九 外堀をほとんど埋められました

「何ですか、これは!」


 私はわなわなと震えながら宮様が出した紙を掴んだ。


「だから、号外記事だよ」


 それは見れば分かる。問題なのは中身だ。


「まだ私たち婚約していませんよ」

「一応、『まだ』ね」



 宮様は、笑顔を浮かべながら小首を傾げた。

 くっ、顔がいいというのは卑怯だわ!あんな欠点を見せられたのに惹かれそうになってしまう。


「それに、私の特集記事!あまりにも私に詳しすぎませんか?」


 号外新聞の記事に私の家族構成、学校の成績、趣味、得意料理、幼いころの出来事、さらには昨日買った本まで書いてある。恥ずかしい成績を取らなくてよかったと今更ながら思う。


「身辺調査の一環で臣下に調べさせた内容を記事に転用したんだ。まずは手近なところからと思って女学生から聞き出そうとしたら、ろくな情報がなくてね。友達作った方がいいんじゃない?」

「余計なお世話です!」

「試験のときもだし、今見たところでも、引っ込み思案というわけでもないから、外国に連れて歩いても大丈夫そうだね」


 うん、うんと宮様は一人で勝手に頷いている。宮様の頭の中では、私を妃にする前提で勝手に話が進んでいる。


「情報源が女学校でないとすると…」

「君の叔母たちだね。嬉々として君の情報をくれたよ。『『サラ子ちゃんをよろしく!』』とくもりのない笑顔で言っていたよ。素直で感じのいい人たちだったね」

「あの…、昨日買った本まで書いてあるのはさすがに…」


 これは叔母たちも知らない情報のはずだ。なぜならば、叔母たちとは募集案内をもらってから会っていないから。

 いつ逮捕されるのか心配でずっとふさぎ込んでいた私に、昨日、母が気晴らしに散歩に行って来たらどうかと言われて、足を向けたのが本屋だった。

 もしかして、私は付け回されていたのだろうか。これまでの宮様の気持ち悪い行動を考えるとあり得ない話ではない。


「君が失礼なことを考えているのはなんとなく分かるけど、それは誤解だよ。これは偶然僕も同じ時間にあの本屋にいたんだ。本当は声を掛けたかったけど、明日までの我慢!と心を鬼にしていたんだ。君の姿はずっと本棚の陰に隠れてずっと見守っていたよ」

「声を掛けた方がよっぽどマシです!」


 私の発言に両親も激しく頷いた。


「でも、なぜ本屋に?」

「外商部の人が何でも持ってきてくれるけど、本屋は直接行った方が楽しいからね」

「宮様が行ったら目立ちませんか?」



 宮様が歩いただけで、すぐに女性の悲鳴が聞こえてきそうな気がする。そうでなかったとしても、皇室の馬車で乗り付けてきたら何事かと騒ぎになりそうだ。


「大丈夫、大丈夫。簡単な変装でいくらでも誤魔化せるから。それに君だって先週僕だって知らなくて蹴ってくれたでしょう?」

「うっ、そうですけれど…。なぜ、そこでうっとりとしているんですか?」

「先週の君の美しい足を思い出して…はぁ」


 はい、宮様から色っぽい溜息を一ついただきました。


「サラ子、こんな気持ちの悪い男は止めなさい!」


 父様、私もそう思います。

「サラ子ちゃん、僕の求婚受けてくれないかなぁ?」

「お前が勝手にサラ子と呼ぶな!」


 父様、ついに宮様をお前呼ばわりし始めました。あああ、不敬罪で父子一緒に投獄されてしまう未来が見えました。


「トシ!落ち着いテ!いくら気持ち悪くても宮様デスよ!失礼な物言いは止めてクダサイ!」


 母様、あなたも失礼ですよ…。母様まで投獄されてしまっては、弟たちはどうやって生きていけばいいのでしょう。


「両親が大変失礼を働きまして、申し訳ありません」


 私は宮様に土下座をして謝った。


「君が謝る必要なんてないよ。君に出会って、僕はこんなに狂ってしまうとは思わなかった。自分がどんどん気持ちの悪い男になっている自覚はあるよ」


 やっぱり、気持ちが悪いという自覚はあったんだ。


「待って、待って後ずさりしないで。好きな女の子にそんな反応されたら僕だって傷ついちゃう」

「すみません、何か体の防衛本能が働きまして」


 宮様に足を触られたときから、身の危険を常に感じているのだから仕方ない。


「ところで、新聞で私のことを公爵令嬢と書いてありますが、これは間違いですよね。そもそも、平民が宮家に嫁ぐなんてできませんし。残念でしたね、宮様。私たち結婚できませんよ」


 我が国の法律上、宮家には士族以上の人間しか嫁げないことになっている。士族以上の家の養女になれば身分の問題は解決するらしいが。我が家は父が華族籍を離脱しているので当主である祖父が望まない限り、加賀見公爵家に復籍できない。


「今は公爵令嬢で間違いないよ。なぜなら、加賀見家の当主に君たち家族を復籍させるように皇上陛下を通じて命じたんだから」

「えっ!あの父が?」


 これには私の父が驚きを隠せなかった。何しろ、母と結婚する際に加賀見の祖父と父は殴り合いの喧嘩を繰り広げ、最後に『勝手にしろ!』と祖父が言い捨てたから。

 祖父の元を離れてから父は結婚の手続きをするために戸籍を取り寄せた。すると父が華族籍から抜かれていたことが分かった。(父も父で祖父がやらなければ自分からするつもりだったらしいので、さしたる問題はないらしい。)

 離籍の申請日は祖父と父が喧嘩を繰り広げた日の翌日だった。それ以来、加賀見の祖父と父は一切かかわりを持っていない。


「祖父は不承不承という感じだったのでしょうか」


 祖父と父の間にどんな因縁があったとしても、皇上陛下からの勅命ならは断ることはできないだろうから。


「いや、そうでもなかった。加賀見家は前の時代から娘を宮家に送りたかったらしいからね。いろいろな事情があって実現には至らなかったようだけど。ついに実現できるとなると少々のことは目を瞑ってくれたよ」


 宮様は何てことのないような顔をしていた。

 祖父からすれば、あれだけ手間をかけた息子が次期当主の座を蹴って、知らない外国の女性と結ばれようとするなんて、裏切り以外の何物でもないだろう。そこを我慢しての一族としての悲願実現のために承知したのではないだろうか。


「もしかしたら、謝る機会をうかがっているかもしれないよ。君のお祖父様。一昨日会ってきたけど、孫娘のことをよろしく頼むと僕に深々とお辞儀をして言っていた」

「そうだといいのですが」


 そう言われると一度くらい、加賀見の祖父に会ってみたいような気もする。


「フンっ!僕は許さないよっ。僕の愛するマチルダを知りもしないで蛇蝎のごとく嫌っていたんだから」

「トシ、大人気ないデスヨ」


 いまだに怒りが収まらない父を母がなだめる。


「というわけで身分の問題も解決しているということで…」


 宮様が嬉しそうに私の手を引き寄せようとした。


「あの…、私たち家族はもうすぐプロイツェンに移住することが決まっていまして」


 出国を取り消そうと思えば取り消せるが、このまま出国して話を有耶無耶にしてしまいたい。父は大学から実質退職扱いにされているだろうし、プロイツェンのお祖父様に頼んで何とかしてもらおう。


「ああ、そんなこと?それなら、出国手続を停止しておいたよ」

「…えっ!」


 なんと横暴な。宮様、権力に物を言わせ過ぎではないだろうか。


「君たち家族が近々出て行かないといけないことは分かっている。僕個人としては、君以外はプロイツェンに行っても構わない。この国にとどまりたいというなら、僕の邸の離れを使ってもいいよ。好きな方を選ぶと良い」


 我が家にいきなり現れた選択肢。ただし、私のみ山都ノ國に残留決定事項扱い。

 それにしても、だ。

 二次試験終了後から我が家の身辺調査に着手したとしたら、一週間。もっと前から始められるとしたとしても一次試験終了後からが限界だ。それでもたった二週間だ。その間に叔母たに協を取り付け、祖父を説得し、出国手続を停止させて、新聞社への根回しと号外記事の手配をしている。


「あまりにも手際が良すぎませんか?」

「だって、欲しかったんだもん!使えるものは何でも使うさ!悪いか!」


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 だめだ、考えるのが面倒になってきた。


「使えるものというのは、国家権力的な」

「そうだね。まず、皇上陛下が実に協力的でね。『そなたに春がやってきたか!どの娘だ!協力を惜しまぬぞ』って。陛下の一声で緊急案件にされて、いろんな国家機関に動員をかけた。各機関から有能な官僚が集められてみんな徹夜で働いてくれたよ。もちろん、僕が動いた方がいいものについては僕がかかわったけど」


 国家権力、怖っ!というか官僚の皆さん可哀そう。他に優先すべき仕事があっただろうに。


「なぜ、私なんかを。私なんて混じり者って馬鹿にされているのに」

「何を言っているんだ。混じり者だなんて、卑下する必要なんてないっ!君はこれからの時代の象徴足りえる存在だ」


 宮様は強い眼差しで私を見つめた。


「君は自信を持っていい。あの場に君ほど魅力的な子はいなかった。何より素晴らしかったのは、あの回し蹴り!ぜひとも、あの美しい足をもう一度見せてほしい」


 歩み寄る宮様、後ずさりする私。ああ、もう壁に背中がついてしまった。


「僕の求婚、受けてくれるよね?というか受けるしかないよね?」

 宮様はその眩しい顔面を近づけてきた。こんな誰もが羨む宮様に迫られたら、大抵の女子は拒めない。しかし、しかしだ。まともに会話したのは今日が初めての相手に求婚されても正直どうしたらいいか分からない。


「まだ君の心が僕にないことは分かっているけど、いつかは…」

「顔が近い!」


 あ、危ない、危ない。宮様の襟をつかんで柔術の技を掛けそうになってしまった。

 皇族を投げる、ダメ、絶対!


「え?投げないの?どうして?」


 この人、恍惚とした顔を私に向けてきているんですけど!!もしかしてこの人、足フェティシズムだけじゃない、マゾヒストだ!


「あぁ、あの日、君に蹴られて、僕は新たな扉を開いてしまったんだ。この責任取ってくれる?」

「いや、あの…」


 何も知らなければ、色気のある顔で素敵なんていう人もいるかもしれないけど。その吐息を絡めた低い声も卑怯だ。あまりにも艶やかな声で体の奥が熱くなりそうになる自分が信じられない。


「ねぇ、お願い。僕の妃になって」


 なぜ、私の手じゃなくて足を掴んでいるの??ちょっと、ちょっと、口元に私の足先を引き寄せないで!


「いきなりそんなことを言われても困ります!」


 逮捕されるかと思っているところに、よく知らない人からの求婚だなんて考えが纏まるわけがない。


「とにかく、今日のところはお帰りください!!」

「分かった、今日のところはこれで失礼するよ」


 にこやかな笑顔で宮様は我が家を辞去されました。


「何とかお帰りいただいた」


 すっかり疲れ切った私は、その場で腰が抜けてしまった。

 この時の私は知らなかった、宮様があの手この手で私を手に入れようとしていること。そんな宮様に私は心を奪われてしまう未来を。

(おわり)

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宮様の新たな扉を開いてしまったのは私です BELLE @Belle_MINTIA

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