最終話それだけで幸せ

その日の夢はいつもと雰囲気が違った。眼前には赤い景色が広がっており、春の腕には菫がぐったり倒れている様が映し出されていた。

「え?は?どう言うこと!?菫先輩!?」

 春は困惑と焦りで考えがまとめれずにいる最中で夢から覚めた。


「一体どうして…いつ、どこで、どうして…このままだと菫先輩が…絶対に助けなきゃ。」

 春は菫を助ける決心をして学校へと向かった。


「おはよう!春くん、そんな怖い顔してどうしたんだい?」

「特になんでもないっすよ、今日帰り一緒に帰りませんか?」

「いきなり!春くんから誘われるなんて嬉しいわ!今日は良い日になりそうだわ!」

 菫は顔を赤くしながらも弾けるような笑顔をしており、春は菫の笑顔に目を奪われていた。

『絶対に助けなくちゃ…俺は菫先輩のことが好きだ、助けて絶対に告白する!』

 春の顔はよりいっそう引き締まった。


 春は授業に全く身が入っていなかった。

『夢の中の光景、赤っかし多分だけど夕方あたりの時間帯のはず…とりあえず夜になるまで一緒にいたら運命を変えられるはず…何かあったら俺が身代わりになっても絶対に助ける…』

「おい!井上!ぼーっとしてないでノート取らなくて良いのかな?ん?」

「あ、下森先生…すみません、すぐ書きます!」

あまりにも菫について考え過ぎていた春は下森にねちっこく詰められていた。その後も菫について考えるが、何をして良いのか分からず考えが逡巡してしまっていた。

 授業の後、春は菫と合流し、紅茶の喫茶店へ向かっていた。道中、菫の周りを常に気遣い、できる限り危険から遠ざけるように行動していた。


「今日の春くんちょっとおかしい?なんか張り詰めているって言うか、何かあったの?」

「いやぁ…特に何もないっすよぉ…」

「ふーーーーん、怪しいなぁ、あの葵さんに惹かれちゃったとか?」

「そ、そんなわけないじゃないっすか!俺は菫先輩一筋っすよ!」

 春は自分の発言に気恥ずかしくも思い、俯きながらも菫を見ると、菫は照れと羞恥心が頭を占めているような表情をしていた。


 二人は日が沈むまで喫茶店で夏休みに撮った写真の現像したものを眺めて幸せそうに話していた。日が完全に沈み、赤い光景になる可能性がなくなりホッとした春は帰路につこうとしていた。

「先輩、今日は送っていきますよ!」

「そんなに私といたいのー?」

 菫は照れつつも誤魔化すように茶化していた。

「それじゃお願いしようかしら。」

 春にとって夜道を二人で歩く時間は一瞬のように感じられる程幸福な時間だった。

『菫先輩の手繋ぎたいけど、大丈夫かな…俺はこの人がめちゃくちゃ好きなんだなぁ。』

 春は愛しむ様に菫を見ており、二人の背中を月明かりが照らしていた。


「春くん!危ない!!」

 春は何があったか理解できず硬直いているところに、真横からの衝撃で尻餅をついていた。

『何があった!?一体何が…』

 呆けていた春だが、隣に菫が居ないことに気付き周囲を見渡すと菫が離れたところに倒れていた。

「菫先輩!!」

 菫の先には車が電柱に衝突しており、何があったかは一目瞭然だった。

 春は菫の姿に絶句した。

「菫…」

 春はパニックになりながらも菫を抱き抱える。

「やっと私のこと名前で呼んでくれたね…あのね春くん私あなたのことが…」

「菫、いやだ、菫、だめだ、目を覚ましてくれ…俺は菫が好きだ。だから行かないでくれ、一緒に居てほしいお願いだ…」

 菫は最後の力を振り絞り、春の頬を優しく撫でる。それは非常に暖かく、優しかった。

 春は絶叫しながら泣く、血の涙を流しながら菫と叫ぶ。

 奇しくも、いや必然的に春の目には夢と同じ光景であった。

 ものの数分で救急車などが来たが、春は救急隊員に引き剥がされるまで、菫を離さなかった。

 菫が運ばれた後、警察による事情聴取が行われたが、春は心ここに在らずの状況であり、すぐに自宅へと送られた。


 春は自宅についた後、家族の温かい対応はより春の心を苦しめた。春は一人にして欲しいと告げ自室で布団に包まっていた。

 それから二日間春は布団に包まり、一睡も出来ず、自身を責め続けていた。

「どうして、どうしてなんだよ…」

『俺があの時油断してなかったら、俺のせいで…』

 春の自問自答はいつになっても止まらず、寝ることで夢を見ることに恐怖し、目元はクマで顔色は最悪だった。


 唐突に扉が開き、母親か入ってきた。

「春、お客さんよ、出ておいで。」

「いやだ…」

「だめよ、あなたは会わなくちゃいけないんだから。」

 母親に引っ張り出された春は、鎮痛な面持ちの母親に連れられ、リビングに連れて行かれると、そこには母親と同じくらいの年齢に見える男女が座っていた。

「君が春さんかな、初めまして。私は菫の母親です。」

 春の目の前の二人には菫の面影があった。

 母親と名乗った女性は悲しそうにそれでもなんとか微笑を浮かべており、その隣の父親と思われ男性は悲痛な面持ちだった。

 二人の表情を見た春の瞳から大粒の涙が止めどなく流れてきた。

 ずっと泣いていた、布団の中で涙腺が枯れるほど泣いていた、それでも溢出ていた。

「菫さんは僕のせいで…あの時僕を助けてくれた…それなのに僕は、僕は…」

「春さん…私たちは春さんを責めません、あなたがどれほど菫のことを思ってくれていたのか、よくわかりました。」

「春くん君のことは菫からよく聞いていたよ、私が些か嫉妬してしまうほど君の話を私たちにしてくれていたから。」

「それでも…僕が守れていれば…」

「春さんあなたを含めて私たちは最愛を亡くしてしまった、お互い助け合わなくてはいけません。」

 春の涙は止まらなかった、むしろ責めて欲しいとさえ思ってしまっていた。自らが気を抜かなければ助かっていたのだから。

 その後、今日最後の別れがあるから同席してくれるとあの子も喜ぶと言われ春は制服に着替え向かった。終始菫の両親は春のことを責めず、むしろ労わってくれていたことに、より涙が止まることはなかった。

 菫の告別式は粛々と行われた。

「お前のせいで!お姉ちゃんが!僕のお姉ちゃんを返せ!」

 春の目の前には小学生五年生ぐらいの男の子が涙を堪えながらそこにいた。

 春は気付く、纏う雰囲気が目元が菫に似ていることに、菫の弟だということに。

「本当にすまない…君の言うとおり、俺のせいだ…」

 春はそう言いながら菫の弟を抱きしめた。

 二人は泣いた、式が終わるまで二人は泣いていた。その姿はまるで本物の兄弟の様だった。


 菫の告別式の後、春は自室で泣いていた、多くの人に優しくされ、だからこそ自らを許せず、責め続けていた。

 紫優は連絡も何もなく学校へも来ていないため、尋ねてきたが、母親が訳を話すと待っているとだけ言伝を残し帰っていった。

 春は自問自答し、責め続ける生活で、夢を見ることに恐怖するため眠れず日に日にやつれていった。

 

 それから一週間以上が経った後、意外な人物が訪ねて来て、強引に春の部屋へと押し入った。

「春先輩!いつまでそうしているんですか!あの時のかっこいい先輩はどこに行ったんですか!?」

 白空葵だった。葵と春はあの告白から普通の友達付き合いを続けており、葵自身春と緊張せずに話せるようになっていた。

 時は遡り春が登校拒否し始めてから一週間ほど日数が経過した頃、葵は春の状況について知るため紫優を追い回していた。

「うわ!?葵ちゃん?また君か、春から君のことは聞いてるけど、俺も春の状況あんまり知らないんだよね。」

 このような調子でのらりくらり逃れようとする紫優だったがこの日はそう簡単にはいかなかった。

「紫優先輩?そういう嘘はもう良いのでもうそろそろ吐いてください。」

「知らない事は言えないからなぁ。」

「いいえ、春先輩の昔からの親友の貴方なら絶対知ってます。春先輩に何かあったのなら、私は絶対に駆けつけて助けなくちゃなんですから。」

「そういえば前々から不思議に思っていたけど?どうして春のことそんなに好きなんだ?」

「そうですねぇ、春先輩は覚えて無いだろうと思いますが、私は菫先輩よりずっと前に春先輩に救われたんですよ。春先輩は私に優しい言葉をかけてくださった、私に生きる活力を与えてくださった。」

 紫優は口を噤む、狂気的な愛を年相応の恋する乙女の声音で嘯く葵に紫優は恐怖すると共に春への愛を語る葵の瞳を昔見たことがあることを思い出す。

 小学生の頃自分と春が遊びに行っていた時、橋の上から川を覗きこむ少女がいたことを、春はすぐに少女に駆け寄り、春は少女の相談にのり、勇気づけていたことを、その時春に助けられたであろう少女の目が葵の目と酷似していることに。

 紫優が葵の目について思案している間も葵の春への思いは溢れ続けた。

「あの方は私が必要と言ってくれた、私が死んだら自分が悲しむと言ってくれた、誰からも必要とされず、サンドバックとしか思われていなかった私を!」

 葵は恍惚とした表情で紫優にお願いした。

「だから紫優先輩?春先輩に一体何があったのか、それと春先輩のお家を教えてくれませんか?」

 紫優からすればそれはお願いではなく脅迫と感じたが、教える他なかった。


 場面は葵が春の部屋に突入した時に戻る。

 春は葵の驚きの登場に内心驚きはしたが、大きなリアクションがとれるほどの元気はなかった。

「葵か…だって菫が、菫が…菫のことは俺のせいだった…俺がちゃんとしていれば…」

「違います!先輩はいつからそんなに凄くなったんですか?悪いのは居眠り運転した運転手であって、先輩じゃない。自分で自分を責め続けて先輩まで死ぬつもりですか?」

 春は何も言えなかった、悲痛な面持ちで俯いたままだった。

「先輩は見たでしょう、残された者の表情を、感じたでしょう、残された者の心情を、先輩はそれをあなたの親族に、友達にも被わせるつもりですか?先輩、菫さんは私が今まで出会ったどの女性より高潔で優しかったです。先輩が追いかけても誰も喜びません。もちろん私も…」

 春は葵の鬼気迫る説得に俯いて答えるしか出来なかった。それでも死んではだめだという決心はついた。

 春が顔を上げると声音とは違い優しい顔の葵がいた、その瞬間葵の笑顔に菫の笑顔が重なった。

 春は葵の膝の上で泣き崩れた嗚咽をあげ大粒の涙を流し続けた、泣き止むとどこか安心したように眠りについた。葵は春を優しい表情のまま背中を撫で続け春が寝た後優しい口調で呟く。

「私は貴方を愛してます、貴方の側に入れるよう頑張りますよ、先輩。」

 葵の幸せそうな恍惚の笑みは誰にも見られる事はなかった。

 

 季節は移ろいどこか寂しく感じる冬となった。

 春はなんとか登校し始めたが、俯いて過ごすことが多々あった。

 その日は移動教室の際に春は菫と最初に出会った場所を通ってしまった。

「ここは…菫…あぁ…」

 春の脳内には初めて出会った瞬間が繰り返し流れてしまっていた。焦っている、俯いている、戸惑っている、そして喜んでいる、そんな菫の表情が春の瞳に映り、最後に儚く尊い命が散っていく様は春の心を絶望一色に染め上げる。

 その場で春は膝から崩れ落ち、涙が止まらなくなっていた。

「春先輩!大丈夫ですか!?」

 その場に居合わせた葵はすぐさま春へ駆け寄り、春は脇目も降らず、葵のもとで涙を流した。

 春の部屋で葵が元気付けた時のことで、互いに気恥ずかしく中々顔を合わせることが出来ていなかったが、この時は春は周囲を気にする余裕も羞恥心という感情も持つ余裕さえなかった。

 葵は前回と同じように春が落ち着くまで背中を撫で続けた。

 その後も春は休み休みだがなんとか登校しており、未だ夢から逃れることはできていなかった。下森先生勧めもあり、メンタルクリニックへの通院しており、処方されていた睡眠薬で深い睡眠が増えたおかげで夢を見る頻度は少なくなっていた。

 それでも春は度々菫を思い出し、人目を気にせず涙が堪えれない事が多々あったが、その度に春を支え続けたのは主に葵と紫優だった。

 葵は春と行動することが多くなり、葵の向日葵のような笑顔で春の心は徐々に光を取り戻しつつあった。

 

「春先輩!今日も一緒に帰りましょう!」

「あぁ葵か、いつもありがとうな…」

「今日は午前授業でしたし、この後カフェでも行きませんか?この前友達が教えてくれた美味しそうなとこがあるんです!」

「いいね、俺も暇だし、行こうか。」

 葵は満面の笑みを浮かべ、カフェへと2人は向かった。



「ここです!なんと紅茶専門のカフェなんですよ!」

 春は唖然としていた、葵が紹介したカフェとは菫と春がよく訪れていた場所だった。

「ここは…」

「どうかしましたか?春先輩?」

 そんな場所とは知らない葵はキョトンとした顔をしていた。

 春の脳内にはあの日のこと、菫との思い出がフラッシュバックしていた。

「あぁぁぁ、葵どうしてここに俺を連れて来たんだ…」

 春の表情は自分への怒りと深い悲しみを含んでいた。黒い感情が春の心を埋めていくそんな感触に春は抗えなかった。

「どうしてって、春先輩紅茶好きだし…少しでも…気持ちが楽にならないかなって…」

「ここは…俺と菫の思い出の場所で、ここのっ帰りに、俺のせいで菫は死んだ…」

「そんな…」

「もういい。」

 春は踵を返して帰ろうとしていた。

 葵は我慢の限界だった、春の事は心から愛している、春の心は事実自分の方に傾き始めていると確信はある。だがどこまでの春の心のどこかには菫が居た、

 春の目線には故人である菫がいつも佇んでいる。

「春先輩…私は春先輩を愛している、だから今まで支えてこれました、だけど、だけどあなたの瞳に私は写らない…あなたには菫先輩しか写って無いんですね。」

「あぁ、俺の瞳には菫の明るい笑顔と死に際の優しく儚い笑顔しか写ってない。」

「私はどこまで行っても春先輩が好きです、けど私なんか迷惑ですよね…もういいです。」

 葵は悲壮な顔で力のない笑みを浮かべ走り去った。

 そこにいるのは表情のない男一人、支えを無くした男は人ではなくなった。予報に無い雨、大粒の雨粒が男の頬を伝い流れる。

 失い続けている男はその場で立ち尽くしていた。


「おい春、こんなとこでどうしたんだ?葵と帰ったんじゃ無いのか?」

「紫優か…あぁ俺は葵を傷つけた、俺は誰かに愛される資格なんて無い…」

「お前は一体何をやらかしたんだ?一様言っとくが俺は葵ちゃんほど優しく無いからな。」

 春は紫優に経緯を話した。

「ちょっと歯を食いしばれよ。」

 紫優の渾身の右フックが春の頬を貫いた。

「お前は馬鹿か?お前が悲しんでるのはよく知ってる。それでも葵ちゃんはお前を支えてくれていた、それなのに…お前がどんなに菫先輩を愛していたとしても、もう帰ってこないんだよ…」

「わかっているさ!それでも俺は…俺は…」

「別に葵ちゃんを好きになれとかそういうことに口を挟む気はない、ただそれでもこれまで支えてくれたのは誰でもなく葵ちゃんだろ?どうして葵ちゃんがずっと支えてきてくれたかお前はわかってるのか?」

 春は口を噤む。

「確かに春は菫先輩が好きで順調にやってきたさ、それでも菫先輩は亡くなってしまった、葵ちゃんは悲しみから一人で抜け出せないそんなお前の役に立ちたかった、それだけだ。葵ちゃんはな、お前に小学生の頃救われたそうだ、お前がその事忘れててもその事実は変わらないし、彼女の思いは本物だ。」

 春は無言で歩き出した。

「春!手ぶらで行くつもりか?」

 春は肩を沈めて無言に歩くだけだった。

 それから春は葵と接触を試みようとしても会うことは出来ず、あの日買った花束は枯れていった、春の夏休みとは対照的な冬休みが始まった。

 

 春の冬休みは悲惨そのものだった。菫を亡くした直後のように自室に引きこもる生活をする毎日。

 春は菫を亡くして以降ちゃんと生活出来ていたのは葵の支えがあったからという事実を否応なく感じさせられ、冬休みに入る前の自らの行動に対し自責を続        

 けていた。幾度となく連絡を取ろうと電話を掴むが電話をかける勇気は今の春にはかけらもなかった。時間が経つと共に罪悪感、虚無感、劣等感、様々な黒い何かが春にのしかかり、日に日にそれは重くなっていった。


 

 そして時は過ぎ季節は新しい命が芽吹く春となった。

 その日春は鮮明な夢を久しぶりに見ていた。

 春の眼前には一面、白いスミレが咲き誇っていた。

 春の頬を暖かい風が撫でる、あの日あの時の頬の感触を春は思い出す。

『ありがとう』が夢の世界に響きわたる。

 思い続けてくれて、大切にしてくれて、そんな上の句が聞こえるような気がして春は救われたように感じた。

 

 春は久々の気持ちの良い朝に驚きを隠せなかった。

 体には脱力感がなく頭を覆うモヤが取れたようだった。

 そして春は正夢からも何もかもから解放された。一抹の悲しみは残るが、春は後ろを振り返らない。

 春は覚悟を決め電話を手にとる。帰ってくるのは泣き声と共に愛しているの一言だった。



 時は過ぎる、春の正夢を見ていたという事実はまるで夢のように朧げになって行く。

 前を向いた春の手元にはあの日ように渡せず枯れる花束はもうない、目の前には向日葵のような笑顔を浮かべる女性、それだけで春は幸せを感じた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

正夢に君が写った春 ひろみ @h0830

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ