机の端が、勇気をくれる 〜名も知らぬ誰かとの10日間〜

しぎ

1日目 俺は言いたい

「いいかあ。2年生の内容は1年生で習ったことの延長線にある。もしついていけなくなったら、1年生の内容からしっかりやり直せよ」


 ザ・中年といった容貌の数学教師がそう言って黒板を叩く。この人、去年の今頃も中学生からやり直せとか言ってたなあ。


 俺は軽くあくびをしつつ、ぼんやりと窓の外を眺める。

 校舎4階の一番端にある特別教室の、窓際の一番後ろの席。ここは校庭が見える特等席だ。

 その代わり、開いた窓から風がダイレクトに吹き込むが、今は4月。適度に温かくて気持ちがいい。


 校庭を見下ろす。

 さっそく走らされてるのは1年生だろうなあ。あの体育教師は厳しいぞ。



 ……などと気を紛らわせても、俺の気持ちは晴れない。



 

 ――好きな女子に、告白しそこねた。


 本当だったら今頃は、返事をもらえていたはずなのだ。

 もちろんそこで駄目だったら落ち込んでいたが、相手はそれなりに友だちの多い女子。諦めもつかないわけではない。


 それよりは、今のこの、悶々とした状況の方が嫌だ。

 彼女は俺のことをどう思っているのか。恋愛対象として評価してくれているのか。

 嫌われてはいないと思うが、すごく仲良いか、と言われると正直微妙である。

 

 

 相手は同じ図書委員の同級生だ。クラスは違えど、同じ時間に図書室の貸出担当だったので、自然と話すようになった。

 どこでもいいや、と適当に委員会を選んだ俺に比べて、彼女は真剣に委員の仕事に取り組んでいた。なんなら、担当じゃない日でもずっと図書室に入り浸ってるぐらい熱心な子だった。それぐらい本好きだった。


 でも、俺みたいに不真面目で、活字の本なんてほとんど読んだことないやつにも、あの子は優しく接してくれた。

 おすすめされた小説を、俺が2週間かけて読んで感想を伝えたら、ごちそうを前にした子どものように喜んでくれた。

 逆に俺が勧めたマンガを、1日で全巻読破して、キラキラした目で熱く感想を語ってくれた。


 

 ――かわいい顔でそんなことされたら、好きにならないわけないだろう。



 最初は、ホワイトデーに告白しようと思っていた。

 でも俺にはそんなこと真顔でできる勇気はない。

 

 だから次に、春休みの間になんとかして言おうとした。

 しかし、今年から春休み中の図書室の開放が無くなったことで、彼女と会えるタイミングも無くなってしまった。

 全く先生め、経費削減をするならもっと手を付けるところがあるだろう。

 俺たち生徒には節電って言って教室の冷暖房の温度を制限するくせに、職員室は制限かかってないの知ってるんだぞ。


 ……それは置いといて、結局告白できぬまま俺たちは2年生になった。

 そして入学してきた後輩への対応なんかに時間を追われて、告白するタイミングは未だ作れていない。



 全く、告白するというのはこうも難しいものなのか。

 図書室で一緒にいるとき言えば良いじゃないか、と軽く考えていた年始の俺を殴りたい。

 言葉を考えていても、いざ彼女の姿を――丸メガネに小さく整った顔、セミロングの黒髪、本を読んで興奮して顔を赤らめる姿を前にすると、何にも言葉が出てこないのだ。

 

 何なら、思い浮かべるだけで他のことが集中できなくなる。

 教師の喋る数式の説明が、いまいち頭に入ってこない。

 俺はぼんやりと茶色い机の端に視線を落として……



 ――ん?


 うちの学校の備品は、かなり古い。

 戦後すぐから同じ場所に建っているからなのか、あるいはこれも経費削減の一環なのか、いつ壊れてもおかしくないようなボロボロの机や椅子が平気で使われている。

 だから今俺が見たような、机や椅子に書かれた古い落書きが消えずに残っているという事自体は、それほど珍しいことではない。


 ただ、その落書きは明らかに新しかった。

 机の端ではあるが、一度認識したら見失うことはなさそうなぐらいには、はっきりと濃く書かれている。

 シャーペンで書かれており、かすれている感じもない。ここ2、3日で残されたような。


 

 今日は月曜日。

 そしてここは一番端っこの特別教室。土日に学校自体が空いていたとしても、ここが使われることはまずないだろう。

 とすると、書かれたのは俺のクラスがこの教室を使わない、金曜日が濃厚だ。

 その日にこの教室を授業で使うクラスの誰かが残したメッセージ。



『言うべきか、言わざるべきか、それが問題だ』



 ――全く持ってそのとおりである。


 いや、この問題に答えは出ているか。

 少なくとも俺の場合の答えは『言うべき!』だ。


 力強いこのメッセージの書き手は、何を思ってこんなものを残したのだろう。

 何か言うのを迷っていることがあるのか。

 言いたいけど言えないことがあるのか。


 もしそういうのがあるのなら、俺からはぜひ言うことをおすすめする。

 もちろん言えない様々な事情はあるのだろうが。



 というか、俺が言いたいよ。

 言うべきなのに、言えない。



 思わず、俺は自分のシャーペンを手に取った。


『言うべきです! おれも言いたいです!』


 書かれていた言葉の下にこう付け加える。



 ……って、何やってんだ俺は。

 こんな返事したところで、相手にちゃんと届くかすらわからないのに。


 まあいいや、次にこの教室を使ったときに確認しておくか。

 次は明後日の水曜日だ。

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机の端が、勇気をくれる 〜名も知らぬ誰かとの10日間〜 しぎ @sayoino

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