第一章 憧れの宰相様に求婚されました②

「さ、さいしよう閣下……!?」

 背中に感じるぬくもりがだれなのか確かめる前に、叔父の調子の外れた声が耳に飛び込んできた。

うそ……っ、どうしてうちに……?」

 金切り声とはまたちがう、一オクターブ高い音を上げたのは叔母だ。

さきれもなく、とつぜんに訪問してすまない」

 至近きよから聞こえるその声は、まぎれもなくルドヴィクのもの。

 ぎゅっとかたを抱く手に力がこめられ、私は悲鳴を上げそうになる。

(感情が……感情が追いつかない──!)

 悲しみの色に染まったなみだが、春の暖かな風に流されて散っていった。

「一応、取り次いでもらうようたのんだのだが」

 ルドヴィクが言うと、叔父は後方に固まっている使用人たちの中にいる執事に目を留めた。

「なぜ、私に報告しないのだ!」

「伝えようとしたのですが、だん様が口出しは無用とおっしゃいましたので」

 執事がいんぎんに頭を下げると、叔父は顔を真っ赤にした。

「くっ……そ、それで、このたびはどのようなご用事でいらっしゃったのでしょうか? ステラとグエナエル王太子殿でんこんやくについて、考え直していただけるということですか?」

 通常ならねちねちと説教が始まるところだったが、少しは理性が残っていたらしい叔父は、こちらに向き直ってぺこりと頭を下げた。

「それはない」

 ルドヴィクがかんはつを入れずに答える。

 ところで、ずっと肩を抱かれたままなのですけど、これはいつになったら離してもらえるのでしょうか。

 あこがれの人の手が体に触れているだけで、平静でいられなくなりそうなのですが。

(また白昼夢でも見ているのかしら?)

 本当の私は、階段から落ちて意識をなくしているのかもしれない。

「そう……ですか」

 叔父はらくたんして肩をがっくりと落とす。

「時に、ステラを除名処分すると、外まで聞こえてきたのだが本当か?」

「ほ、本当です。グエナエル王太子殿下に失礼な態度をとったのだとか。私どもは何も知りませんでした。きちんとしつけをしてきたのに、どこでどうちがえたのか……王家のみなさまには謝っても謝り切れません。せめてボードリエ家から除名しなければ示しがつかないでしょう」

 伯爵家から私を切り離し、王家からなんらかの責任を問われたとしても、世間から批判を浴びたとしても、関係ないと言いのがれるつもりだろう。

 けんていを気にする叔父おじらしい考えだ。

「そうか、わかった。では今日中に除名証明書にサインして王宮に届けさせよ。本来ならば部下の方で預かり処理するが、今回は特別に宰相権限にて、最優先こうとして受理する」

 ルドヴィクのその発言を、私は信じられない気持ちで聞いた。

(つまり、殿下も私に非があるとお考えに……?)

 彼の顔をあおぐが、逆光でよく表情が見えない。

「か、かしこまりました。よろしくお願いいたします」

「あの、それで、宰相閣下はどのようなご用事でいらしたのですか?」

 叔母おばえんりよがちな笑みをかべて、ルドヴィクを見つめる。

「本日、王宮に来るようにとステラと約束したはずが、いつまでっても来ないので様子を見にきたのだ」

「へ?」

 思わずけな声が出てしまった。

「その様子では、すっかり忘れられていたようだな」

 ルドヴィクがしようする。

「まあ! ステラ、あなたはグエナエル王太子殿下だけでなく、宰相閣下にもとんだ無礼を──」

 カッと目を見開いた叔母の言葉を、ルドヴィクが手を上げて制した。

「突然、婚約を破棄されて、ステラも混乱していたのだろう。無理もない」

「申し訳ありません。昨日はその、いろいろと考えがまとまらなくて、何を話したのか覚えていなくて……」

 正直に答えると、ルドヴィクは軽く首を横に振った。

「王宮にある君が使っていた部屋に本など荷物が残っているだろう。それを取りに来なさいと話したのだ」

 そんなこと言われたっけ?

 ルドヴィクとの約束をすっぽかすなど、なんとばちたりなことをしてしまったのか。自分のほおをひっぱたいてしまいたい。

 こうなると、彼から結婚してほしいと言われたことも、やはり何かの聞き間違いと考えざるを得ない。

(それに、よ。私はこれからはくしやく家を追い出されて平民になるの。結婚なんて言われても身分違いもはなはだしいわ)

 家格は関係ないとかグエナエルはドヤっていたが、ルドヴィクはそこまでおろかな人間ではないだろう。まったく爵位を持たない人間が王家の一員になるなんて、聞いたことがない。

 そもそもルドヴィクはしようがい独身なのだと、私は勝手に思い込んでいた。彼がこれまで結婚しない理由はいろいろとうわさされているが、一番はこうけいしや争いから退くためと言われている。

(だんだん、昨日のことがもうそうにしか思えなくなってきた……)

 自分はどこでせんたくを誤ってしまったのだろう。

 泣きそうになってのどまらせると、ルドヴィクのくちびるが耳に寄せられた。

「このまま話を合わせなさい」

 それは、私にしか聞こえない程度にひそめられたやさしいテノール。

 さけび出しそうになるのをこらえたら、顔がかあっと熱くなった。ささやかれたいんでくらくら眩暈めまいを起こしそうになる。

「あ……あ、はい。そう、でした」

 へたくそなマリオネットのように、かくかくとうなずく私を、叔父夫妻はさんくさそうに見つめた。

「除名ということは、ステラの私物はこのタウンハウスに不要だろう。除名証明書と共にすべて王宮へ届けてくれ。必要ならこちらで馬車を用意させる」

「しょ、承知いたしました」

 叔父がハッとしたようにあわててこうとうする。

「では行こうか、ステラ」

「は、はい」

 肩を抱かれたまま回れ右をして、馬車回しに待たせている王家のもんしようが入ったこくたんの馬車に向かって歩き出す。

 ちらりと肩しに振り返れば、あんしたような叔父の顔と、不満げにハンカチをむ叔母の姿が見えた。その手にめている指輪の一つがなんなのかを私は知っている。

 ルドヴィクのファンのつどい──おうてい親衛隊の入隊記念でもらえる物だ。私はグエナエルと婚約していたから、遠慮して入隊することはなかったけれど。

 叔母のくやしそうな顔を見て、少しだけ心が晴れた。

 それにしてもきんちようで足がもつれてしまいそうだった。グエナエルとだってこんなにくっついて歩いたことなどない。

「ルドヴィク殿下。あの、一人で歩けますので」

 やんわりと手をはなしてほしいとうつたえてみる。

「昨日、君が上の空だったから改めて話をした方がいいと思って来たのだが、少々予定をへんこうすることになりそうだ」

 私の言葉を無視して、ルドヴィクのまゆが軽く寄せられた。

 聞こえなかったのかな?

「わ、私のせいでごめいわくをおかけして、申し訳ありません」

「ちっとも迷惑だと思っていない。それより君は昨日の話を本当に覚えていないのか?」

「私と結婚して、なんて言ったり……?」

「そこは覚えているのだな」

 おそるおそる聞いたのに、あっさりと認められて心臓がね上がる。

「夢ではなかったのですね……」

 真面目まじめな彼には、じようだんが通じなかったのだ。でも仮に本気だと思われたとしても、彼は今までだれからの告白もえんだんも、すべて断ってきたのではないの?

「私と結婚するメリットなんてありませんよ」

「君の望みをかなえると言ったはずだ」

 馬車に乗り込み、向かい合わせにこしかけるとルドヴィクはゆうみを浮かべた。

 そこで私はしようをまったくしていなかったことに気づいて、顔をらす。

「どうして私の方を見てくれないのだね?」

「申し訳ありません。本日はお化粧を忘れてしまって、人前にさらせるような立派な顔ではございませんので……」

 こんなことなら叔母たちを待たせてでも、せめて白粉おしろいだけははたいておくんだった。

がおでも十分れいだと思うが」

 なんという殺し文句。

 さらりとそんなことを言って、おとの息の根を止めるおつもりですか!

 私は目を閉じてかたふるわせながら、幸せを噛みしめる。たとえ社交辞令だとしても迷いなくめ言葉が出てくるスマートさは、大人のゆうとでもいうのだろうか。

「ありがとうございます。でも、その、ずかしいので見ないでください……」

「では、こうしよう」

 ルドヴィクは席を立って、私のとなりに腰かけた。

 少しかんかくは空いているものの、きよはさきほどより近くなったわけで、ますます心臓がうるさく鳴り出す。

「こうすれば顔を見ずに話ができる。だからそっぽを向かないでほしい」

 づかうようなやわらかな物言いに、私は小さく頷いて静かに前に向き直り、うつむいた。

(たしかに殿でんとお話しするのに顔を逸らすのは、無礼な振るいよね。それをおこりもせず、私が姿勢をもどしやすいように取り計らってくれるなんて、ひかえめに言っても神対応──)

 どうしてこんなお手本になる人がそばにいたのに、グエナエルにはまったくひびかなかったのだろう。

 彼のことを思い出すと、ため息しか出てこない。

「ステラ。それで、昨日の話だが」

「はい」

 私は下を向いたまま、居住まいを正した。

「一か月後に開かれるとう会で、君を婚約者として発表したい。挙式の日程は後日ボードリエ伯爵とも相談して決めたい──昨日そう言ったのだが覚えているか?」

 一か月後の舞踏会。

 本来であれば、グエナエルと私の結婚の前祝いのようなパーティーをする予定だった。ドレスも一式用意して準備はばんぜんだった。一枚の紙きれで台無しになってしまったけれど。

「申し訳ありません。まったくおくになくて……」

 手のこうにキスをされてかれていたのか、夢見心地ごこちだったのか、気がついたらタウンハウスに帰宅していただいだ。

「やはり、か。何を聞いても頷くばかりだったから、もう一度王宮へ来て話をしたいと言ったのに、姿が見えなかったので直接むかえに来たのだ。困らせてしまったかと心配だったが、タウンハウスに行って正解だった」

 ルドヴィクが小さくため息をついた。

「ボードリエ伯爵が君の叔父おじだというのは知っていたが、あのような心ない人物だったとは。先代の──君のお父上はらしい人格者だったというのに」

「父のことをご存じなのですか?」

 私はおどろいて顔を上げてから、すっぴんに気づき慌ててまた俯く。

「ああ。年も近かったし、若き領主としてしんに務めを果たす姿に尊敬の念をいだいたものだ」

 父とルドヴィクにえんがあったとは初耳だ。

「……ありがとうございます。優しい人だったのは覚えていますが、そんな風におっしゃってくださる方がいてうれしいです」

 両親がくなってから居城にやってきた叔父は、父の領地経営について文句ばかり言っていた。税がぬるいとか領民に甘いとか、もっと領主としてげんを保つべきだと言って居城の内装はごうしやなものにえ、食事の内容もがらりとぜいたくなものしか出ないようになった。

 残すのは当たり前で、もったいないと私がこうすれば一人で全部食べろとくまで食べさせたり、できなければ仕置きとしようして城の外にほうり出されたりもした。

 自由だった生活はたんきゆうくつになり、口から出る言葉は相手のげんうかがうものに変わっていった。代わりに心の中では思ったことを語り散らすくせがついてしまった。それでバランスをとるしかなかったのだ。

「ステラがけんめいで努力家なのは、父親ゆずりなのだろうな」

「わ、私は、そんなに褒められるような人間ではありません」

 きさき教育をがんってこられたのは、つらい時もルドヴィクがはげましてくれたから。

 十歳の時に出会ったあの日から、ずっとあこがれてきたのだ。王宮をおとずれるようになって、同じように憧れを抱く女性が大勢いるのを知ってなつとくしたものだ。落ち込んだ時も彼の姿を遠くから見られただけで、メンタルリセットされる特効薬的存在だった。

 グエナエルは気まぐれで勉強ぎらいなところがあり、どう接すればいいのかなやまされ続けた。叔父の教えに従って「いい子」にる舞ってもじやけんあつかわれるので、妃教育よりも大変だったのは彼への対応だったかもしれない。

 十年も彼のこんやく者であり続けたのは、王太子本人に指名されたからには責任をもって果たさなければという義務感や責任感からである。それにもう一つ付け加えるならば、グエナエルがいずれ私の憧れの人とそっくりな見た目になるのではないかというあわい期待からだったが、その希望はたやすくくだかれた。

 なぜならルドヴィクも年を重ねるにつれてりよくを増していったから。若さだけではない大人の包容力とでもいうのだろうか。

 常に不機嫌そうな落ち着きのないグエナエルに会うたびに、その差は歴然と広がっていった。

おうてい親衛隊に入れなくても、王宮で憧れの人にお会いできるのを楽しみに通っておりました──)

 なんて、そんなこと口がけても言えないが。

「ですが! 結婚というのは、話がやくし過ぎでは……」

「……結婚してくれと先に言ったのは君だろう?」

 言いましたとも、やけくそ気味に。けれども、冗談だろうと笑い飛ばされると思ったのに。

 だから、ルドヴィクがりようしようするのは予想外だった。

 王弟親衛隊の隊員はみな、ルドヴィクと結婚できないとわかっていながらも、その行き場のない願望を満たすために、共通の指輪を左手の薬指につけている。叔母おばのようなこん者も結婚指輪に重ねづけしているくらいだ。はんりよがその事実に気づいているのかはいざ知らず。

 そんな指輪のない私は言葉にするしかないと思って、勢い任せに口からすべりでたまで。

「言いましたけど……ルドヴィク殿下も私に原因があって婚約に至ったと判断したから、除名の許可をしたのですよね? 平民になったら王族の方と結婚するわけには……」

はくしやく家の人間でも平民でも関係ない。私はステラだから了承したのだ。それに、君が悪いとは一つも思っていない」

「それでは、どうして除名処分をこうていなさったのですか?」

「ボードリエ伯爵があのようなぼうじやくじんな男だと思わなかったのだ。そのことを知らなければ、ただ婚約破棄について謝罪し、私とのこんいんの了承を得るつもりだった。だが、あのような振る舞いを見て考えを改めた。おのれの利益しか考えないようなやからとは縁を切った方がいい。除名したことで、今後、彼らは君にかんしようすることはできないからね。そういうつもりで伯爵の話に同意したまでだ」

 あの少しの時間でそこまでの判断ができるなんて、相変わらず頭の回転が速すぎます。

「お、お気持ちは嬉しいのですが、それでも私のようなじやくはい者がルドヴィク殿下の、つ、つ……妻だなんておそれ多すぎて……」

 そう言いながらも「妻」という単語に、いつしゆんだけ憧れの彼の隣に立つ自分を想像してしまって、思わず赤面する。

 もうそうするのだけは得意なのだ。

「ステラ。君が望むなら、どこか良家の縁談をすすめることもできる。だが、これだけは言っておく」

 ルドヴィクがそう言った時、馬車が小石に乗り上げて車体がれた。

 けいしやした勢いで彼の方にたおれた体を、ふわりとき留められる。

「君を幸せにできるのは、私だけだ──」

 胸の中に閉じ込められて、はちみつみたいにキラキラでごくあまの言葉を振りかけられた私の耳は、一瞬でとろけた。

 これ以上は、本当にもんぜつ死するのでやめてください──!

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捨てられ令嬢が憧れの宰相様に勢いで結婚してくださいとお願いしたら逆に求婚されました 宮永レン/角川ビーンズ文庫 @beans

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