第5話 テスト


教室の窓から見える校庭を囲むように生やされた木々の緑が、風がなびくたびにガサゴソと音を立てる。

そんな僕が見る風景画の真ん中に淡路さんはいた。

窓際の淡路さんも外の景色を見ている。

喋らない彼女には何を見ていて、何を思うのだろうと僕は思う。

不意に振り返る彼女と目が合うとほとんど無意識的に視線を逸らしてしまった。


あの「ともだち」事件以降、彼女との関係は以前よりかは幾分か近くなり、紙の文字だけのやり取りではなく、あの日LINEも交換した。

会話はまだ


「よろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


だけで終わっている。

何度かメッセージを送ろうかと思ったが送る内容も思いつかず未だに送れていない。

最近はLINEの音が鳴るたびに心が少し浮き足立つ感覚すらある。だいたいは公式アカウントからのお知らせだ。

自分でも分かるくらいには意識してしまっている。でもこの感情は簡単に恋だとか愛だとかで測れるものでもなさそうで、喋らない彼女の心や考えを単に知りたいという知的好奇心に近いものかもしれない。

この感情を表す言葉を高校生の僕はまだ知らない。

すっと悪い癖の脳内会議から現実に戻ってくる。


「いいかぁ〜、ここテストに出るぞ〜。

二度は言わんからな。しっかりメモしけよ〜。」


数学の先生が優しさ100%で言うこのセリフにも僕は(はいはい、どうせ言われないとできませんよ)と皮肉めいたものを感じてしまう。

テストかぁと心のうちで目一杯のため息をする。

自分はそこそこできる方だと思っていた中学時代を過ごし、高校に入ると普通くらいなんだなと自覚し出したこの頃、テストの時に感じていた他人よりできると言う優越感、目標の点数を取ったと言う達成感、周りからすげぇなと言われる幸福感、そういったものが一つ一つ失われていきテストないしは、勉強そのものへの意欲が失われてきている。

今回も適当に流すかと心で唱え、頬杖をつく。

視線の先の淡路さんは懸命にメモを取っていた。

あぁ、本気なんだなと見るだけで思えた。

頭がいいのは普段の小テストや振る舞いから想像に容易くないがこう言うところからなんだろうなと思えて納得した。


授業終わり頬杖をついて焦点の合わない目で遠くを見ていた所に横からノートが飛び込んできた。


「(数学苦手。教えて)」


予想だにもしてなかったことに急に立ち上がってしまい、彼女を驚かせた。


咳払いをして席に着く。

確かに数学は他の教科に比べればまだマシな方だがそれでも淡路さんに教えれるほど理解できてるとは思えなかった。

淡路さんの方も苦手といえど、できる人の苦手なのだろうと思う。

少し悩んでいると、淡路さんの顔が徐々に暗く沈んでいくのが分かった。

僕は慌てて


「僕でよければ」


と言い伝えた。

分かりやすく晴れやかになる淡路さんを見て、ほっと胸を撫で下ろした。

そこから時間の合う放課後、文芸部の部室での摩訶不思議な勉強会が始まった。

始めこそ二人で数字をと言う感じだったが、いくら人が少ない文芸部とはいえ部室に常に二人だけということでもない。一つ上の先輩で部長の花先輩(と本人に呼べと言われてる)なんかは僕と同じくらい部室に来る。花先輩は赤メガネに黒髪ロング、見た目はいかにも清純真面目っ子であるが人は見た目によらないと言うことを僕はこの人で毎度思い知らさられる。会うたびにヘッドロックを決めながら最近どうだと尋ねられるのだ。いかにも体育会系である。

ただ別に悪い人であると言うことではない。むしろその逆である。話しかけやすいように接してくれるし、相談すれば真剣に悩んでくれる。そんな花先輩だから僕は数少ない信用に値する人という位置付けになっている。

花先輩が二人で勉強してるところに来た時、まずヘッドロックを決められ


「青春しやがってこの野郎!」


と冗談半分に首を絞められていたがいつもより腕に入っている力が強かった気がする。

花先輩はかなり頭がよく勉強の相談役にもなってくれた。

僕が危惧していた教えられるのか問題は花先輩によって乗り切ることができた。

スーパー先生がいるおかげでかなり順調に勉強が進み、数学以外の勉強も3人で行っていた。

僕自身こんなに真剣に勉強するのも久しぶりで勉強の楽しさを少しずつ取り戻していた。

淡路さんはというと最初は花先輩の圧倒的パワーに気圧されていたものの時間が経つにつれて

緊張がほぐれたようで積極的に質問しに行くようになっていた。

改めて考えてみると僕は淡路さんが僕以外と紙で会話しているのを初めて見た。

側から見ると異様な光景だなと思えたが同時にその特別感にも誇らしくなった。


テスト前日、つまり最後の勉強会の日になった。

僕は最終日の過ごし方について思うことがある。

今までしっかりと積み上げてきた人は最終日に無理はしない。次の日を見越した立ち回りをするのに比べて、前日詰め込み派はギリギリまで無理をする。自分でも両方経験したことがあるが無理に無理を重ねてもいいことなんて何もない。がやるしかないのだ。

今回僕は無理しない側だ。勉強したとはいえ上位の奴らには敵わないしそんな風に考えながら英単語の復習をしている。

横の淡路さんは本気だった。前日まで何も勉強してこなかったやつ、それ以上かもしれない。

気迫を感じた。今までどうやって生きてればここで手を抜かないということができるのだろう。怠惰な自分はそう思うしかなかった。

伸びをする淡路さんと目が合った。


「(ラストスパート!)」


今まで見てきた淡路さんの文字よりも少し砕けて書かれた文字に仲良くなれたんだなという感動があった。

僕は無言で頷いて勉強に力を入れ直した。



テスト当日

いつもより早めに家を出た時の空気が僕は好きだ。人通りも少なく空を見る余裕がある。

お世辞にもいい天気だなんて言えない澱んだ色の雲が空を覆う。

晴れが好きなわけではないがこの時期の曇りのジメッとした空気が肌にまとわりつく感覚に比べればマシだ。

クラスにはポツポツと人がいる。

淡路さんもきていた。窓際の先に座り単語帳を見ている。


「おはよう」


「(good morning)」


筆記体であろう文字でギリギリ認識できた。

僕たちの声質を変えるみたいな感じで書体を変えてくるのには笑ってしまった。


ここからは一人の世界、一人の戦いだ。

翌る日も翌る日もやってくる問題という名の怪物に立ち向かい、時には立ち往生しながら悪戦苦闘の模様を呈していた。

しかし、一人の中でも

(あっ、これはあの時花先輩に聞いた所だ)や、

(淡路さんが悩んでいた所だ)と一人の戦いの中に仲間の存在に気付かされる。


ふぅと上を見上げる四日間にもなる全日程が終了した。

この時の開放感は何度味わっても最高だ。


「お疲れ〜」


淡路さんに労いの声をかける。

流石の淡路さんも疲れているようで机に突っ伏したままグッドサインを見せてきた。

普段の凛とした佇まいから想像できない姿に同じ人間なんだなと実感する。


テスト返却は来週になる。今時順位が張られることもなければ自分が何番目かも教えてくれない。大体の所感と、噂だけで判断することになる。

いつもよりは手応えはあるも、そんなに期待しないでおこう。


窓を見ると雨が降っていた。見える限りの空を灰色の雲が覆い尽くす。

一体どこまで雨は降っているんだろう。そんなことを思わせながら。

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