第7話:言ったでしょう?今度こそ君を守ってあげるって。


 リリアノの誕生日も終わり、王都滞在間まで残り半分を切った。


 ハーヴィッド商団の仕事もほとんどが終わり、リリアノはいつもより少しだけ時間に余裕ができていた。


 「──そういえば、リリアノ。……王宮に来ない?」


 「……」


 「そのあと母と一緒にご飯でもどう?」


 今日も変わらず、エルティスはリリアノが住む別荘へ足繁く通い詰めている。


 そして毎回、唐突に突拍子もないことを言い出すことにもリリアノは慣れはじめ、エルティスに対する耐性はかなりできているかのように思えた。


 「……殿下、正気ですか?」


 しかし今回ばかりはもうどうにもならなかった。


 「あぁ、ごめんね言葉足らずだったね。実は母が来月行われる清涼祭で身につけるアクセサリーに悩んでいるようでね?領地に多くの鉱山を抱えていて、尚且つハーヴィッド商団は宝石をあしらったアクセサリーの種類が豊富だろう?だから一度、母が品物を見せてくれないかと言っていてね」


 「商団のお話でしたか」


 「それに、君のお母様と僕の母は仲が良かったでしょ?だから一度、大きくなった親友の娘に会いたいともおっしゃっていたんだよ」


 確かにリリアノの母がまだ生きていたころ、よく王都に招かれて王妃とお茶を嗜んでいた。


 王妃の三人の子供、つまりエルティスの兄弟は全員男ばかりで、いつも娘が欲しいと言っていた王妃は、リリアノのことをとても可愛がってくれていた。


 しかしリリアノの母が亡くなり、ハーヴィッド家に後妻とその連れ子が来てからというもの、リリアノは一切王宮へ出入りすることは愚か、王都に来ることさえなくなっていた。


 王妃はどうにかリリアノと連絡を取りたいと思ってはいたものの、一国の王妃が一貴族の家族の問題に割って入ることは許されない。


 「商団の話でしたら、一度お伺いいたします」


 リリアノが王宮へ行くことを、きっと継母マーリンや義妹のミーシャたちは嫌がるだろうけれど、商団の話となればきっと理解してくれるはず。


 そうでなくとも一度でも王妃がハーヴィッド商団の品物を購入し、それを身につけて行事に挑んでくれれば商団には相当な箔がつくのだ。


 「(きちんと説明すれば大丈夫よね)」


 「じゃあ来週のどこかで時間を合わせよう。母にはこのことを伝えておくから、また明日どうなったか伝えるよ」


 「よろしくお願いします、殿下」


***


 そして、王妃と会う約束の日が訪れた。


 リリアノは今一度持っていくカタログやサンプルなどの確認作業をしていた。これで六度目の確認作業になる。


 午後から王宮へ向かうことになっているとはいえ、なにか動いていなければ落ち着かないのだった。


 「これだけカタログがあれば大丈夫よね。あとはサンプルの品はもう馬車に積んであるし……。あ、あと王妃様のサイズを測らせてもらわないとだから、えっと……」


 「リリアノ、緊張しているの?」


 「そ、それはもうっ。王妃様と最後にお会いしたのが十年以上前になるので……っ」


 リリアノの記憶の中の王妃は、凛としていて、いつも優しく、優雅で気品溢れる人だった。


 アスタリス王国の母と呼ばれる王妃は、王国の中でも名門中の名門とされるアカデミーを首席で卒業し、女性では珍しく国外留学を何度も経験して語学の才能に富んでいるお方だった。


 「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ、リリアノ。母は本当はアクセサリーよりもリリアノ自身に会いたいと思っているようだから」


 「そう、ですか」


 「それより僕のほうが緊張しているよ」


 「なぜですか?」


 見ればエルティスの今日の装いは、今までのどの日よりもかしこまった服に身を包んでいた。


 そして彼自身もそわそわと、普段から落ち着き払っているエルティスとは別人のようにリリアノの執務室を何周も歩き回っている。


 「だって家に好きな人を連れて、さらに母親に会わせるんだよ?考えてもみてよ、こんな場面はどの人生だって経験したことはないのだから」


 「な、なにをおっしゃっているんですか殿下!」


 「なにって?間違っていないでしょう?」


 「大間違いだらけでございます!」


 今日のこの日をまったくお門違いな解釈をしている彼に怒りを露わにしたリリアノを見て、エルティスはケラケラと笑った。


 「……かわいいね、リリアノ」


 「……っ」


 「僕は──」


 スッと伸びてきたエルティスの手は、リリアノの頬に触れていく。


 あたたかくて大きな手に触れて、リリアノは思わずそれらを受け入れてしまいそうになった、そのときだった。


 「──大変ですよ、リリアノ様!」


 サリエルの激しい声とともに、ノックもなく執務室の扉がいきおいよく開かれた。


  その声と音にハッとしたリリアノは、素早くエルティスのそばを離れた。


 「(……私ったら、なにを!)」


 「ハーヴィッド領地にいらっしゃる奥様からですよ!なんでも、旦那様の容態が良くなく、危篤状態だと!」


 「な、なんですって!?」


 リリアノは目の前が真っ白になった。


 ……お父様が、危篤状態?


 「今、お父様はどういう状況なの?マーリンはなんて?お医者様はどなたをお呼びになっているの!?」


 「そんなこと知りませんよ!ただ奥様が早く帰ってきないさいって」


 「それだけ!?他に何も情報はないの!?」


 「ないって言ってるじゃあないですか!」


 「待って、サリエル!あぁ、どうしたら……っ」


 まったくもう、と呆れたように去っていくサリエルを、それでも引き止めようとするリリアノを止めたのはエルティスだった。


 動揺を隠せず震えるリリアノを、そっと抱きしめる。


 「リリアノ、一度落ち着いてごらん?」


 「落ち着けるはずがありません!」


 「……そこの君。サリエル、と言ったかな?」


 「は、はい?」


 「その情報はどこからきたの?封書?一度それを持ってきてもらえる?」


 「え、えぇ、もちろんです」


 サリエルは目の前にいるこの人が『商い人のエル』ではなく、『麗しの王太子』と知ってか知らずか、どことなく緊張しているような声色で返事をした。


 そしてエルティスに言われるがまま、マーリンから届いたとされる封書を手渡した。


 「リリアノ、これはマーリンの筆跡で間違いはない?」


 「え、えぇ。マーリンの字です。サインも以前いただいた手紙のものと同じです」


 「……ふむ」


 「どうか、したのですか?」


 サリエルから手渡された封書を何度も見つめるエルティスに、リリアノは疑問を持った。


 「実はね?これまでの人生で、この時期に君のお父上が危篤状態になることなんて一度もなかったんだ」


 「そう、なのですか?」


 「だからどこか怪しいと思ってね」


 「も、もしかして奥様を疑っているのですか!?」


 どこからか会話を盗み聞きしていたサリエルは、二人に向かって声を荒げた。


 「これはどう見てもマーリン奥様のものではないですか!?こんなことをしていてよろしいのですか!?一刻も早く帰宅するべきでは!?」


 「う、疑っているわけではないのよ、サリエル」


 「旦那様が死んでから後悔したって遅いんですからねぇ!」


 「死ぬだなんて冗談でもそんなことは言わないで、サリエル」


 「君、これ以上リリアノに声を荒げるのは許さないよ」


 「し、しかしですねぇ!」


 「聞こえなかった?許さない、と言ったんだ」


 エルティスの静かな怒りに、サリエルは両肩をビクつかせて口を噤んだ。


 そしてリリアノたちを睨みつけながら執務室を出ていく。


 「エルティス殿下、すみませんがこれから領地に帰っても構いませんでしょうか」


 「いいけど……、なにか裏があるとは思わない?」


 「ですが、一度この目で父の容態を確認しなければ落ち着きません。王妃様には後日きちんと謝罪をさせていただきますので、どうか……っ」


 リリアノの切実な声を聞いた瞬間、エルティスは二度目の人生でリリアノを監禁したときの記憶がふと頭をよぎった。


 『お願いです、殿下!どうか、私を家に帰らせてくださいっ』


 あのときと同じような声色に、エルティスの心の中は穏やかではなくなる。


 「……あぁ、分かった。足の速い馬と馬車を用意するよ」


 「お気遣い、ありがとうございます」


 「母との約束のことは気にしないで。僕からきちんと説明しておくから。母もきっとこの状況を知ればお父上を優先しなさいと言うはずだから」


***


 「──お父様!」


 それからリリアノがハーヴィッド領地の城についたのは、父の危篤を知らされて三日後のことだった。


 どれだけ足の速い馬とはいえ、ハーヴィッド領地は王都からかなり遠い場所にあるため、リリアノは三日三晩一度も休まず馬車の中で過ごしていた。


 王都の別荘より何倍も豪華なはずのこの城が、なんだか色褪せて見えるのはどうしてだろうか。


 頭の片隅でそんなことを思いながら、リリアノは一目散に父が眠っている主寝室の扉を開け放った。


 「お父様……っ!お父様!」


 走って駆け寄り、父が眠っているベッドの脇へ向かう。


 するとそこには、いつもと変わらず一定の呼吸音を奏でながら目を瞑っている父の姿がそこにあった。


 「……おとう、さま?」


 どこが危篤だというの?それとも容態が安定した、とか?


 リリアノがいくつも疑問に思ったいたそのとき。


 ──バシッと頬を弾く音が部屋中に響き渡った。


 「……え?」


 あとから来るじわりとした痛みを覚えたとき、それが義妹のミーシャの仕業なのだと理解した。


 そしてその横には、継母であるマーリンの姿もあった。マーリンはミーシャがリリアノの頬を叩く様子を、ただ黙って見ていた。


 「ミーシャ?」


 「この泥棒猫!アンタなんか死んじまえ!」


 ミーシャは全身全霊で怒りを露わにしながらそう言って、もう一度大きく手を振り上げた。


 そして、二度目の平手打ちをリリアノに浴びせた。


 今、なにが起こっているのか理解できない。ただただ鈍い痛みがリリアノの頬を襲ってくるだけ。


 「王都にいるメイドから全部聞いたわよ!?アンタ、麗しの王太子殿下を毎日のように呼んでイチャイチャしていたそうじゃないの!」


 「……」


 「しかも商団関係の人だって嘘までついていたそうじゃない!」


 奇声にも近いミーシャの金張り声の言葉を聞いて、ようやく理解した。


 デビュタントでエルティスとダンスを踊ったことも、そして今回のことも、それらをこの家の者たちに伝えていたのはサリエルだったのだと。


 どうして毎日のようにその日の予定を事細かく聞いてくるのかも分かった。それらをすべて、余すことなくこの二人に伝えていたのだ。


 「……マーリン。お父様が危篤というのは嘘ですか?」


 「あたしがアンタを呼び戻すためにお母様に書いてもらったのよ!この卑しい女!絶対に許さないんだから!」


 ──お父様の容態に代わりないのなら、それでよかった。


 ミーシャの言葉を聞いて、リリアノが最初に感じたのは安堵だった。


 「なにか言いなさいよ!今日という今日は絶対に許さないんだから!」


 「場所を変えましょう、ミーシャ。ここではお父様のお体に触るかもしれませんから」


 「うるさい!あたしに命令するんじゃないわよ!」


 「ミーシャ、お願いです」


 「うるさいって言ってんの!こんなジジィがどうなろうと、あたしには関係ないわ!」


 「……なん、ですって?」


 父がマーリンとミーシャ、それから双子の義弟たちを紹介したとき、リリアノはまだ六歳だった。


 大好きだった母が亡くなってすぐに新しい家族だと言われても、リリアノの本心はそれをすべて受け入れられるほど大人ではなかった。本当はいやでたまらなかった。


 それでも我慢して、リリアノは新しい家族と仲良くなろうと努めてきた。


 父が倒れてからというもの、我がもの顔で屋敷中の金品を自分のものにしはじめたミーシャや、当たりがきつくなっていくマーリンにも笑顔で耐えてきた。


 大した魔術も使えない双子の義弟たちが魔術学校へ行くと言い出したときも、リリアノは快く見送り、二人分の学費の捻出に精力した。


 ハーヴィッド商団のことや家のことなど、面倒なことはすべてリリアノに押し付けられても、文句の一つも言わずにここまでやってきたのは、自分が商団の仕事に集中しているとき、父の看病をしてくれていたからだ。


 家族を愛しているリリアノだからこそできてきたことだった。


 「お父様に……っ、なんてことを言うのですか!」


 このときリリアノは、はじめて感情をむき出しにして大きく手を振り上げた。


 どうしても抑えられない怒りが、その手をミーシャに向けて振りおろされていく。


 「……今、うちの娘に手をあげようとしたの?」


 「離してくださいっ」


 しかしリリアノの怒りがすべて詰まった手は、マーリンによって阻止された。


 「お母様!この女、あたしを叩こうとしたわ!」


 「まったく、どうしようもない子ね」


 マーリンに握られた手が、ギリギリと痛んだ。


 二人に睨まれながら見つめられるこの場所には、まるで敵が二人いるような感覚だった。


 その瞬間、リリアノは悟った。


 この人たちとは、どう頑張っても本当の家族にはなれないのだと。


 これまで一生懸命に頑張ってきた努力は、すべて無駄だったのだと。


 そう思うとあまりに情けなく、堪えきれない涙を必死に隠した。


 「──さぁさぁ!今日もチャチャッとご祈祷しまっせ〜」


 「……!?」


 そのとき、父の主寝室にノックもなく入ってきたのは、アスタリス王国の神殿で見かけた祭司と同じ祭服をまとった祭司だった。


 その姿を見たマーリンは、途端に焦りを見せはじめながらリリアノの手を離して祭司の元へ駆け寄る。


 「さ、祭司様?今は取り込み中ですので、しばらく時間を空けてからまたお越しくださいます?」


 「はぁ!?何言ってんだよマーリン。毎日毎日こんな格好でなぁんの面白味もないこの城にきてやってんのに、なんだぁ?その言い草はよぉ」


 「で、ですからね司祭様?今は……」


 「──どういう、ことですか?」


 勝手にやってきた祭司と名乗ること男は、父のベッド脇に思いきり体重をかけて座った。


 その反動で、父の体が激しく揺さぶられる。


 「……あなた、本当に祭司ですか?」


 リリアノはエルティスと二人で行った神殿のことを思い出した。


 あの場で出会った祭司様は、誰もが麻の布地で作られた真っ白な祭服を身にまとい、そして金の糸で丁寧な刺繍が施されていた。


 しかし、目の前にいるこのガサツな司祭と名乗る男のものには、金の刺繍が一切見られない。


 加えてどこか薄汚れている祭服に、手入れのなっていない無精髭。神殿に行ったときに見かけた司祭にそんな人は一人もいなかった。


 「あぁ!?そうだって言ってんだろ!」


 「いつもどのようなご祈祷をしてくださっているのですか?」


 「はぁ!?誰がいつご祈祷なんかしたんだよ!そこのオッサンにこの薬をちょちょっと飲ませ──……」


 「──失礼ですよ、リリアノ!」


 マーリンが声をかぶせるように、リリアノを大きな声で叱咤した。


 けれど、そんな誤魔化しはリリアノにはもう通用しなかった。


 「マーリン、説明してください」


 「あ、あなたに話すことなどありません!ミーシャ、リリアノを別室へ連れて行きなさい!」


 「え!?わ、分かったわ!この泥棒猫!さっさとこっちに来なさいよ!」


 なんのことだか分かっていないミーシャは、マーリンに言われたとおりにリリアノの腕を引っ張って部屋を出て行こうとする。


 けれど、リリアノは思いきりその手を払い落とした。


 「きゃっ!この女ぁ!」


 「マーリン!この人は誰なのです!お父様に一体なにをしていたのですか!?」


 「なにって、看病と面倒を見ていたのです。ほかに何があるというのですか?」


 「……分かりました。それでは今から屋敷中のメイドを集めて証言を取ります。コックも庭師も、すべて召集して留守中の出来事やこれまで聞いた噂などを集めます」


 「なっ!」


 どこにぶつけていいのか分からない怒りを抱えながら、リリアノは父の主寝室を出ようと扉へ向かう。


 リリアノのことは決して自分の娘とは認めない人だということは、幼いときから分かっていた。


 愛もなければ、家族になろうとする努力さえ見せない人だった。


 それでも父の面倒だけは見てくれていたから、きっと自分のことは愛せなくとも、父のことは愛してくれているのだろうとばかり思っていた。


 しかし、それもこれも、すべてリリアノの勘違いだった。


 マーリンは父のことなど愛していない。


 偽の司祭を呼び、きっとお金だけを流していたのだろう。挙句、父に意味の分からない薬を投与していたとは思ってもいなかった。


 「……どこへ行くのですか、リリアノ」


 「執事のところです。この一ヶ月近くのお金の流れから、誰がいつこの城を訪問したのかまで、すべて聞き出します」


 「……チッ」


 家から追い出してやりたい。


 リリアノははじめてマーリンとミーシャにそんな気持ちを抱いた。


 しかし、それを思っていたのはリリアノだけではない。


 「待ちなさい、リリアノ」


 「……」


 「言っておくけど、この城の権限は今わたしにあるのよ?」


 「……」


 「この家のお金をいつ、いくら使おうと、それはわたしの自由だってことなのよ」


 「なにが、言いたいのですか?」


 「……だからね、リリアノ?わたしはあなたを地下牢に閉じ込めることも、どこぞの男と結婚させることだってできるってことなのよ」


 「なんですって?」


 「誰か!?この娘を地下牢へ閉じ込めてちょうだい!ミーシャを叩こうとしたのよ!ほら、急ぎなさい!」


 「アッハハ!それはいいアイデアですわ、お母様!人の好きな人を取る化け物なんて地下牢がお似合いだわ!」


 「は、離しなさい!」


 父が病に伏せてから、この屋敷の使用人たちはマーリンによって一掃された。


 幼いころからリリアノのことを可愛がってくれたメイド長や執事も、コックや庭師まですべて解雇され、今のこの城の中にはマーリンが独自に選定した人たちが集まっている。


 だからハーヴィッド家の正式な長女であるリリアノを捕えて地下牢に入れることに、抵抗など微塵もないのだった。


 ──ガシャンッ、と無機質な鉄の擦れる音が響いた。


 なんの罪もないリリアノは、マーリンによって本当に地下室へ閉じ込められてしまった。


 別荘の屋敷とは比べ物にならないほどの埃と強烈なカビ臭さがリリアノの鼻をかすめていく。


 「……うぅっ、お父様っ」


 本当は一刻も早く父を医者に見せて、本物の祭司にご祈祷をお願いしたいのに、こんなところに捉えられてしまったせいで、何もできないことがもどかしくてたまらなかった。


 「(マーリンもミーシャも、お父様のことなんてどうでもよかったのねっ)」


 父のことだけは家族のみんなが慕ってくれていたと本気で思っていたのに。長年にわたって騙され続けていたという事実が、リリアノにとっては耐え難いほどの苦痛となっていた。


 そして沸々と湧き起こる怒りや恨みをかき消してはまた生じ、それを消し去っては再び顔を覗かせる。


 まるで感情のイタチごっこのような心境に、リリアノは疲れ果てていた。


 「元気してるぅ?この泥棒猫さぁん?」


 そのとき、カツカツと嫌なヒールの響かせ方をしながら地下牢へやってきたのはミーシャだった。


 牢の柵越しから顔を覗かせるミーシャは、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。


 「ふふっ、残念ねぇ〜。父の危篤だなんて言って騙されて帰ってきて、労いの言葉一つもないまま、こ−んなところにブチ込まれちゃうなんてさぁ!」


 「……」


 「あぁ、そうだ!お母様は今、アンタの婚約相手となる男の家に手紙を書いてるよ?二ヶ月後、アンタは晴れてあのダーレン男爵の次男と結婚よ!」


 心の底から楽しそうに、語尾を跳ね上げてミーシャはそう言った。


 ──ダーレン男爵。


 どこか聞いたことのある名前だった。


 「(そういえば、エルティス殿下が死に戻りの話をしていたときに挙がっていた名だわ。確かお父様がなくなって、一番にハーヴィッド商団を奪いにやってきた人物だと……言っていたわよね)」


 「ダーレンはうちより爵位は低いけど、今アンタが持っている財産と商団の全権利をダーレンに預けて管理してもらうことになるそうよ!」


 「……」


 「だから実質、アンタはもう用なしってこと!」


 どれだけミーシャがリリアノのことを煽っても、表情を変えず無反応な姿を見て、ミーシャは苛立ちを募らせる。


 「あ!それから、アンタの部屋はあたしのものになるから!お母様に聞いたらいいわよって言ってくださったし、あたしより日当たりのいい部屋を占領してたなんて腹立たしいんだから!」


 「……」


 「あぁ、それからね?アンタの母親の遺物、あたしがぜーんぶ売り払っちゃったから!」


 「なんですって……?」


 「ぷっ!やっぱりこの話題だと無視はできないよねぇ?」


 一瞬、なにかの聞き間違いだと思いたくなるような衝撃の一言だった。


 しかし、母の遺品が保管されている部屋には鍵をかけてある。きっとハッタリだと確信したリリアノは、その後も無視を決め込もうと顔を逸らした。


 「あぁ、嘘だと思っているのね!?本当よ!だって一週間前にレブロンお兄様達が帰ってきたときに、魔術であの部屋の鍵を壊してもらったんだから!」


 「……っ」


 「エメラルドの大きな宝石に、真っ赤なルビーのネックレス。全部豪華だったけど古臭かったから、全部売り払ってもらったの!」


 エメラルドに、ルビーのネックレス。


 どれも生前、母が父から贈られた大切なものだと言って身につけていたものだ。


 ミーシャの話は、嘘じゃない。


 「どうして……っ?どうしてそんな酷いことができるの?」


 「はぁ!?ひどいのはアンタのほうでしょ!?あれだけエルティス王太子殿下との仲を取り持つようお願いしたのに、ちゃっかり自分のモノにしちゃってさぁ!?バカにするんじゃないわよ!」


 ミーシャのキンと突き上げるような声が煩わしい。


 リリアノは人生ではじめてこんなにも人を恨んだ。


 「……そういえば、殿下の四度目の人生は私が勇者で、殿下が魔王になっちゃっていたんだっけ」


 そして最後は私が……殿下を刺したのだったよね。


 いったいなにをしたら魔王になんてなっちゃうのか、もう少し詳しく聞いておけばよかったと、リリアノは心の中で後悔した。


 ミーシャはあれから何時間もリリアノのことを散々揶揄って、怒らせて悲しまると、それにも飽きたのかいつの間にか地下牢からいなくなっていた。


 「目が霞む……っ、耳も少し遠いわね」


 三日間もの間休みも取らずに王都からハーヴィッド領まで帰ってきたリリアノの体は、限界を迎えつつあった。


 少しずつ意識が朦朧とする中、ふと頭の中で思い浮かんだのはエルティスの顔だった。


 エルティスの四度に渡る人生の中で、リリアノは必ず不幸になり、最後は死ぬか殺されるかの二択だと言っていたことを思い出した。


 あのときの言葉が、今になって信ぴょう性を深めた。


 「(殿下の五度目の人生も、私は例外なく死ぬのかしら……)」


 あぁ、ダメだ。眠くてたまらない。とにかく今は少し眠ろう。


 そうすれば体力もいくらか回復するかもしれない。


 遠のいていく意識を繋いでおくことにも限界を迎え、リリアノはスッと眠りにつこうとした……そのときだった。


 「──リリアノ!」


 それは、王都にいたときに毎日嫌というほど聞いてきた声だった。


 しかし、極度のストレスと疲労によって、リリアノの耳は一時的にほとんど聞こえていない。


 もしかしたら幻聴かもしれないと、ふっと鼻で笑って、リリアノはそっと目を閉じた。


 エルティスに抱かれ、彼が流した涙も、怒りの言葉も、リリアノはなに一つ知らない。




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