鏡とウミ

はねhane

1話完結

千葉県旭市にすむ細野由美は、月曜日の夜を家の中でゆっくり過ごしていた。テレビでは恋愛ドラマがやっているが彼女は全く気にも留めない様子だ。ふと、飲み物を飲みたいと思った彼女は近くにあった杖を取って、冷蔵庫へと向かう。

おぼつかない足取り、これは交通事故による後遺症だ。


一年前、高校生活が終わり大学生になろうとしていた春、御礼を込めての家族旅行先で逆走したトラックと正面衝突をした。車は全損状態になり両親はその場で死亡、由美は奇跡的に一命を取り留めたが下半身麻痺によって足を動かす事が出来なかった。

今ではリハビリと現代医術のおかげで杖と長下肢装具があれば歩行可能になり日常生活を送れるようになったが、失った一年はかなり大きい。大学は取り消しとなり、パートで日々を食いつないで行くだけの日々。手元に残っているのは両親の遺してくれた財産とこの一軒家のみ。正直生きる気力が湧かなかった。


冷蔵庫を開け、昼の紅茶のミルクティーを飲む。丁度恋愛ドラマが終わり、CMを跨いでニュース速報に変わる。



「次のニュースです。最近、全国各地で謎の全身鏡の目撃情報が相次いでいます。どれもいきなり浜辺や公園、道路の上、家の中など様々な場所に出現。各地の警察が今も調査を続けています。」



あまりに奇怪な現象だからか、これはSNSでも話題になっている。宇宙人の仕業、ある国の陰謀、災厄の前兆など様々な推測が飛び交っているのだ。どうせ誰かの悪戯で、周りがそれに便乗して騒いでいるだけだろうに。


いつの時代も人間は摩訶不思議なものが好きなのだろう。


由美は馬鹿馬鹿しく思い、寝床につく。そして、何かを遮断するように布団を被るのであった。




翌日、見たことのない鏡が己を主張するようにリビングの真ん中に置かれていた。由美は当然、困惑の色を見せる。

アンティーク調のフレーム、曇り一つもないのに何も映すことのない鏡面、ニュースやSNSで見たものと全く同じだ。

今の状況を信じられず、自分の頬をつねってみる。

夢じゃない。噂は本当だった。感心すると同時に恐怖が込み上げてくる。こんな何が起こるか分からない鏡、不気味すぎて触りたくもない。でも、触らなければ捨てることもできず。仕方なくゴミ捨て場へと運んで家へ帰ってくる。が、日を跨いだら同じ場所に鏡が置かれていた。流石に腰を抜かす。この家は呪われてしまったのだろうか。だとしたら、この場所を捨てるしか選択肢がないが、やはり無理だ。他の場所で生活して行くだけの気力も財力も持ち合わせていない。

あぁ、なんで私の周りは変なことしか起きないのだろうか。これ以上、不幸になりたくない。幸せになりたい。


刹那、鏡が光り輝く。光は家全体を包むくらいに輝きを増し、由美は思わず目を瞑る。



「貴方ですか?私に祈りを捧げたのは。」



聞き覚えのない声が発せられる。由美は目を開け鏡に視線を向ける。鏡の中には白い翼を生やし、白衣装に身を包む男性が佇んでいた。困惑する私を見兼ねて、彼は声を掛ける。



「私は神です。神に祈る善良な迷い子の願いを叶える為に天から舞い降りてきました。」



何を言っているのだろう、この鏡の中の人は。いや、鏡をモチーフにした映像か。最近の玩具は人と会話することも出来るのか。


「映像じゃありませんよ。これは鏡に憑依しているのです。本当は魂のある生き物に憑依した方が身動きできるのでこんな物に憑依したくなかったのですが、魂は神の力に耐えられず、自我が消失してしまうので渋々諦めました。そんなことより、さぁ、貴方の願いを言いなさい。」


無いよ、と伝える。自称神は困惑した。

願いを叶える為に彼女の前に現れたのに、その本人が何も望まないとなると、果たして彼は何の為にやってきたのか。



「必ず何かはあるでしょう?お金が欲しいとか、誰かを振り向かせたいとか。」



そんなのどうでもいい。私がずっと願っているのは一つだけ。



「なら、過去に戻りたい。」


「それは叶えることができません。摂理に反しますから。」



由美はスマホを取り出し、回収業者に電話をし始める。

融通の効かないガラクタだ。嘘でもいいからイエスと言えば、多少は幻想を抱けたのに。妙に現実を突きつけてくるから、ただ私の気分が落ち込むだけだった。こんな物捨ててやる。



「待ってください。他のことなら叶えられるように全力で協力しますから。それだけはやめてください。」



どこまでも人を不快にする不良品だ。


その後、回収業者によって問題なく回収されたが、翌日、またリビングにソレが置いてあった。

これで三度目だ。

由美は煩い鏡をどんだけ引き剥がしても着いてきそうな為、仕方なく家に置いておくことにした。




数ヶ月一緒に過ごしてみたが、変な鏡との生活は案外悪くなかった。


以前話した時よりズカズカと願いを聞いてくることは滅多に無く、由美が困っていると的確なアドバイスをしてくれる。こちらから鏡に話しかけるとしっかり受け答えもしてくれる。テレビを見て学習したのか、面白いことを言ってくれるようにもなった。

最初は不信感を抱いていた彼女だったが、日を重ねるにつれその場を動かない鏡に心を開き始めている。

青かった空間が赤みを増したような気さえした。



「そろそろ学生は受験シーズンになりますね。未来ある子供が夢に向かって全力で取り組む時期です。」



由美は料理をする手を止める。



「夢っていうのは素晴らしい響きですね。人の願いが詰め込まれている。由美さんは何か夢ありますか?」


「陸上選手になりたかった。だけど、諦めたよ。もうこの足だとまともに走れない。」



少し押し黙った後、鏡はこの先どうするのか聞いてきた。



「走る足や親を失って、これ以上生きる意味を見いだせないから死のうかと考えたことがあるけど、死ぬの怖いからきっとこの先もダラダラ生きていくんじゃないかな。」


「では医者を目指してみませんか?」



何を言っているんだろうか、この駄鏡は。なれる訳が無い。



「なれるなれないではなく、目指して挑戦することが大事なんです。この先何の目標もないなら、取り敢えず医者を目指してみましょう!」


「人の願い叶えられるなら、ちゃっちゃと私も医者にすればいいのに。」


「それでは意味が無いのです。良いから私の言う通りにしてみなさい。」



いつも鏡のアドバイスは的確だった。信じれば上手く行くのだろうか。医者になるのは簡単では無いからなれるとは思わないが、とりあえずやるだけやってみよう。




約一年、鏡からアドバイスを貰いながら一生懸命勉強を続けた。休憩を挟みながら一日中勉強、それを365日。キツイ時期もあったが、話し相手が居たおかげで何とかある程度の知識は身につけたと思う。



「いよいよ明日が試験日、今日は軽く復習して明日に備えましょう。それと…」



鏡は由美を引き止め、机を指さす。卓上にはお守りが置いてあった。知らないお守り。



「私からのプレゼントです。神である私自身が沢山の加護を込めたので、安心して挑んでください。何か叶えたい事や困ったことがあったら、そのお守りを見て落ち着きなさい。」



由美は微笑んだ。神様直々の加護があるってだけでとても心強い。もう私は独りじゃない。この神が付いているんだ。そういえば、この鏡の中にいる神はどんな神なのだろうか。いつも鏡としか呼んでこなかったから気にも止めていなかった。



「私が医学部合格できたら、神様の名前を教えて。」


「勿論。待ってますよ。」


「約束だよ。」



由美は貰ったお守りを握りしめて試験に挑んだ。何度も悩んで頭を抱えたが何とか時間内に全て回答し終えた。


そして発表日、合格か、はたまた不合格か。由美は合格通知の封を切る。結果は、合格だった。嬉しさが込み上げてくるが何とか飲み込む。鏡の方に向き直って、中にいる神に言う。



「合格したよ!今一番幸せかもしれない。神様本当にありがとう!」



返事がない。さっきまで隣で微笑んでいたのに。もう一度呼びかけても返事はない。嫌な汗が出てくる。

それから何度呼んでも鏡の中にいた神が出てくることは無かった。




千葉県旭市にすむ細野由美は、日曜日の早朝を家の中でゆっくり過ごしていた。テレビでは園児向け番組がやっているが彼女は全く気にも留めない様子だ。ふと、全身鏡のニュースを思い出し、ニュース速報に切り替える。



「次のニュースです。千葉県の九十九里浜に2年前話題になった全身鏡が出現しました。目撃者によると動かしても捨てても翌朝には鏡が戻ってきていて大変困っているようです。」



由美は動かずにはいられなかった。戻ってくる全身鏡、あの神様の仕業だ。直ぐに九十九里浜へと向かう。




九十九里浜、まだ早い時間だからか人は居ない。海岸沿いを一生懸命走り、やがて到着する。


砂浜の上には全身鏡。まだ神様はいるはずだ。慣れない砂浜で息が上がる。早く会いたい。

しかし、呼びかけても返事は無かった。

どうして?そんな疑問が頭の中を埋め尽くす。潮の匂いと波の音、視界は水でいっぱいになる。


私は独りだ。


その場に膝をつく。ポロッと何かが砂浜の上に落ちた。

お守りだ。神様の言っていたことを思い出す。


何か叶えたい事や困ったことがあったら、これを見て落ち着きなさいと言っていた。見て何があるというのだろうか。勝手にどこかへ行ってしまったのに。


由美は感情のままにお守りを地面に叩きつける。すると、お守りの紐が緩み、紙でできた御神璽が出てきた。

何か書き込まれているようだった。

気になって紙を拾いあげ、そして涙を流した。




過去は変えられません。しかし、未来は変える努力を惜しまなければ、どんな未来にだって変えることができます。貴方はその力を手に入れました。神に頼らずとも貴方は幸せになれます。この先良い人生を進むことが出来るよう全力で応援しています。名のない神より。

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鏡とウミ はねhane @hanehaneponn

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