第33話 フック神官長の提言
ハーンの葬儀はしめやかに執り行われた。遺体は火葬され小さい壺の中に入れられた。ペーンは枕元に壺を置き、話しかけては涙を流している。
ペーンはハーンが亡くなってから、葉月と目を合わせてくれない。そして、キックとノーイの世話を葉月がするのを嫌がった。葉月はペーンの意向に沿って、極力室内には居ないようにしたし、シリやドウに双子を任せることにした。その空いている時間で今はコツメカワウソのぬいぐるみを作っている。今も、煮物を作る竈の前で座りながらチクチクと針を動かしている。
「ペーンはまだ、返事してくれないのかい? なんでなのかね? この前まで聖女様、ハヅキ様って言ってたじゃないかね」
「うーん。なんか、私が治癒魔法を出し惜しみしてたとか、自分たちをダシにしてタオを良いように扱おうとする悪女なんだって」
「へー。ハヅキが悪女だって? どうやったらそうなるのさ。逆立ちしたって悪女になんてなれないよ」
「まあ、どう思われても良いけど……。治癒魔法も受けたくないんだって。キックやノーイにも触って欲しくないらしい」
「仕方ないさ。人の心をさ、他人が変えるのは本当に難しいよ。だからアタイは人を変えようとするより、自分が変わるようにしてるね」
「おお、師匠のありがたいお言葉。それは、どんな風に? 」
「よくぞ聞いてくれたよ! 旦那がさ、アタイの料理は完璧なのに、何にでも塩を追加するんだよ! 一口も食べもしないでさ!! それで、新婚時代からずっと喧嘩してたんだよ。そんな時、神官様のありがたいお説教を聞いたんだよ。『相手の気持ちになって考えてみましょう』って。で、考えても考えても旦那の気持ちなんか全く分からなかったんで、放置したんだよ。それでさ、期待しないようにしたら気が楽になってさ、上手くいったんだよ。今では10人の子沢山さ」
「……独身にはあんまりわからないんだけど、期待をすることをやめたってこと? あきらめたってこと? なんか、関係性悪くなってない? 喧嘩しても話し合って歩み寄った方が健全じゃない? それにさ、相手に合わせて自分を変えるんでしょ? 向こうでの私は人に合わせてばっかりだったけど、自分が辛くて『なんで私ばっかり』って思ってたよ。自分だけ変わるって辛くなかったの?」
「んー? 相手に合わせてしまうこととは違うのさ。相手に『こうするべき』とか『こうするのが当たり前』っていうアタイの考えは、旦那の考え方とはちがうだろう? だから、『アンタはそうなんだねー。アタイはコウだけどね』って自分のしたい事をするようにしたらイライラが減っていったように感じたね。
さっきの旦那の癖だけどさ、料理出して、塩かけるだろ。前はここでイライラしたんだけどさ『美味しい? 』て聞くだけにしたのさ。どうやったってかけるんだからさ。もうさ、喧嘩もしたくなくてさ。何回もそうしてたら、塩をかけずに食べてたんだよ。それでさ『塩かけなくても、ムーの料理はうまい』って言ってくれたんだよ」
ムーは新婚時代を思い出しているのかウットリとして頬を染めている。
「ふーん。……頭が良くないからあんまりわかんなかった。たとえ話じゃなくて具体的に話してほしいな。師匠、私は、ペーンさんにどうかかわればいいの?」
「アタイだったら、したいようにするね」
「ですよねー。何か深く考えたようで、一周廻ってスタート地点に立った気分になりました。師匠」
「ハヅキ、アンタ、思っているよりバカだね? アタイのありがたい話をした時間を返してくれよ。とにかく、こんな事は時間薬って言って時間が解決してくれるんじゃないかい? 」
「そうですねー」
タオは、ムーと葉月の進歩のない会話を、裏庭のハンモックに揺られながら聞いていた。
ペーンの葉月にかけていた期待度の大きさを知っているので、もう少しどうにかなったのではといった気持が強くなって『ハヅキが裏切った』と感じているのだろうとは思う。キックやノーイの件も、葉月に悪感情を持っているなら当然だ。
だが、献身的に介護をしてくれていた葉月にとっては、晴天の
獣人族には運命の番がいる。ペーンにとってハーンがそうだったように魂の片割れとして求めてやまない存在なのだ。運命の番は、種族、容姿の美醜や年齢など関係なく本能が求める相手なのだ。タオにはもう運命の番は現れない。亡くしたものは戻ってこないのだ。だから、ペーンの引き裂かれるような痛みは分かる。今、ペーンの気持ちが分かるのはタオだろう。親友の気持ちに寄り添って、現実を正しく見ることが出来るまで、待つしかないのだ。
※ ※ ※
ハーンの葬儀の3日後の午後6時。ペーンの治癒魔法5回目の予定日。そしてフック神官長が予想していたペーンの余命0日。今のところ、ペーンの状態には変化は起こっていない。
「嫌だ! あの女の治癒魔法なんか受けたくないね! それで早く死期が来ても俺には後悔は無い! ニホンジンになんか情けをかけてもらわなくても、大丈夫だ! ハーンの待つ神々の国にいくだけさ! 」
「ペーンよ。今から20日程前のお前の状態は覚えていないのかね? 声も出ず、顔も動かず、食べるのも、排泄も全て他の者の手を借りて行っていたではないか。ハヅキはお前たちに献身的に使えていたと聞いたぞ。魔法が使えなくとも、お前たちが痛くないように、不快ではないように、寂しくないように働いてくれていたことを忘れたのか?」
フック神官長が静かに
「だが、ハヅキは俺たちを治す能力があった。毎日だって治癒魔法をかけたら良かったんだ。自分の身体には何ともなかったんだろう?それならなんで出し惜しみなんてするんだよ!少しづつ出して、付加価値を上げる、小狡い作戦だったんだ! 」
「ペーン!お前は本当に心の底からそう思っているのか?お前の顔を拭く葉月の手に、そんな邪心が見えたのか?粥を運ぶ匙に悪意があったのか?治癒魔法も毎回魔力を使い果たし
今まで黒い雨の呪いは発症前ならば改善した例もあるが、石化が発症したものが回復したことは無い。ハーンの様に、最期に孫にキスをし、頬ずりをし、声をかけ、番と手を握り合ってその胸で亡くなった者はいない。それができたのがハヅキの献身の上にあることを忘れるでない。
私はこれで帰る。ペーンよ。お前の余命はもう残り少ない。最期をどのように迎えたいか考えるのだ。誰かを恨んで亡くなるのか。ハーンの様に悔いが無いように皆に感謝し、穏やかに死を受け入れるのか。それはペーン。お前の心の在り方次第だ。また、明日、この時間に来よう。それまでに良く考えるのだ。お前にはもう先延ばしにする時間は無い」
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