった。

 大盟が杯を片手に挨拶をする。

 一番上の娘、瑞歌は近くに嫁いでいる。許家のお抱えの職人のところだ。夏の初めに子が産まれるという。義理の息子には仕事も家庭も頑張ってほしいものだ。

 後継ぎである長男の玄珠には、任せたいことが増えた。お客様を大事にし、雇い人のことも忘れない、その精神を自分も見習うべきだろう。

 二番目の娘の瑤喜は婚約が調いつつある。嫁に出す寂しさは長女の時も味わった。だが、親が子の幸せを願わぬ訳が無い。どうか良い家庭を築けるように。

 末娘の瓔連はまだまだ、先のことは決まっていないだろう。だが逡巡すること無く、己の可能性を信じ、望みに向かって行ってほしい。

 そんな通り一遍の言葉を転がし、妻には感謝の言葉を口にする。

 そして大盟は、自身の『今年の抱負』を語り出した。

「今年は、王都に拠点を作ろうと思う」

 主にざわめいたのは仕事に関係してくる者たちだ。

 拠点を作る、とは。人員を分けるのか。王都では出来ないことはどうするのか。逆に、こちらで出来ないことはあちらで出来るのか。伝手はあるのか。などなど。

 ざわめきが少し落ち着いたところで、大盟が再び口を開いた。

「正直、ほとんど出たとこ勝負なんだが。…まぁ、俺はいつもそんなもんだ。今年中に出来るか、は分からんしな」

 笑いながら言うので、周囲も笑う。その大盟の、出たとこ勝負の強さをここに居る皆が知っている。

「そうだな。一つ。伝手について、だが。……迷夜!」

 声と視線がこちらに飛んで来た。家族の席の一番端に居た迷夜に、それらが突き刺さるようだ。…経験上、こういう時の父の言葉には碌なものが無い。迷夜は静かに身構えた。

「お前、王城に行って後宮に入れ」

「………。……は?」

 構えていたのが、無駄になった。そのくらい予想外で、馬鹿げた言葉だった。馬鹿げた、というか馬鹿な言葉だ。

「ちょっと待ってよ、父様。勝手に何言ってるの」

「迷夜だって、そんないきなり困るだろ」

「後宮って、なんで」

「また、迷夜姉様の気持ちは聞いてないんでしょ? 父様、酷い」

 何故だか迷夜よりも先に、兄弟たちが父に対して苦情申し立てをしている。有り難いが、皆が集まる場で口に出した以上は大盟も退かないだろう。

 一瞬は驚いたものの、周囲が色々言い合っているため、逆に迷夜は冷静になれた。すんなり納得した訳では無いし、この父親の元で娘なんかやってられない、としょっちゅう思っているが、今はまぁ置いておく。

 そんなことより。

 迷夜は目の前にあった果実水の器を手に取った。席から立ち上がり、その器を呷る。そして、卓に叩きつける。割れはしなかったが、結構、音は響いた。

 一言。

「話が長い」

 周囲が静まりかえり、やがて一気に笑いが起きる。

「新年の祝賀なのよ、父様。杯持って、延々と話してるなんて何、馬鹿なことやってるの。皆、飲んで食べて騒ぎたいのよ。ほら、さっさとする!」

 父を促し、軌道修正させる。間違ったことは言っていない筈だ。自分の後宮入りの話なんてどうでも良い。

「言うなぁ、迷夜」

「流石、迷夜お嬢様!」

 そうして、再び和やかな空気に戻る。この場はただの、新年の祝賀会だ。迷夜も座り直し、箸を手に取る。

 視界の端で、大盟が隣に座る妻、玉雪に話し掛けられている。恐らく迷夜に関することだろう。優しげな相貌が曇っている。…申し訳ない。

 反対側の隣に座っている迷夜の実母の白夜のことは敢えて見ない。こういう時は澄ました顔をしているだけと知っているからだ。


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