最終話:これは命を賭けた運試しだったんだ。
目を覚すと、一瞬ここは天国だろうかと本気で疑ってしまうほどの豪華な部屋にいたリリアノは、声を発することも忘れて辺りを見渡した。
ゴールドとブラウンでデザインされた派手すぎない立派な壁紙に、それに見合った調度品が完璧な位置に配置されている。
大きなオープン窓から見えるハツラツとした木々に、そこに止まって泣いている小鳥達。
程よく差し込んでくる太陽の日差しはやわらかく、あたたかい風が絶えず吹きこみ、それは思わずリリアノが『平和ね……』と言葉を漏らすほどだった。
けれど、ここはいったいどこだろう。
見覚えのない部屋に、見覚えのない衣服を纏っている。
「そういえば、私……」
これまでのことを思い出そうとした途端、頭が割れそうなほどの強い痛みに襲われる。
「うぅ……っ」
リリアノはその痛みに比例して、ハーヴィッド領の城でのことを一つずつ思い出していった。
マーリンのこと。ミーシャのこと。
そして──……。
「おとう、さまっ。そうだ、お父様を助けに行かなくちゃ!」
リリアノは自身のボロボロの体に鞭を打って、無理やりベッドから降りた。
司祭だと偽っていたあの男は、いったい父にどんな薬を飲ませていたのだろうか。
もしかしたら、あのせいでお父様は病に伏せてずっと昏睡状態になっていたのかもしれない。
この広い部屋の扉までどうにか辿り着いたリリアノは、勢いよく取手を握って開け放った。
「──リリアノ?」
「……殿下?」
「リリアノ!」
やっとの思いで部屋を出てすぐ、リリアノの姿を見たのはエルティスだった。
エルティスはリリアノの食事を運んでいたのか、栄養バランスをなによりも重視された数々の料理が乗ったカートを押していた。
けれどリリアノのよろめく姿を見た途端、エルティスは走って彼女の元へ駆け寄った。
「まだ起きあがったらダメだよ、リリアノ」
「ふっ、うぅっ、殿下……っ」
エルティスの顔を見た途端、リリアノは涙が止まらなくなった。
それは見知った人の姿を見て安堵したからなのか、それとも生きてもう一度エルティスに会えたからなのかは本人にも分かっていない。
体の力が抜けてその場に倒れそうになったとき、エルティスがそっとリリアノを抱き寄せた。
「殿下、助けてくださいっ。お父様が、お父様が死んでしまうかもしれないっ」
「あぁ、もう大丈夫だよリリアノ。君のお父上は今、離宮で安静にしてもらっているからね」
「え?」
「助けにくるのが遅くなってごめんね、リリアノ。お父上は王家専属の医者に診てもらっているし、あとはマルドフ大司祭にも来てもらったところだから。きっともうすぐ意識を取り戻すよ」
「……本当、ですか?」
「あぁ、本当だよ。だからほら、もう一度ベッドに戻ろうリリアノ。それと少しでかまわないから食事を摂るんだ」
「ありがとうございますっ、殿下!本当に、ありがとうございます……」
その言葉を聞いたリリアノは、安心しきってしまったのか、エルティスの腕に抱かれたまま再び意識を手放してしまった。
その後もリリアノは浅い眠りを何度も繰り返し、一瞬だけ目を開いては、また眠る行為を何度も繰り返した。
目を開くたびに、リリアノの視界にはいつだってエルティスの姿があった。
***
そんなリリアノの意識が完全に回復したのは、この知らない部屋へ来てから三日後のことだった。
「……もう平気?どこも痛いところはないの?我慢してるんじゃない?」
「ほ、本当にもう平気です殿下!その節はありがとうございました」
今ではもうすっかり元気だというのに、エルティスには過保護なところがあるのか、未だにリリアノがベッドから出ることをよくは思っていないようだった。
「あの、殿下。ここのお部屋はいったい……」
「僕の部屋だよ」
「なっ!?えぇ!?」
「ここは僕が住んでいる城だからね。ちなみに君のお父上はここから数メートル離れた離宮にいるから安心して?リリアノがもう少し食事が摂れるようになったら、そのときは一緒にお見舞いへ行こうね」
ニッコリと笑ってそう言ったエルティスとは正反対に、リリアノの顔は少しずつ青ざめていく。
この国の王太子殿下の寝室を三日も占領していたなんてことが世間に知られてしまえば、命の保証はどこにもない。
「リリアノ?顔が青くなっているけど、大丈夫?やっぱりまだ体調が良くないんじゃない?」
「こ、ここ、ここが殿下のお部屋だと聞いたからです!みんなに変な勘違いをされてしまいます!」
「えぇ?別にいいじゃない」
「絶対によくありません!私、取り急ぎこのお部屋から出ていきます!」
ベッドから飛び降りて大急ぎで出て行こうとしたとき、エルティスがリリアノの腕を捕まえて引き留めた。
「みんなになにか言われたら、そのときはちゃんとこう言うよ。“僕が世界で一番、心の底から愛している女性だから、なにも気にすることはありませんよ”……とね」
「……っ!」
「僕は君のことを愛しているんだよ、リリアノ」
「……殿下」
「リリアノがわざと僕のこの告白に返事をしない理由も分かっているよ。家族のことや商団のこともあるだろうから、ゆっくり考えてほしい」
「しかしっ」
「この命が尽きる瞬間まで、僕はいつだって君からの“好きです”って言葉を待ってるんだ」
***
それからリリアノはエルティスの城を出て、当面の間父と二人で王家の離宮を借りて過ごすことになった。
それはまだ父の継続的な治療と祈祷が必要になることのほかに、今、ハーヴィッド領の城では裁判所の調査官による取り調べが行われているからである。
エルティスは『リリアノの家のことに首を突っ込んでしまって申し訳ない』と謝罪をしながら、今現在のハーヴィッド家のあらましを伝えた。
マーリンは毒殺や詐欺、それから違法取引など様々な罪によって貴族裁判にかけられることになり、司祭と偽っていた男は即刻地下牢で余生を過ごすことが決まったという。
アスタリス王国では特に、司祭に関する詐欺や横領は重い罪を課せられてしまうのだそうだ。
そしてミーシャはマーリンの件に関与があるのかを調べるために、今は留置所に身柄を確保されている。
「おはようございます、お父様!」
「あぁ、おはようリリアノ」
そして先日、父はようやく意識を取り戻したのだった。
王家専属の医師によれば、あの偽司祭が飲ませていた薬は精神麻痺の薬剤が使われていたようで、長年服用していると、ある日途端に意識がなくなり、植物人間のような状態になってしまうのだそうだ。
「はいこれ、新聞どうぞ!お父様の一日のはじまりは新聞を読むことだったでしょう?」
「あぁ、よく覚えているね」
「もちろんよ!だって私も真似していたら、いつのまにか朝一番にそれを読むことが習慣になってしまったんだもの」
数年振りの父との何気ない会話が、リリアノは嬉しくてたまらない。
もう数日もすれば、リーファスも有給を取って一度ここに顔を見せにくると手紙に書かれてあった。
「先にリリアノが読みなさい。わたしはもう少し眠るから」
「そう?じゃあお言葉に甘えて、お先にいただくわね!」
とはいえ、父の容態はまだまだ完全ではない。
歩くことは叶わず、車椅子に乗り移るのが精一杯の体力だ。
リリアノはそんな父を心配しながらも、毎日のようにマルドフ大司祭がここへ来て父の祈祷をしてくれているため、以前よりも少しだけ肩の荷が降りたような気がしていた。
父から譲ってもらった新聞を手に取って、リリアノは自分の部屋へ戻ってそれをバサッと開いた。
《麗しの王太子殿下、いよいよフィスローナ王国の王女と婚約か!?》
新聞の大きな一面を飾っていたのは、そんな見出しの記事だった。
先日から泊まりがけでアスタリス王国に来ているという王女。巷では二人が結婚まで秒読みではないかという噂があちらこちらで飛び交っていた。
王女は妖精の加護を受けていると言われているため、そんな王女と結婚して両国が縁戚関係になれば、今よりももっともっと国が繁栄していくのではないかと、国民達はすでにお祝いムードになっている。
「(……そうよね。この国にとっても、隣国の王女様と結婚したほうがいいわよね)」
リリアノは無意識に寂しくなっていく気持ちに無理やり蓋をした。
そもそも、辺境地に領土を構えているだけのしがない伯爵令嬢が、いずれこのアスタリス王国を背負う麗しの王太子殿下とあのように関わり合いを持てたことが奇跡に近しいことだったのだ。
あの日、エルティスと出会ったデビュタントパーティーから、もうすぐ一ヶ月が経とうとしている。
「お父様、今日は少し外に出てみましょう。私が車椅子を押しますから!」
「いいのか?きっとわたしは相当重いぞ?」
「なに言ってるんですか。お父様がバリバリ商団の経営をなさっていたときに比べると、今はカリカリです!」
リリアノは父の車椅子を用意して、離宮の専属メイドと一緒に父を乗せた。
ここにいるメイドはさすが王家の所有するところなだけあって、一人一人のメイドの質が本当に良かった。
誰もが親切で、丁寧で、リリアノも父も何不自由なく暮らすことができている。
「ところでリリアノ。最近エルティス殿下を見かけないが、会っているのか?」
離宮では好きなところへ行っていいと言われているため、きれいに手入れされた庭園の周りを父の車椅子を押しながらゆっくりと散策していた。
「最近は会えておりません。どうやら本来はとてもお忙しい方のようです」
リリアノがエルティスの城を出てから、一度も会う機会はなかった。
隣国の王女が来ているということもあるだろう。
そもそも、本来エルティスの立場というのはほとんど自由が効かないものだった。
各地で問題が起こればすぐに参上して領主とともに問題解決にあたらなければならない。また自分を支持してくれる貴族のためにも頻繁にお茶会やパーティーに参加し、常に今の情勢を把握しておく必要もある。
そんな彼が、一ヶ月近くもの間、毎日のようにリリアノが住んでいる屋敷に出向き、なにをするわけでもなく一日を終えるなど普通はありえないことだった。
「たまにはリリアノからお誘いしてみるのはどうだ?」
「な、なにを言っているのですかお父様!私なんかが殿下のお時間をいただけるような立場じゃないんですよ。それに今は我が家のことでだってお世話になっている身ですし……」
「だとしても、好きな人からの誘いというものは嬉しいものだ」
「好きな……人」
「いくら王太子とはいえ、好きでもない女性にここまで手を貸したりはできないものだよ」
いつもなら『そんなことありませんわ!』と反論していたリリアノだったが、今はこれ以上何も言えなかった。
エルティスには心底感謝している。
多少おかしな発言をしたり、突拍子もないことをされる人ではあるものの、それでもリリアノが王都にいた約一ヶ月という期間は、人生の中で一番楽しいものになっていた。
リリアノの心の中に、これまで芽生えたことのない新しい感情が芽を出していることは、本人もとっくに気づいている。
ただ、お互いに好きや嫌いで恋ができる身分ではないのだ。
現に国民たちは今、エルティスと隣国の王女が婚姻すればいいと心から思っている。国の繁栄を考えれば、エルティスと王女が結婚する。それが一番正しい答えなのだ。
「あ、そういえばお父様!リーファスお兄様が明後日こちらへ来てくださるそうですよ!三人で神殿に行ってみませんか?」
「……そうか。久々に家族三人で行くのもよいかもしれないな」
無理やりエルティスの話題を逸らしたリリアノに、それ以上父は何も言わなかった。
リリアノも、今はエルティスのことを考えるのをやめにした。
***
「リリアノも父上も元気になってくれて本当によかった……!」
「本当ね。いろいろあったけれど、こうしてまた三人で集まることができて嬉しいわ!」
それから二日後、約束どおりリーファスは休みを取って離宮へ顔を見せにやってきた。
そして父の容態もよく、夕方に三人で神殿まで足を運んだ。
あの長い階段は車椅子専用のレーンもあり、父の車椅子はリーファスに押されながら、無事に入り口まで到達することができた。
ここへ来て、リリアノはふと、かつてエルティスと二人でこの神殿を訪れたことを思い出した。
本当なら行けるはずのない奥の間へ連れて行ってもらって、そこで五人の女神の話を聞いた。
実は六人目の“愛”を司る女神がいて、エルティスはどうせなら彼女に愛されたかったと言っていたあの言葉が、リリアノは今のずっと忘れられないでいる。
「……っ」
エルティスは今、なにをしているのだろうか。
忙しいのかしら、それとも──……。隣国の王女と、本当に婚約してしまうのだろうか。
「(……いいえ。そんなことを考えてはダメよ)」
リリアノはエルティスと会えないこの数日、ずっと自分の気持ちに蓋をしてきた。
心の中に一度芽生えてしまったそれは、毎日のようにエルティスのことを思い出させとうと躍起になるものの、それすらもリリアノは無視し続けた。
「おーい、リリアノ!どうしたんだぁ?」
遠くのほうからリーファスが呼ぶ。
リリアノは大きく頭を振って、二人の元へ行こうとした。
「──もしかして、あなたはリリアノ様では?」
そのとき、後ろから声をかけてきたのはマルドフ大司祭だった。
「大司祭様……っ!この節は父が大変お世話に」
「どうしてここへいるのですか!」
“父がお世話になりました”。
そうお礼を述べようとしたとき、マルドフは大きく声を張り上げた。周りにいる人たちは、いったい何事だとチラチラとこちらを見ている。
「あの、大司祭様?ど、どうかなさったのですか?」
「お、大きな声を出してしまってすみません。しかし、あなた様はどうしてエルティス様と一緒ではないのですか?」
「あの、意味がよく分からないのですが……」
「もしかして、エルティス様からなにも聞かされていませんか?」
目をまん丸とさせながら、マルドフ大司祭は額にいくつもの冷や汗を浮かべはじめた。
なにが起こっているのかまったくできないリリアノは、困惑の色を隠せない。
「……リリアノ嬢、わたしに着いてきてください」
「え?あの、いったいどこへ……!」
「一度エルティス様と行かれたことがおありでしょう?神殿の奥の間です」
どうしてしまったのか、マルドフは早足にリリアノの手を引きながら奥の間を目指した。
大司祭に手を引いて連れて行かれる様子を、何事だと見物する人もいれば、リリアノのことを心配するリーファスと父の姿もあった。
そしてリリアノは人生で二度目となる奥の間へ足を踏み入れる。
「エルティス様がここへあなた様を連れて行ったとき、すべてお話をされているものとばかり思っていました」
「あの、マルドフ大司教様。先ほどからお話の内容が見えません。すみませんが一から教えていただけませんか?」
「え、えぇ、そうですね。しかし本当に時間がありませんので、よく聞いていてください」
マルドフはそう言って、エルティスの真実を話しはじめるのだった──。
***
五番目の“命”を司る女神、ミューロライ。
エルティス殿下が自死なさった最初の人生のあと、死に戻りの力を授けたのが彼女です。
エルティス殿下は生まれながらにしてミューロライに愛されていました。
殿下は本来、この世に生を授かる運命にありませんでした。
当時、エルティス殿下をお腹に宿していたとき、王妃は大変な病に罹ってしまわれました。
王妃の命は助かったとしても、きっとお腹の中の子は生きられない。どの占い師や魔術師も、みんな口を揃えてそう言いました。
しかし、エルティス殿下はまたとない健康体でお生まれになりました。
そのとき、殿下にはミューロライの力が強く宿っているのだと言われるようになったのです。
しかし、いくら女神とはいえ、その力にはいくつかの条件が必要になります。
まず、ミューロライの死に戻りの力が適用されるのは、エルティス殿下が本来の寿命を全うしなかった場合。つまり自死やそのほか他人から殺害されてしまったときなど、本来の運命ではない死を迎えたときに発動されます。
さらに、その命が返り咲くポイントとなるのは、本人が一番思い入れのある時期、エルティス殿下の場合はリリアノ嬢のデビュタントの日と設定されておりました。
とはいえ、ミューロライの力にも制限があります。
まず、ミューロライの順位は五番目。それはすなわち、死に戻りの力は五度までしか使えないということです。
そして、ここがもっとも重要なところです。
五度目の死に戻り、いわゆるミューロライの最後の力を発動させたとき、ここで一つの条件が課せられます。
それは、再び命が返り咲いた日から一ヶ月が経ってもエルティス殿下の望むものが手に入れられなかった場合、殿下はその命を持ってミューロライに返上しなければならないのです。
そしてリリアノ嬢のデビュタントの日から、今日がちょうどその一ヶ月後の日なのです。
***
マルドフ大司祭の話をすべて聞いたリリアノは、震えていた。
どうして殿下はなにも言ってくださらなかったのか。どうしてここまで二人で来たのに、その真相を明かしてはくれなかったのか。
分からなかった。エルティスのことがなに一つ分からない。
「リリアノ嬢、エルティス様はあなた様から何かを望んでいたはずです。それがなんだか分かりますか?」
「えっと……っ」
「あなた様を望んでいたのは間違いないのです。エルティス様とこの場でお会いしたとき、あのように素敵な笑みを浮かべていらっしゃったのは初めて見ましたから」
「……っ」
「こ、これは例えばの話ですが、エルティス様が望んでいたのは──……」
マルドフ大司祭の言葉を聞いて、リリアノは神殿の出口へ向かって全速力で走っていた。
「あ!リリアノだ!おーい!お前、大司祭様とどこへ行っていたんだ!?」
「お兄様!お父様!すみませんが馬車をお借りします!」
「えぇ!?」
走って、走って、走り続けて、リリアノは三人で乗ってきたハーヴィッド家の紋章が描かれた馬車に乗り込んだ。
「(お願いっ、早く……!早く殿下の元へ!)」
今のリリアノには一分一秒がとてつもなく長く感じている。
空の色はすでに暗くなりはじめ、少しずつ夜の世界が顔をのぞかせていた。
そしてリリアノがエルティスの住む城に着いたときには、あたりはもう真っ暗だった。
エルティスの城の門には鎧を纏った何人もの騎士たちが待ち構えていた。
「(そうだった、どうやってお城の中まで入るのかは考えていなかったわ!)」
いくらエルティスの命がかかっているとはいえ、未来の国王の城の中へすんなとり入れるはずもない。
「あ、あの!すみません!」
案の定そう声をかけた瞬間、騎士達は一斉に手に持っていた槍をリリアノに向けた。
「あ、怪しい者ではありません!私はリリアノ・ハーヴィッドと申します!えっと、その、もしよろしければ、中へ……って、あれ?」
しかし、どういうわけだろうか。
リリアノが自分の名前を名乗った途端、騎士たちはその槍を収め、リリアノに門までの道を開けた。
「と、通っていいということですか?」
「はい。リリアノ様がもしもここを訪れた場合、必ず城の中へ入れるようにと、エルティス王太子殿下より命令を言付かっておりますので」
まっすぐに開けた城までの道。
リリアノは騎士たちにお礼を言いながら、再び走った。
「(えっと、確か殿下のお部屋は……っ、こっちよね)」
短い間だったとはいえ、少しでも殿下の部屋で過ごしていてよかった。こんなにも広いお城を無知のまま彷徨っていたら手遅れになってしまうところだった。
リリアノは息が苦しくなっても、それでも走り続けた。
もうすぐ十二時を迎える。
心の中で何度も“間に合ってください!”と祈りながら、やっとの思いでたどり着いたエルティスの部屋の扉を一気に開け放った。
「──エルティス殿下!」
「……」
「殿下?」
しかし、エルティスの部屋は静まり返ったまま、電気さえ付いてはいなかった。
嫌な予感というものが、リリアノの頭をよぎる。
リリアノが部屋に備えられている光の鉱石に触れると、部屋はふわりと明るくなった。
「……殿下!」
かつて自身が眠っていたベッドには、エルティスが横たわっていた。
まるで息をしていないと錯覚してしまうほどに、エルティスは静かに眠りについている。
「……起きてください、殿下」
「……」
「まだ死なないでくださいっ」
「……」
「私は、あなたのことが好きです。……愛しています」
「……」
「だから、死なないでっ!」
リリアノは大量の涙をこぼしながらそう言って、エルティスのくちびるにそっとキ
スをした。
ドキドキと心臓の鼓動がうるさかった。
それはエルティスが無事に目を覚ましてくれるのだろうかという不安と、もう一つははじめてのキスをしてしまったから。
「殿下っ、早く目覚めてくださいっ」
「……」
「じゃなきゃ私、あの五番目の女神様に文句を言ってしまいそうです」
「……」
「文句だけじゃ足りないです。め、女神像を壊しますっ」
「……」
「そんな大罪を犯す私は嫌でしょう?だったら早く……っ、早く目を覚ましてくだ
さい……っ」
エルティスが眠っているベッドの脇に雪崩れ込むように、リリアノは顔を突っ伏して泣き続けた。
このまま殿下とお別れは嫌だ。もっともっと話したいことがああった。
五番目の女神、ミューロライ様。
どうか、エルティス様を連れて行かないで──。
「……女神像を壊す君も、見てみたいかもしれないな」
「!?」
エルティスの声が、リリアノの元に届いた。
リリアノは慌てて顔を上げてエルティスのほうを確認すると、そこには仰向けになったままケラケラと笑っているエルティスの姿があった。
「で、殿下!?生きてる……?殿下が生きてる!」
「アハハッ。うん、生きてる」
「よかった、本当によかったです!」
「リリアノ、ここまで来てくれてありがとう」
青白かったエルティスの顔に、少しずつ生気が戻っていくのが分かった。
そしてそのまま体を起こして、リリアノと向き合う。
「どうしてですか!?どうして私にはなにも教えてくださらなかったのですか!?」
今日のリリアノは、焦ったり、泣いたり、怒ったり、とても忙しい一日を過ごしている。
そんなリリアノを見て、エルティスは申し訳なさそうな表情を浮かべながら口を開いた。
「君に今回のことを話したら、リリアノはきっと義務として僕と一緒にいようとしたでしょう?」
「え?」
「言ったよね?僕は今世で君の心がほしいんだって。君自身が望んでここへきてくれるのを、ずっと待っていたんだよ」
その言葉を聞いたとき、エルティスがここで最後に言ったことを思い出した。
『この命が尽きる瞬間まで、僕はいつだって君からの“好きです”って言葉を待ってるんだ』
思い出した瞬間、リリアノの顔は真っ赤になっていく。
「思い出してくれた?僕は君からの好きだって言葉を待っていたんだよ」
「なっ、えっ、と、いうことは私……っ!」
「ふふっ、本当はキスまでする必要はなかったんだよ」
「そ、そんな……っ!で、でもマルドフ大司教様がおっしゃったんです!もしかしたらエルティス様はキ、キスを望んでいるのではないでしょうかっと!」
リリアノは確かにマルドフからそう聞いた。
『こ、これは例えばの話ですが、エルティス様が望んでいたのは──……』
そのあと、マルドフはリリアノの耳元でこっそりと言ったのだ。
“エルティス様が望んでいたのは、あなた様からのキスではないですかね?”と。
「大司教様ったら、適当なことを教えるなんてあんまりです!」
「マルドフにはあとで褒美を用意しておかなくちゃね」
それでも、このことをリリアノが知らなければ……いや、今日この日、リーファスと父の三人で神殿に行かなければ、きっとリリアノは一生ミューロライの真実を知らないままエルティスを失っていたことになる。
そう思うと怖くてたまらない。
それと同時に、エルティスに対する怒りが再び込み上げてくる。
「もしも私がなにも知らずにここへ来なかったら、殿下は亡くなっていたのですよ?」
「そうだね。でもどうせリリアノを手に入れられないのなら、この人生が終わったって構わない。僕は本気でそう思っていたんだよ」
「なぜそんなにも簡単に命を……っ」
「だからこれは、命懸けの賭け……だったんだよ。君がここへ来てくれれば僕の勝ち。君がここへ来ずに僕はミューロライの元へいく。それが負け」
何度も人生を経験し、その都度失敗してきたエルティスだからこその、無謀な賭けだった。
「僕がこの世界でほしいのは、たった一つ。それは君だよ、リリアノ。王位継承権も、この国も、あとはみんないらない。僕には不要だ」
「そんなことっ」
「──でも、君は自らの意思で来てくれた。これは期待してもいいってことだよね?」
「え?……って、きゃあ!」
その途端、エルティスはリリアノの腕を掴んで、自身のベッドへ引き込んだ。
そしてその勢いのまま倒れ込んだリリアノを組み敷くように、エルティスは器用に彼女を押し倒す。
「で、殿下!?いったいなにを……」
リリアノの背中には、先ほどまでエルティスが横になっていたぬくもりが伝わってくる。
そして覆い被さるように上にいるエルティスは、熱のこもったきれいなコバルトブルーの瞳にリリアノだけを映して言う。
「ねぇ、リリアノ?」
「は、はい殿下……っ」
「僕のこの顔も、体も、地位も名誉も、すべて君に捧げてあげる。ほしいというならすべて奪い取ってくれて構わない」
「……!?」
「だからどうか、僕にも一つだけ、君からの愛だけでいいんだ。それを僕にくれないだろうか」
「……っ」
「これまで四度経験してきた人生の中で、まだ一度も経験したことのない“君と人生をともにする”ということを、今世の僕に教えてはくれないだろうか」
それはエルティスのこれまでにないほどの切実な願いだった。
「……分かり、ました」
短く、一言だけそう言って、リリアノはエルティスの背中をそっと抱きしめる。
その瞬間、目の前の男は世界で一番幸せそうな顔をした。
「──やっと、君を捕まえられた」
麗しの王太子殿下は過去に何度も死に戻りを果たし、 その都度私を溺愛しすぎで失敗してきたらしい。 文屋りさ @Bunbun-Risa
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