第32話 ペーンの決意

※人が亡くなります。苦手な方は飛ばしてお読みください。


「ハーン、ハーン! ハヅキ様! 聖女様! どうかお助けください。 お願いします! ああ、どうして。こんなに良くなっていたのに! 早く。お助けください。お願いします。 俺の命を分けます。お願いします! ハーン!」


 9回目、ハーンにとっては5回目の治癒魔法実施予定日、ハーンは急変した。


 穏やかな朝、ペーンとハーンの間に双子をはさんで寝て、その天使の様な子ども達の髪を手で梳いていた時だった。ハーンが一瞬びっくりしたような顔をした後、苦し気な息を吐くと、顔色が見る見る間に青くなり、土気色に変わる。ハーンの状態に気付いたペーンが、タオに助けを求めた。騒動を聞いたカインは、シリとドウに双子を連れて別室に待機するように言う。


 葉月は急に状態の悪くなったハーンにどうしたら良いか分からず立ちすくんでいる。ハーンは肩を大きく上下に動かしながら一生懸命に空気を吸っている。ペーンはハーンに縋り付き、葉月に治癒魔法を望む。


 タオはペーンに言う。


「状態があまりよくない時に治癒魔法を使用すると、死期を早めることがあるのじゃ。それでも、ペーンは治癒魔法を使うのか? 」


「石化は良くなっていたんじゃないのかよ? 治ったのは見た目だけだったのか? 聖女様! ハヅキ様ならハーンを死の縁から呼び戻してくれるのではないのかよ? お願いだ! ハヅキ! なんで、ボーっと立ってるだけなんだ? なんかできるだろう? なんで治癒魔法をかけてくれないんだよ! お前もやっぱりニホンジンなんだな! 出し惜しみなんかするなよ! 目の前で苦しんでいる者がいるのに何もしないで眺めているだけかよ! ああ、ああ、ハーン。ハーン。行かないでくれ。お願いだ……」


 カインが町医者を呼んできた。この世界の医者は資格があるわけではない。祈祷や呪いだけに頼らず、安静にさせたり、師匠から受け継いだ長年の経験の上で効果のある薬草を使用した薬湯や食事療法を指導するものを言う。そんな町医者に石化の呪いによって状態が引き起こされているハーンを見てもらう。


「呪いは、私の範疇はんちゅうではありませんが、今の奥様の状態は、後1時間もしないうちにティーノーンの神々の下に戻られることでしょう。治癒魔法は体が耐えられないでしょう。これ以上何もすることはありません。ご家族の方をそばに。お別れをしてください」


 別室からキックとノーイを連れてくる。


「おばーちゃん。どぉしたの? イタイイタイなの? キック、よしよしするの! 痛い、なーいなの! 」


「おばーちゃん。おばーちゃん……」


 ノーイは怖くなってしまったのか、怯えた顔でペーンにしがみつく。ペーンはハーンの動き一つ一つに反応し、言葉をかけている。時々、葉月を恨みがましそうににらんでくる。


 にわかに店の前が騒がしくなった。フック神官長が馬に乗って駆け付けてくれたようだ。タオの店につけられていた陰から報告があったのだろう。


「葉月よ、最期に治癒魔法をハーンにかけてあげなさい」


「え、でも、状態が悪いときは……」


「それが、彼女の苦しみを開放することになるのです。さあ、早く! 」


 葉月は深呼吸して、ハーンの横に正座する。ニ拝、二拍手、一拝。想いをこめて祈願する。


「かしこみ、かしこみ」


はらえたまえ、きよめたまえ、かむながら守りたまえ、さきわえたまえ」


抜苦与楽ばっくよらく!!  」 


 最期の時に、葉月にできる事。姫に、葉月には完治させる力は無いと言われた。亡くなった人を蘇らせるのは神の領域で人間は関わってはいけないそうだ。だから、最期は苦しみを取り除き楽を与えるというこの願い事にした。姫によれば、神社の願い事一覧には無いそうだ。でも、極み炊きができるなら、できるよね。あ、ごっそり魔力が引き出される。ああ、この後の展開が気になる……。奇跡よ起こって!


 ※ ※ ※


 目が覚めたら、フック神官長がお別れのお祈りをしている所だった。聞くとハーンの最期は穏やかな微笑みを浮かべ、キックとノーイにサヨナラのおでこへキスをして、ペーンの腕の中でティーノーンの神々の下に旅立っていったそうだ。葉月の祈りは届いたと思いたい。


 フック神官長は帰り、代わりの神官が葬儀にはやってくるそうだ。


 近所の獣人達が駆けつけてくれた。葬式の準備をするそうだ。一日かけて、家族とお別れするため、部屋の中央に、ベッドの様な物が置かれ、そこに遺体を寝かせる。ペーンは今だ放心状態だ。


 葉月は後悔していた。もっと早くハーンに治癒魔法をかけていたら。毎日、葉月が治癒魔法をかけ続けたら……。ペーンが怖い。あの「ニホンジン」と言った恨みのこもった目が怖かった。


 葉月は献身的に介護をしていた。なるべく不快が無いように、快適な状態に少しでも近づくように。治癒魔法だって、葉月のできうる限りの力で祈った。喉に瘴気の素が張り付いて、死にかけたこともあった。それでも治療を続けた。なのに、恨まれた。理不尽だ。こんなに恨まれるくらいだったら介護だけを淡々とやっていたほうが良かった。治癒魔法なんて、小さな切り傷とか擦り傷が治る位で良かったのに。もう治癒魔法なんて使いたくない。でも、もうすぐペーンの死期が近付いている。フック神官長に相談しよう。葉月はどうしたら良いのか分からなくなっていた。


 ※ ※ ※


 妻が亡くなった。


 ハヅキの治癒魔法を受け、また、孫を抱くことが出来た。また、妻の声を聴くことが出来た。ハヅキの魔法で、妻の最期は穏やかだった。


 でも、でも、自分に健康被害が無いなら、もっと毎日でも治癒魔法を使ってくれていたら良かったのに。できることを出し惜しみして、自分の付加価値を上げるつもりなのか? ちょっと治癒魔法のできるばあさんなのに、自分が死ぬ前にできることをすればいいのに。


 ハヅキは妻や俺の介護や治癒魔法の事を持ち出して、タオの店に入り込んでいる。今だって、ちゃっかり自由民にしてもらって、俺が死んだらタオの妻の座を手に入れるのだろう。キックやノーイを奴隷にしてこき使ったり、どこかに売ってしまうかもしれない。タオは優しくてお人よしだ。あんな聖女のふりしたニホンジンに任せられるか!


 俺はもうハヅキの治癒魔法は受けない。キックとノーイはタオに任せれば大丈夫だ。そのためにはタオをあの性悪女から離さなければ……。


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