第2話 『サヤコ』という人
ある日の夕食
「聞いた?アキね、社会で100点取ったんだよ!」
姉と弟の周りの空気がピリつく。そんな雰囲気に気づかずサヤコは、
「アキの成績が私の唯一の癒しだわ~」
と、私たちに向かって言い放つ。
悪意がないのが始末に負えない。
アキはテストでがんばっただけなのに、どうして自分が罪悪感を感じなければいけないのかと虚しさを感じていた。
姉と弟は両親に無理やり勉強をさせられたためか、勉強嫌いになっていた。
2人だって勉強の必要性は理解している。だけど、両親への複雑な思いから勉強は進まなかった。
アキは学校で先生に褒められたのをきっかけに勉強が好きになった。でも、サヤコは自分の教育のたまものだと信じて疑わない。そして、姉と弟に無言で与えた『失敗作』のレッテル。多感な年ごろの2人を追い詰めるには、十分すぎる材料だった。
(今、成績のこと言わなくてもよかったでしょ……サイアクな夕食じゃん)
サヤコだけが機嫌のいい、違和感だらけの食卓にアキは息苦しさを覚えた。
2人に謝っても皮肉にとらえられるだけ。苦い思いをしているアキの横でサヤコは、テストの話題など忘れたように今日の出来事をツラツラと語り始めた。
姉弟は、早々に聞き役を投げ出していたので、サヤコの話はアキが
「やまとくんのお兄ちゃん、〇〇大学落ちちゃったんだって~あんなに塾に行っていたのにね。やまとくんのお母さんがきっとお兄ちゃんに期待をかけすぎたのよ」
サヤコの話の大半は愚痴や悪口。そして、何より辛いのが何度も同じ話をすること。以前、しびれを切らしてオチを先に言ったら
「私、話したことあったっけ……?」
と、サヤコの顔はみるみる青ざめていった。その表情にアキは
(周りを傷つけるのは平気なのに、自分が傷つけられるは我慢ならないんだね)
サヤコの方が年下みたいだ、と思ったが罪悪感を覚えたアキは黙って話を聞くことが増えた。
アキの努力のおかげでサヤコは毎日生き生きと愚痴を言う。
(お母さん、私にも話したいことあるよ)
その一言がどうにも言えなかった。
何度もチャンスはあったはずなのに。
もし、言っていたならどうなっていたかなとアキは考える。
(伝えたところでサヤコは変わらないよ、人の話題をかっさらう達人だから)
もう一人の脳内アキが答え、反論できずに笑った。
✿
サヤコの母親は、アキが5歳頃に病気で亡くなった。
アキにとっては優しいおばあちゃん。でもサヤコには尊敬と
「おばあちゃんはとてもしっかりした人だったのよ、私はよく怒られていたけれど、おばあちゃんから見たら仕方ないのかなぁって思うんだ。だってあんなに完璧な人いないもの」
サヤコのきっぱりとした言い分にアキは納得がいかなかった。
(どうして私と違ってサヤコは、おばあちゃんを母親として好意的に思っているのかな、おばあちゃんが生きていたら聞いてみたい)
サヤコは微笑みながら言った。
「昔、おばあちゃんと海で海藻ひろってさ、2人で一生懸命乾かしたの。重くて大変で……」
「へぇ」と相槌をうちながら、アキも幼いころのサヤコとの思い出を振り返ろうとした。だが、何も思い出せなかった。
(あれ?さすがに思い出の一つくらいあるよね)
おかしいくらい覚えがなく、アキは冷や汗をかきそうになった。
いくら探しても頭に浮かんだのは、サヤコに鋭く注意されて悲しかったことばかり。
あたたかく抱きしめられてたことや、手をつないで歩いた記憶がまるでない事実がアキの心に影を落とした。
(サヤコとの楽しい思い出……ないんだな。私が忘れただけだといいけどね……)
すぐには認められず、アキは考えるのをやめることにした。
✿
「お母さんは愛情をもって私たちを育ててくれたとは思うんだ」
大人になって姉と話したことがあった。
姉は思春期に猛烈な反抗したタイプで、サヤコや父から将来への不安を押し付けられては、アキに泣きながら愚痴っていた。
「お姉ちゃんさ、お母さんに大好きだよって言われたことある?少しでも言われたらさ、私たちはこんなに歪まずに大きくなれたんじゃないかと思うんだよね~」
姉の反応をうかがうと
「……あの人って子どもみたいだよね~」
と、苦しそうに言った。
アキとは違い、姉はサヤコとそこそこいい関係を築いていると思っていた。
だが、それは思い違いだったのかも、とアキは思わざるを得なかった。
それでも、実家に頻繁に帰り彼女は長女の役割を果たしている。
「お姉ちゃんは偉いよ」
姉はビールを一気に飲み干した。
(2人で話していても、サヤコの話をすると暗くなる。サヤコがしたかった子育てってなんだったんだろう。私は子育てしたことないから、こんな冷たい考え方になるのかな)
アキはサヤコが絶対答えてくれないであろう疑問を抱いては、心の中でそっと打ち消した。
✿
サヤコは料理が得意だった。
誕生日はいつも手作りのケーキや料理で、テーブルがいっぱいになったのを覚えている。
お祝いをしてもらったならサヤコとの楽しい思い出になりそうなものだが、アキの中では残念ながら苦い記憶になっている。
なぜならサヤコが料理に集中しているときは、まったく近寄れなかったから。
「触らないで!台所に来ちゃだめ!」
と、鬼の形相で何度となく注意された。
大量の料理を作るのは、大変だったと思う。だがその思いを10歳にも満たない子どもが理解する難しい。
サヤコがイライラしていると感じると、アキはたまらず別の部屋に逃げた。すると
「アキは手伝いもしないもんね!」
と、サヤコの非難めいた声が追いかけてきた。
怒られて手伝いに行こうとすると、邪魔者扱いされる。
次第にアキは料理の手伝いから外れ、ついたイメージが
『アキは料理が苦手』
アキは今でも料理への苦手意識を拭えないでいる。
✿
アキがサヤコの感情に振り回されていることに、父は気づかなかった。
そしてアキも他の2人も、父には何も言わなかった。
良くも悪くもサヤコが家の中心で、逆らってはいけない存在だったから。
サヤコは父が大好きで、父の意向がサヤコのすべてがった。
アキ達が父に反発しようものなのなら
「お父さんの話をちゃんと聞きなさい!」
と言い、サヤコが子どもたちをかばって一緒に戦ってくれることは一度たりともなかった。
その一方で、父の愚痴をアキにこぼすサヤコに不快さとともに恐れを感じた。
(こうやって私の悪口も姉や弟に言ってるんだろうな……)
サヤコはよく
「最近あんたの評判悪いよ!」
という独特の怒り方をした。
約束は守ろうね、きちんと片付けしよう、と具体的に言えばいいのに、とアキは何度も思った。不特定多数の人に自分の悪口を言われているのだと感じてしまい、アキは怒られるたびに心臓が縮こまった。
他人がヒソヒソ話をしているとどうしようもなく気になる。
もちろん自分の悪口を言われているんだと思って。
(完全にサヤコのせいでしょ)
だが、母親のせいにしてもアキの心は晴れることなかった。むしろ大人になってまで母親のせいにして生きている自分が恥ずかしく思ってしまう。
アキは自分で自分を追い込んでいることに、まったく気づいていなかった。
つづく
毒親ではないけれど 藤澤 コウ @koh0218
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。毒親ではないけれどの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます