セイレーンは王子様の夢を見るか?

永久保セツナ

第1話 皇大路とセイレーン

 ――とある物語に曰く。

 王子様に選ばれず、お姫様になれなかった女の子は、王子様に打倒される怪物になるという――。


すめらぎ先輩、おはようございます!」


「おはよう」


 今朝も後輩の女子が、顔を赤らめて僕に声をかけてくれる。僕がそれに返事をして手を振ると、女の子の集団はキャー、と朱に染めた頬を押さえて、仲間内ではしゃぐのだ。きっと僕のことで話題が持ち切りになるのだろう。


「今日もモテてるねえ、王子様」


 クラスメイトの女子が冷やかしてくるのを、僕はゆるゆると首を横に振る。


「僕は王子様なんて大層な役じゃないよ」


 ――僕の名前はすめらぎ大路おおじ

 どこにでもいる、普通の、平凡な――なんて言うつもりはない。これだけ女の子に囲まれて、「普通の高校生です」なんて言ったら、ただの嫌味でしかないだろう。

 ここはセイレーンバースという世界だ。これを読んでいるキミの世界には名前がついているのかな? もしよかったら、是非教えてほしい。僕は人並みに知識欲はあるほうだ。セイレーンバース以外の世界にも、興味がある。キミの住んでいる世界には、『怪物』はいる? クマやライオンがいる? こっちの世界にもいるよ、でもセイレーンバースには、もっと恐ろしい怪物がいるんだ。この世界の名前の由来でもある――そう、『セイレーン』がね。


「今日の授業は『失恋姫セイレーン』への対処法について説明する。皇、まずセイレーンがどういうものか、答えてみなさい」


「はい、それにはまず、この世界について知る必要があります。セイレーンバースには4つの役割がいます。王子様プリンスお姫様プリンセス役なしプレーン、そして失恋姫セイレーンです」


「うむ、続けて」


「セイレーンは王子様に選ばれなかったお姫様の成れの果てです。失恋姫、という名前もそこから由来していますね。失恋したお姫様から翼が生えて怪物に変質したもの、それがセイレーンです」


「うん、完璧な回答だな。さすが親御さんが失恋姫対策局の局長なだけはある」


 先生は頷いて、僕の言葉を引き継ぎ、授業の説明を始めた。


「セイレーンは、個体によって攻撃方法が違うと言われている。ある個体は翼から鋭い羽根を飛ばして相手を蜂の巣にするし、ある個体は突進してきて翼で首を狙ってくる」


 クラスのお姫様たちが「怖いわ……」と王子様たちに抱きつく。王子様は「大丈夫、僕が守るよ」とお姫様に囁いた。このお姫様と王子様は既に結ばれた相手同士だ。


「このクラスにもお姫様と結ばれた王子様はいると思うが、王子様はセイレーンを見つけ次第、直ちに処分する義務がある。そのために武器の携帯も特別に許可されているんだ。きちんとお姫様を守ってやるように」


 そして、授業は本題の「セイレーンへの対処法」に入る。


「まず王子様は、携帯している武器で応戦すること。他の王子様がいれば連携するのがベストだな。その時、必ずお姫様を守ること。何故か分かるか?」


「セイレーンはお姫様を狙うから、ですよね?」


 クラスメイトの男子が答えると、先生は「そうだ」と頷いた。


「セイレーンは執拗なまでにお姫様を狙って攻撃してくる。それが失恋した妬みからなのかは、まあ怪物の気持ちなんて分からんが」


 王子様には分からないだろうな、と僕は思った。

 このセイレーンバースでは、生まれてきた男性は皆、王子様という役割を背負う。

 生まれた時から怪物と戦うことを運命づけられて、何も出来ないお姫様を守ることに必死な王子様に、セイレーンの気持ちなんて、きっと分かりようがない。そういう越えられない壁みたいなのが横たわっているのだ。


「お姫様や役なしは、セイレーンに対抗できる力がない。まずは逃げて、近くにいる王子様に助けを求める。それから失恋姫対策局に通報すること。このあと、体育の授業だったな? 王子様はそこで戦闘訓練、お姫様と役なしは保健の授業だ。それでは、今日の授業はここまで」


 先生がチョークを置いたタイミングでチャイムが鳴った。相変わらず、体内時計が正確なのか、どういう仕組みなのか分からない。そのうち解明してみたいと思う。


 それから、諸々の授業を消化して――放課後。


「皇、一緒に帰ろうぜ」


「いいけど」


 クラスメイトの男子、太刀川たちかわに呼び止められて、二人で帰ることになった。


「太刀川は、他に一緒に帰ってくれるお姫様はいないの?」


「俺が強面でモテないの知ってて言ってるだろ」


 そんなことないと思うんだけどな。

 太刀川はたしかに目つきは悪いけど、とても優しいのを知っている。

 だからこそ、僕を守ろうと一緒に家までついてきてくれるのだ。


「皇、お前は迎えの車とか来ないの?」


「太刀川が送ってくれるから断ったよ?」


「……それ、もしかして俺、余計なことしたか?」


「いや、全然?」


 僕はキミと一緒に歩いて帰るの好きだよ。

 そうやって微笑めば、太刀川が顔を赤らめるのがとても愉快……いや、面白い。

 校舎の玄関を出ようとしたところで、そこに待ち構えていた人物がいた。


「大路様! 一緒に帰りましょう!」


 この子は……ええと、誰だったかな。女の子が周囲にいっぱい居すぎて正直覚えきれない。

 でも、「いいよ、太刀川も一緒でいい?」と聞けば、こくりと頷くのでそのまま連れて行くことにした。

 太刀川は女の子が苦手なので少し渋い顔をしたが、僕はそんな顔も好きだ。


「ええと……お前、たしか他の王子様いただろ。隣のクラスの」


「大路様なら浮気にならないからいいんです」


 太刀川はますます苦い顔をする。

 まあ、たしかに理屈はあってるんだけど、と僕も思わず苦笑いをしてしまった。

 そして、三人で校門から出るところで、校門の前に女が立っている。

 僕らと同じ高校生くらいの若い女子。

 その子が僕らを睨みつけるように見据えていた。

 僕の親が有名人なので、必然的に僕もこの街で顔は知られている。


「僕らになにか用事かな?」


 しかし、女が答える前に、隣りにいたお姫様が僕の腕に抱きつく。


「やだ~、怖いです大路様~」


 ――お姫様は、「何も出来ないこと」「心が清らかであること」を求められるが、お姫様の全員が清らかな心を持っているわけではない。何も出来ないことを口実に、役なしに雑事を押し付けることもあるし、役なしを見下しているフシがある。

 だから、役なしはお姫様になることに憧れる。しかし、それにはセイレーンになるリスクもあるのだ。


「おうじさま……?」


 今まで黙っていた女が口を開いた、と思うとニコッと笑う。


「――あなたが、私の王子様!」


 バサッと。

 背中から翼が広がった。


「――ッ、せ、セイレーンだぁぁぁぁ!!!」


 太刀川が大声で叫ぶ。

 それを聞きつけて、学校に残っていた王子様たちが集まってきた。


「嘘だろ、コイツ羽根が純黒だぞ!」


 王子様の一人が、絶望の悲鳴を上げる。

 セイレーンは、翼の色で危険度がわかる。

 生まれたてのセイレーンは純白の羽根を持ち、長年生きていたり、甚大な被害を出すようなものはどんどん羽根が黒くなる。

 そして、それは目の前に立って翼をはばたかせている女がいかに恐ろしい存在なのかが一目瞭然なのだ。

 それでも、王子様は戦わねばならない。武器を手に取らなければいけない。敵前逃亡は許されない。

 僕も、カバンから折りたたみ傘を取り出して、構える。武器としては頼りないけど、ないよりマシだ。

 お姫様を、後ろにかばおうとした瞬間。

 セイレーンはすでに僕の目の前に迫っていた。


「王子様、私の王子様!」


「は!? こいつ、皇を狙ってる!?」


 お姫様には目もくれず、僕を抱き上げたセイレーンは。

 飛んだ。

 王子様たちは目を丸くして僕らを見送っているし、僕も驚いていた。


「ねえ、キミ」


「口を閉じて、王子様の舌が噛み切られたら悲しいわ」


 そう言われたので、喋るのを辞めた。

 僕はそのまま、ひとけのない公園に降ろされた。

 そして、純黒のセイレーンは、僕を愛おしそうに眺める。


「なんて美しいの……。こんな人に愛されたら私、世界一幸せなお姫様になれるわ!」


「怪物のくせに、お姫様に戻りたいんだ?」


 相手の神経を逆なでするかなと思いながら発した質問に、女は丁寧に答えた。


「私は王子様に愛されなくてセイレーンになった。なら、王子様が私を愛してくれればお姫様に戻れるはずよ」


 どういう理屈なんだ……。

 僕は首を横に振る。


「キミはお姫様になれない。僕に執着する限りは」


「あなたも私を愛してくれないの? 愛の力で怪物をお姫様に戻してよ」


「そもそも僕は『王子様』じゃないんだ。ごめん」


 制服のボタンを開くと、小さくはない胸の膨らみがワイシャツの下から主張している。


「僕、『役なし』なんだよ。わかる? 役なし。王子様でもお姫様でもない、まだ王子様に恋していない一般人」


「あ、ああ……そんな……」


 女は僕に近寄ると、胸にそっと触れた。


「なんて立派な大胸筋なの……!」


「筋肉じゃなくて脂肪だよ、話聞いてる?」


「私、美奈子みなこ鹿金しかがね美奈子みなこ


 女は聞いてもいないのに自己紹介を始める。


「王子様が私を愛してくれるまで、絶対に逃さないから」


 この美奈子という女、精神構造がどうかしているのは、セイレーンになって変質した結果なのだろうか。

 僕は彼女に抱きしめられながら考えていた。

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