おじいさんの壊れたオルゴール

聴こえないメロディー

 これは、私がまだ二十代の頃、家政婦のアルバイトをしていたときのお話です。あるとき、私は丘の上に建つ大きなお屋敷で仕事をすることになりました。


 車で木々に囲まれた丘の路を登っていくと、西洋風の大きなお屋敷が目に飛び込んできました。

 獅子の彫刻がされたノッカーでドアを叩くと、英国仕様の杖をついたおじいさんが出てきました。どうやら、お屋敷にはそのおじいさん一人しか住んでいないようでした。


「はじめまして。今日からここで、家政婦として働かせていただきます。よろしくお願いいたします」


「家政婦など雇う必要ないと言っておるのに、また息子どもが余計なことをしおったわい」


 それから、おじいさんは「勝手にしろ」とだけ言って、一人でお屋敷の中に戻っていってしまいました。


 私はおじいさんの態度に戸惑いながらも、家政婦の仕事を全うしました。朝七時にはお屋敷に来て朝食を作り、昼になると掃除と買い出し、それから庭の手入れをし、夜の八時にようやく帰路につきました。

 おじいさんは、とても清潔で規則正しい生活を送っていました。髪と洋服をきちんと整え、毎日決まった時間にご飯を食べ、お風呂に入り、就寝していました。

 ですが、ずっとお屋敷の中にいて、何をするにも黙っているのです。その姿はまるで、外の世界を恐れて、身を隠しているかのようでした。

私はおじいさんのことを哀れに思いました。


「再婚したらどうですか?きっと孤独を紛らわせることができますよ」


 仕事も慣れてきた頃、私は夕食の時間におじいさんに質問してみました。すると、おじいさんは手に持っていたスプーンをテーブルに叩きつけ、私を睨みつけました。


「ふざけるな。貴様は人のことをなんだと思ってるんだ」


 おじいさんはそう言うと、席を立ち、寝室に閉じこもってしまいました。

 私は困惑しました。おじいさんのことを思って提案してあげたというのに、どうしてここまで怒られなければならないんだと思いました。それからというものの、私はおじいさんに話しかけることはありませんでした。


 後日、私がいつものようにお屋敷の掃除をしていると、寝室のベッドの枕元に、アンティークの可愛らしいオルゴールがあるのを見つけました。私はオルゴールの側面に付いているゼンマイをゆっくりと回し、机の上に置きました。

 しかし、音楽が奏でられることはありませんでした。どうして壊れているのに、捨てないのだろうかと不思議に思っていると、ドアの側におじいさんが立っているのに気づきました。


「すみません。勝手に触ってしまって」


 おじいさんはトボトボと歩いて私に近づいてきました。そして、悲しそうな表情でオルゴールを見つめながら言いました。


「かまわない。どうせ壊れているんだ」


「でも、捨てないで取っておいてあるということは、大切なものなんじゃないんですか?」


「亡くなった妻のものだ」


 私はハッとしました。同時に、あの夕食の時間に言った言葉を思い出し、自分は何ということをしてしまったのだろうと後悔しました。


「あの時は本当に申し訳ありませんでした。許してほしいとは思いません。なので、どうか罰として私を解雇してください。私にはあなたの家政婦である資格はありません」


 そう言いながら、私は大粒の涙を流していました。自分が憎くて憎くて仕方がありませんでした。


「もういいんだよ。私こそ無礼を働いてしまって申し訳なかった」


 おじいさんはすっかり小さくなってしまったようでした。私はこれまで、おじいさんのこんな姿を見たことがありませんでした。


「それに、私が悪いんだよ。息子らや友人らに見放された私のことを、妻だけは『あなたは偉い』といつも励ましてくれた。私とって妻の存在はなくてはならないものだった。だから、妻が死んでからも、こうして屋敷に閉じこもり、毎晩オルゴールのゼンマイを回して、聴こえないはずのメロディーが流れるのを待ち続けているんだ。けれども、妻はもういないし、メロディーは流れない。私はそれを認めないといけないんだ」


 その夜、私はお屋敷に泊まっていくことにしました。夜のお屋敷はどんな些細な音も目立ってしまうほど、静まり返っていました。

 夜も更けてきて、間もなく眠りに落ちるかといった時分でした。おじいさんのいる寝室からオルゴールのメロディーが聴こえてくるのです。

 私はベッドから飛び起き、寝室まで走り、勢いよくドアを開けました。すると、オルゴールを抱いて眠っているおじいさんが目に入りました。私はおじいさんにゆっくりと歩みより、顔を覗き込みました。

 おじいさんは幸せそうな表情を浮かべて、息を引き取っていました。

 オルゴールからは、まるで、輝く夜空からいくつもの星々が降り注ぎ、喜びと悲しみが静かに飽和していくかのような、美しく、儚いメロディーが永遠に流れていました。






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