赤いスターター

月音うみ

赤いスターター、太眉の奴


「ふ〜、スッキリした。練習の続きだ」

100mのスタート練習をしていた場所にトイレから戻ると奴がいた。

さっきまで俺が使っていたスターターがゴム張りのタータン上ではなく、コンクリートの上に転がしてあった。

「なんだこれ」

「……」

思わず使っていたレーンに視線を移す。

そこには黒髪でセンター分けの男が、赤いスターターでクラウチングをしていた。

「おい、そこ俺が練習に使ってたレーンなんだけど」

「俺の前に立つな」

「今、なんつって……」

「だから、俺の前に立つなって言ってんだろ」

男が伏せていた顔を上げる。

ギロリとまるで蛇のような目つきが俺を睨んできた。

何よりもその鋭い目に合わせられたかのようなタトゥーをしているかと疑うくらいに眉毛が濃かった。

「……」

「俺がいつもこの時間練習で使っているレーンだ。他にいけ」

「なんだよお前」

周りの陸上選手のヒソヒソと話す声が聞こえた。

「……」

「おお〜い、太一そろそろダウンすっぞ」

先輩が大きく手を振る。

嫌なやつもいるもんだと思いながら先輩の元に駆け寄る。

「太一、お前災難だったな」

「何がすか?」

「ほら、お前さっきあそこの男と話してただろ?」

「まぁ、そうっすけど」

「あいつ小菅中学校の二年の車田光輝って言うんだけど、自分が勝つためなら手段を選ばない残酷なエゴイストらしいから注意しとけ。ほらあの赤いスターター、やつ自分のスターター持ち歩いてるんだぜ。どうやら自分のじゃないと走れないらしい。あれが置かれたレーンはやつの独占場になるから、そのレーンはレッドカーペットって呼ばれてる」

「知らなかったっす」

「練習の邪魔をしたら何をされるかわからないから、関わらないほうがいい」

先輩のその言葉が脳裏から離れなかった。



俺は香山高校に入学し100mをやるため陸上部に入った。

なんとそこにあの太眉の奴がいた。

「車田光輝です。先輩方と馴れ合う気はないです。陸上は個人競技なので」

とんでもなく鋭い切れ味の自己紹介のせいで場が凍りつく。

「その隣の君、自己紹介お願いします」

うっ、こんな雰囲気でかと内心思いつつ椅子を引き立ち上がる。

「星野太一です。100mをするために入部しました。目標は桐生選手のようなかっこいい走りをすることです」

挨拶を一通り終わらせた後、前の席に座っていた奴が振り返る。

「お前、100m専門なのか?」

「おう、そうだけど」

「何秒?」

「12秒09」

俺のタイムを聞いた瞬間、奴は鼻でフッと笑った。

「俺、11秒89。11秒台でもないお前に、10秒切るのは無理だろ」

初対面で会った時から感じてはいたが、やはりこいつは嫌な奴だと思った。

勝ち誇ったかのようなスカした顔に、舐め腐った八の字になる太眉が余計ムカついた。

「くっそ、お前には絶対勝つからな」

「かかってこいよ」


「おうおう、今年の一年生は血気盛んじゃないか。君たちの専門種目は100mのようだが、次の新人戦には400mを走ってもらうよ」

陸上の顧問兼コーチの渡辺先生が話に割って入ってきた。

「俺は100m走の選手です! 400mをなぜ走らないといけないのでしょうか」

光輝が食い気味に質問をする。

「君たち二人には100mを全力で走るだけの体力しかないと思われるからだ。今のタイムから、縮めたければ400mを走るんだ。400mを走り切れるだけの体力を身につけておけばさらに速い選手と競う事になった時、後半の走りの伸びに活かされるだろう。どうかね?」

「100mのタイムを今よりも縮められるのであれば。やります」

光輝は先ほどまでの狂犬のような態度がやけに素直になった。

まっすぐ渡辺先生を見て、起立し背筋まで針金の通ったように伸ばしている。

俺はこいつはタダ400mを走りたくないのだと思ったが、どうやら違うようだった。

「なんだよ、お得意のスタート練習ができなくなるぞ」

俺はガラリと態度を変えた光輝を冷やかす言葉をかけた。

背をまっすぐと伸ばしたまま、光輝は目だけで俺をギロっと睨みつけてきた。

「今のお前じゃ、俺を超えることはできない」

「なんだと??」

「はいやめやめ、勝負は新人戦にとっておきなさい。全くこれだから一年は」

渡辺先生はふ〜っとため息をついた。



土曜になった。

競技場隣りにある光輝と会ったあの練習競技場での練習だった。

「ほら、一年! 400mの計測始めちゃうからさっさとスタート位置に移動しなさい」

女子マネージャーに急かされ俺と光輝は移動した。

「位置についてよーい、はい!!」


まず初めに俺が走った。

俺は400mを走っている間、200mまでは余裕を感じていた。

するとどうだ、俺の息は300mを過ぎたところで荒々しくなった。

そして足が鉛のように重くなった、やばいなにこれキッツ!!

いつもあっという間に終わる100mが何倍にも長く遠く感じた。

記録は1分01秒43。

続いて光輝が倒れ込むように後から来た。1分00秒63だった。

「一年生にしては速い方なんじゃない?」

マネさんからの褒めの言葉をもらう。

「「当たり前じゃないっすか」」

俺と光輝は調子に乗ってドヤ顔で答える。

「この調子で次も頑張ってね」

「「……?」」

なにを言ってるのか分からなかった。


「二人ともこっちこーい!」

渡辺先生が手招きをしていた。

「じゃあ、次行こうか?」

「はい?」

俺は思わず聞き返す。

「あれ、マネさんから聞いてないのか。400m×二本 3セットが今日のメインメニューだぞ」

まじかと俺は思った、その感情が顔に出ていたのか先生がニヤリとイタズラな笑みを浮かべていた。

「ほらほら、次行くぞ」

先生に急かされ、納得がいかないまま僕と光輝はスタート位置についた。

一本目の400mはタイムを測っていたが二本目からは計測はしないのか、マネさんはストップウォッチに手をかけていなかった。

「よーい、はい!!」

俺は光輝に負けじと抜かされないように位置どりをしながら走る。

300mを過ぎたところ、光輝が勝負を仕掛けてきた。

残り100m、俺は必死に手を振った。

しかし、俺より長い光輝の足が右目端からズンズンと視界に入る。

やばい、抜かされるぅ! こんな奴に負けるのか俺は!

歯を食いしばり距離をこれ以上開かせるにはいかないと言う気持ちだけが太一の背中を押していた。

ゴールのラインを踏んだ時、俺は光輝に負けていた。

「ほらな、俺のほうが速い」

息を切らしながら光輝が余裕を示すような表情をしながら煽ってきた。

「ウルセェ、まだ1セット目の2本目を走っただけじゃねえか」

「なら俺に勝ってみろよ」

光輝が黒い眉を上下に動かしながら言う。

「……」

なんて憎たらしいやつだ。

俺は残り2セット光輝に何度も抜かされて勝つことはできなかった。



憎き光輝にギャフンと言わせるため、俺は毎日部活が終わった後に先輩に頼み込み練習に付き合ってもらった。

「太一くん、君の走りは200mまでは凄くいいんだ、ただ後半に明らかに体力切れを起こしてしまってタイムが縮まらないみたいだね」

「何か改善する方法はないですかね?」

「ん〜、僕が思うに失礼なことを言ってしまうが、君は残り100m走りを諦めているように見えるんだよ。光輝くんは逆にそれがないというか、残り100mの走りの方が良くなってるというか」

「諦めてはいないんですけどね……」

「ごめんごめん、あくまでそう見えるって話ってだけだよ。そうだいっそのこと光輝くんに何を考えながら走っているのか聞いてみたらどうかな」

「俺にあの狂犬とまともに話せって言ってるんですか? 先輩! 無理っすよ!」

「いいから、今の時間だと裏山の公園付近でランニングしてると思うから行きなさい」

「……先輩がそう言うなら。わかったっす」



先輩に言われるがまま俺は裏山の公園へと向かった。

「結構広いぞここ、ほんとにいるのかよ」

はぁ、はぁ、はぁ。

さっきからパタパタという足音と荒くなった息遣いの誰かが後ろから近づいてくるのがわかった。

振り返るとその人物は太眉の上に三本横にシワを作りながら苦しそうに走る光輝だった。

「お前、こんな時間まで何してんだよ」

「……」

光輝は俺のことなんか視界に入っていないかのように俺を無視して走る。

「おい、光輝待てって」

声も聞こえているはずなのに全く走るスピードを緩めようとしない。

ああっ、もう!! 俺は光輝の後ろについて走った。

結局、そのまま40分も走り続けた。

「……お前、これ毎日やってんのかよ」

「まぁな、400m走れって言われた日から」

「……口は悪いけど、お前努力家なんだな」

「こんなのまだまだ足りないくらいだ」

「……」

「……なんでそこまで頑張るんだ?」

「車田義彦って知ってるか?」

「あの駅伝区間賞三年連続達成してた?」

車田義彦といえば高校生から陸上を始めた選手であり、一年生で1区を任されそれから3年間誰にも負けずに区間賞を取っていた旋風のように現れた伝説の選手だ。

短距離専門の中坊だった俺の耳にさえその噂は入っていた。

「お前、まさか……」

「そうなんだよ、俺の兄。俺は兄貴と比べられることが多くて悔しかったんだ。でも長距離では勝てないと思った。だからせめて短距離、100mで自慢出来るくらいまで成り上がって認めさせたいと思った。だからお前にはぜってぇ負けない」

そうか光輝はただ兄の背中を追いかけるのに必死なだけなんだと俺は気づいた。

自分のスターターを持ち歩くことも、異常なまでにストイックなところも、俺に対して敵意を向けてくるのも……。

「光輝、俺もぜってぇ負けねぇから。お前の兄貴見返せるようになるまで早くなってやろうな」

 俺はそう言いながら光輝の頭をわしゃわしゃと触った。

「急に馴れ馴れしくすんな! 髪崩れるだろっ! 触んな、あと俺がお前に負けるわけないだろ」

「はははっ。うるせぇよ」



「うわっ、今日スタート練できないじゃん」

サブ練習競技場のレーンは試合が近いせいか全て埋まっていた。

「太一、使うか?」

光輝が赤いスターターにクラウチングしながら言う。

「いいのか? それお前のだろ」

「お前に遅くなられたら困るからな」

「そういえばこのスターターなんで赤いんだ?」

「ああ、願掛けだよ。赤色は達磨と同じ色で縁起いいだろ?」

「神頼みかよ」

「ワリィかよ」


「二人とも400m測るぞ」

先生に呼ばれる。

「行くか」

「おう、もう負けねぇよ」


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