第一章 憧れの宰相様に求婚されました①

 真っ黒な雲からおおつぶの雨が地面にたたきつけるように降りしきり、一寸先も見えない状態だった。

 ひっきりなしに光る空、耳をつんざくようならいめい

 歩きつかれ、なんとか辿たどり着いた大木の根元に、私たちは身を寄せ合って座り込んでいた。

 すすり泣く声がとなりから聞こえ、私はワンピースのすそしぼりながら小さくため息をつく。

「だいじょうぶです。きっとすぐに見つけてくれますよ」

 そうはげましの言葉をかけると、きんぱつの男の子はぎゅっと服のそでつかんできた。

「ステラはこわくないのか?」

「こわくないです。グエナエル様が一緒ですから」

 そんなのは嘘だった。私はまだ十歳だし、なんの力もないのだから。

 いくらここがボードリエ家の領地だとしても、帰り道もわからず、野生動物が急におそってくるかもしれないじようきようで平気でいられるわけがない。

 現にくちびるは真っ青になり、体はふるえが止まらない。しかしながら隣にいる男の子は自分よりも二つ年上だというのに、さきほどからずっと私にしがみついて離れないし、私以上におびえている。

(私がしっかりしないと)

 なにせ彼はこの国の王太子。その身に何かあったら、責任をとらされるのは我がボードリエはくしやく家だ。きっと私もおこられてしまう。そっちの方がいやだった。

 私の言葉に少しだけあんしたのか、グエナエルは手をゆるめた。

「服がどろだらけだ。母上にしかられる」

 情けない声を上げてグエナエルが鼻をすする。それはかみなりに驚いた彼があわててけ出し、からまった草につまずいて転んだ結果だった。

 この日、ラフォルカ王家は、きゆういつかんでボードリエ伯爵領をおとずれていた。その中でしゆりようをすることになり、領地内の森へ来た。危ないからと止められたものの、グエナエルがいつしよに行こうとさそってくれたので、私も行けることになったのだ。

 はじめのうちは護衛の大人もそばにいたのだが、グエナエルはいたずら好きなのか、森の中をぼうけんしようと言いだした。

 こっそりとみんなの目をぬすんで姿を消すのはかくれんぼみたいで楽しかったし、グエナエルが手を引いてくれたのでたのもしかった。

 ところが、しばらく進んで道に迷ったころには、グエナエルは私の背後にぴったりとくっついて背中を丸めて歩いていた。そのうち雨も降ってきて今に至る、というわけだ。

「ぜんぶ、私のせいにしてください。怒られるのは慣れていますから」

 大きな木の幹に背中を預け、座り込んでいた私はまゆじりを下げた。

「な、泣いていたこと、だれにも言うなよ」

 じよじよに落ち着いてきたのか、グエナエルは目元をぬぐってむくれた。

「言いません」

 口はかたい方だ、と思う。

 私は、にこっと笑ってみせた。

「……おまえ、なかなかかわいげがあるな」

「へ?」

「よし。俺の家来──いや、きさきにしてやる」

 グエナエルは小鼻をふくらませて、まんげに提案した。

「うふふ。ありがとうございます」

 不安でさびしいこの状況から気をまぎらわすための言葉だと思い、私はなおに礼を言った──のが、ぐうの十年の始まりになるとも知らず。

 やがて雷鳴が遠ざかり、雨の勢いも弱まって葉の間からし込んできた。

 しずくが落ちる音に混じって人の声が聞こえ、私はハッとして立ち上がる。ずっしりと水気をふくんだ服が重くてよろけた。

殿でんを呼んでいますよ!」

 ぬかるみに足を取られながらも、目をかがやかせてグエナエルに笑いかければ、またすぐそばで男性の声がしたので元気よく前を向いた。

「こっちです!」

 私は思い切って大きな声を上げる。

 緩くなった地面を走ってくる足音と共に、背の高い男の人が細い枝葉をかき分けて姿を現した。

「グエン!」

 王太子をそうあいしようで呼んだのは、グエナエルをずっと大人に成長させたような見た目の青年だった。

 がいとうの裾や足元を泥だらけにし、頭の先からずぶれになっている彼の頭上に陽の光が降り注いでいる。

(なんだっけ、メイドが読んでいた大衆紙に書いてあった、水もしたたるいい男……こんな人のことを言うのかしら?)

 輝く金色の毛先から伝い落ちた美しい雫が、整った鼻筋のわきを通ってあごまつたんからこぼれた。青い瞳は、サファイヤの純度を限界までみがいたようなとうめいさだ。

 ──私は、一目で心をうばわれた。

叔父おじうえ! 来るのがおそすぎます」

 少し前まで濡れねずみのように縮こまっていたグエナエルは、すっくと立ち上がり、鼻の頭にしわを寄せた。

「グエン。それにステラじようも、無事でよかった」

 青年はホッとしたように歩み寄って、上着の中からかわいたケープを取り出し、私の体を包むようにかけてくれる。

 そのぬくもりがとてもうれしかった。

「俺の方が先ではないですか?」

「震えているレディの方が優先だ。今に護衛の者たちもやってくる。歩けそうなら行こう」

 青年はグエナエルにしようして答えると、私の頭にやさしく手を置く。

 なんとおどろくべきことに、彼はパッと見ただけで私がまだ震えていたことに気づいたのだ。

「ボードリエ伯爵も心配していたよ。これからはだまっていなくなったりしないように」

 温かいこわいろが心にみて、それまでき止めていたなみだが解けるようにあふれてきた。

「ご、ごめんなさい……」

 新緑色の瞳をうるませて私は泣きじゃくる。

「もうだいじよう

 服がよごれるのもかまわず、グエナエルの叔父だという人はかがんで目線を合わせると、春風のようにおだやかなみを浮かべる。

 聖人君子──本を読んで覚えたばかりの言葉が頭をよぎった。

「叔父上。そんなことより、ご報告したいことがあります!」

 とつぜん、グエナエルが泣いている私のうでをグイっと引っ張った。

「俺はステラを妃にすると決めました」

 それって、誰かが見つけてくれるまでの『ごっこ遊び』ではなかったの?

 私はぐすっと鼻をすすった。

「悪いが、ステラは私とけつこんすることになった」

 ひょいと軽々とき上げられた私は、ぎょっとして青年──ルドヴィクの顔を見る。それはよく知る今現在の彼の顔で……。

「ステラ! こっちに来い!」

 十歳の、まだかわいげのあったグエナエルが顔を真っ赤にして私を引きずり降ろそうとしている。げんそうに鼻頭にしわを刻んで。

「ステラ! 起きなさい!」

 ん? 降りなさい、じゃなくて?

「ステラ!」

 キーン、と耳鳴りがした。

 バチっと目を開けると、目をり上げた女性が私の腕を引っ張っていた。

「……叔母おば、様?」

 まばたきを数回り返してから、昔の夢を見ていたのだと思考が追いついてくる。ちゆうから、なんだかおかしな展開になってしまったけれど。

 だが、叔母が目の前にいることは理解ができなかった。

 私が暮らしているのは、王都にあるボードリエはくしやく家のタウンハウスだ。管理する領地はここから馬車で七日ほどかかる緑豊かな所で、私の両親が事故でくなった後から叔父夫妻がいでいる。

 だんは領地で暮らしているはずなのだが、これも夢なのだろうか。

 念のためほおをつねってみるも、まともに痛かった。

「いつもこんな時間までているの? いいご身分ですこと!」

 はらうように手をはなされ、むせかえるようなこうすいかおりが鼻をさす。

 数か月ぶりに会う叔母は、相変わらず派手な色のドレスに身を包み、大ぶりの石が輝く指輪をいくつもめ、重そうなダイヤモンドのネックレスをじゃらじゃらとらしていた。

「申し訳ありません」

 私は叔母から目をらし、ゆっくりと体を起こす。

「もう昼前よ。それより、とんでもないことをしてくれたわね、あなたは」

 ギラリと目が光ったような気がして、心臓が縮こまる。

 私はかけをぎゅっとにぎりしめた。

「話があるの。さっさとえて下りてきなさい」

 ドレスのすそひるがえし、叔母は私の部屋を出ていった。

 入れかわるようにハウスメイドのエレンヌが頭を下げながら、おけせたワゴンを押してやってきた。

「ステラお嬢様。申し訳ありませんでした。一度起こしにまいったのですが、ぐっすりお休みになっておられたので……昨日のこともありましたし、そっとしておいた方がいいのではという意見にわれわれの中でまとまって……」

 しゅんとうなだれた彼女は、すでに叔母からおしかりの言葉を投げられたのだろう。泣いた後のように目がじゆうけつしている。

「私のせいね、ごめんなさい」

 ため息をつき、エレンヌがしぼってくれた温かいタオルで顔をく。

 昨日のルドヴィクとのやりとりが、私にはげきが強すぎてなかなか寝つけなかったのだ。

 もっと話したいこともあったのに、頭の中が真っ白になってしまって、その後の会話は覚えていない。

(なにか言われた気がするんだけど……)

 かんじんな内容が思い出せない。やはりあれは白昼夢だったのだろうか。

「そんなことはありません。もともとご訪問の予定はありませんでしたし」

 エレンヌの声でハッと我に返る。

 叔父ふうは、社交の季節になるとここで過ごすこともあるが、その場合は事前にれんらくがあった。だが、まれに気まぐれで王都へ来る時もあり、今回は後者なのだろう。

(どうして私の周りには自分勝手な人しかいないのかしら)

 はあ。昨日から何度ため息をついたことか。

「婚約されたからといって、だらけた生活をするなと神様がたしなめてくれたのかも。なんて言っている間にも、叔母様をお待たせしているわね。たくを手伝ってくれる?」

 気を取り直して、私は大きくびをし、ベッドから足を下ろして立ち上がった。

「はいっ」

 エレンヌは明るい表情になり、大きくうなずく。

 私はクローゼットからうすももいろのデイドレスを取り出し、大急ぎで着替えた。

 ドレッサーの前に移動し、彼女に手早くかみかしてもらう。紅茶にミルクを落としたような優しい色の髪は、耳の上の部分は編み込んでれいにまとめられ、ゆるやかに波打つ長い髪の部分は胸の前に垂らされた。

「おしようはどうなさいますか?」

「このままでいいわ。別に婚約者に会うわけじゃないし」

 鏡の中の私は苦笑いをかべた。

 同じようにここに座っていた昨日、久しぶりに殿でんから会いたいなんてデートのおさそいかもしれませんよ、などとエレンヌと笑いながら話していたのがはるか昔のことのようだ。

 昨日にもどれるのなら、ぽんぽんとかたたたいて、無言で首を横に振ってやりたい。

「さて。おそかれ早かれ説明しなければいけないことだものね」

 私はゆっくりと深呼吸してから、一階の客間に向かった。

「グエナエル王太子殿下に婚約破棄されたというのは、本当なのか?」

 客間にはすでに叔父夫婦がソファに座っており、しかめっつらの叔父は腕を組んでこちらをにらみつけている。父の弟ということだが、顔立ちはあまり似ていない気がする。

「お知らせの手紙を送ろうかと思っていたのですが、その必要はなかったようですね」

 向かいのソファに座った私は、しようして答えた。

「もしかして本日こちらにいらしたのは、すでにご連絡があったからですか?」

 であればグエナエルは、婚約解消のしようだく書にサインしてもらうのを前提に、さきれを出していたちくということになるが。

「そろそろ新しいドレス一式を作らせようと思って、こちらへ来たのよ。王都の店の方がの見本も多いでしょう? それで来てみたら」

 叔母は一枚の紙をテーブルの上に、スッと出してみせた。

 一度ぐしゃぐしゃに丸めたのだろう、しわだらけの紙はどうやら新聞の号外らしい。

 大きな見出しで「グエナエル王太子殿下がステラじように婚約破棄をきつけた」と書かれていた。

「まさに青天のへきれき」と、センセーショナルなタイトルと書き出しで始まっている記事は、二人が十年前に婚約したことや、今まで参加した主要なパーティーのことが書かれている。

「近年ステラ嬢はグエナエル王太子殿下をないがしろにし、家に引きこもっている日が増えてきたようである。気持ちが離れたと考えたくはないが、ほかの男性に目移りした可能性もあるのではないか。これでは婚約破棄されても当然である……?」

 はあ?

 紙をつかむ手がぶるぶるとふるえだす。

 ないがしろにしていたのは、どちらかというとグエナエルの方だ。

 毎週のティータイムが少しずつ月に一度に減り、今では三か月に一度、それも短時間だけ。公務がいそがしいからという理由で、会話もそこそこにせきされる始末。

 こちらは自由に外出することも許されていないので、仕方なく家で大人しく勉強をねて外国語で書かれた本を読んでいただけだ。それでも時間を持て余していたから、児童養護せつの子どもたちが楽しめるように、易しい言葉にほんやくし直したものを作成するのにぼつとうしていたのだ。

「……今回の事態を受け、ステラ嬢には失望したとの町の人の声が多く聞かれた。おそらくもう彼女に幸せな未来はないと思った方がいいだろう」

 こっちが失望したいくらいだ。

(なんなの、この飛ばし記事は!)

 勢い余ってりよううでを左右に開くと、しわくちゃだった号外はあっさりと真っ二つに破れた。

 たしかに私に原因があるのかもしれないけれど、おくそくで好き勝手に言われるのは許せない。

「今からでもいいから、グエナエル王太子殿下に謝ってきなさい!」

 叔母おばはヒステリックな声でさけび、目をり上げる。

「む、無理です……もうこんやく解消の同意書にサインしましたし」

「いったい何のためにおまえを育ててやったと思っている! その恩も忘れ、好き勝手をして王家に多大なるめいわくをかけ、ボードリエの家名にどろりおって。このはじらずが!」

 叔父おじはそう言うけれど、いつしよに領地で過ごしたのはたった一年だけだ。

 それに、愛情をかけてもらったとは少しも思っていない。少々おてんだった私をけむたそうにあつかい、おしとやかにしろだの、口答えはするなだの叱りつけ、私の意思は無視された。

 何か悪いことがあれば、すべて私のせいだと決めつける。

 両親がくなったのも私がお土産みやげをねだったから。それを探すために少し遠回りした所で、しやくずれに巻き込まれたのだと言われた時は、ひどくこたえた。

 成長した今では、それがただ不運だったとわかるのだが、悪いことがあると自分のせいなのではないかと最初に考えてしまうくせはいまだにけない。

 グエナエルとの婚約が決まり、生まれ育った家をはなれたのは悲しかったが、この叔父夫妻の顔を見ないで済むという観点からすればよかったとも言える。

「あなたに非があるのだから、土下座してでもてつかいしてもらいなさい!」

 語気の強い叔母の声を聞くと、身がすくむ。

(私が何をしたの──?)

 そう言いたいのに、この人たちを前にすると言葉がのどに張りついたみたいに苦しくなる。

 逆らえば、せつかんされる──。

 幼いころの痛い記憶がよみがえる。

「で、できないんです。グエナエル王太子殿下には、すでにこいびとが……」

「本当に使えないむすめだ。兄もどこかぼさっと抜けた男だったが、そのままだな」

 叔父はふんと鼻を鳴らす。

 私はぐっとくちびるを引き結ぶ。震える右手を左手で押さえつけ、二人を見つめ返す。それがせいいつぱいだった。

「殿下の婚約者ではないおまえには何の価値もない。ボードリエはくしやく家から除名する」

「除名……?」

 伯爵家からせきを抜かれれば、ただの平民ということになる。

「そうね、そうしましょう」

 叔母はにんまりとえがいてみを浮かべた。

「あなたは今日から赤の他人よ。さっさとこのタウンハウスから出ていきなさい」

「いきなり、そんなことを言われましても……」

 今日の今日はさすがにちやだ。

 ひざの上でにぎこぶしを作っている私のそばに、立ち上がった叔母がやってきて腕を引っ張り上げた。

「さあ! 出ていくのよ、役立たず!」

「は、放してくださいっ」

 ていこうしようとするが、そこに叔父も加わって二人かりで客間から引きずり出される。

 ろうに出ると、使用人が数人心配そうに集まっていた。

「ステラお嬢様!」

 エレンヌが悲痛な声を上げて近寄ってこようとするのを、叔母が一睨みして立ち止まらせる。

「何を見ている! 口出しは無用だ。仕事に戻れ!」

 叔父がこめかみに血管を浮き上がらせながらると、しつが何か言いかけてだまり込んだ。

「さよなら、ステラ。もう二度と私たちの前に顔を見せないで」

「叔父様、叔母様……!」

 げんかんとびらに突き飛ばされ、肩を強く打ちつける。

「私は──」

 十年間、必死できさき教育をがんってきたのに。

 顔を上げて反論したかったけれど、それより先に玄関のドアノブをつかまれ、外に向かって勢いよくほうり出された。

「言い訳など聞きたくないわ!」

 玄関のポーチは階段になっている。後ろ向きのまま段差でかかとすべらせた私は、視界がガクッとれるのを感じた。

 ──頭から転んじゃう。

 心臓がこおりつくかと思った。

 だが、それがドキンと大きくねたのは、私の体をき留めてくれた人がいたから。

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