第6話:どうせなら、僕は愛を司る女神に愛されたかった。
エルティスが用意してくれた馬車に乗って十分ほど揺られたあと、二人はアスタリス大神殿の地を踏んだ。
王家の馬車というのは素晴らしく快適で、一切の苦痛がなかったことをリリアノは心の中で感動していた。
建物から補整された道まで、すべてが白で統一されている厳かな雰囲気の神殿は、いつ来ても身が引き締まる思いがする。
特にリリアノは、父が倒れてから毎日のようにここの神殿の祭司にお世話になっていることもあって、鞄の中に入っている今回の寄付金も決して安い金額ではない。
「リリアノの祈祷が終わったら、神殿の奥の間へ行ってみない?」
「な、なりません!前にもお伝えしましたが、あの場は王家の皆様と大司祭様しか入れないのですよ」
「問題ないよ。手入れをする祭司や石像の修繕を行うための職人は入れているのだから」
エルティスは随所に『疲れてはいない?』とリリアノを気遣いながら、この神殿の特徴の一つでもある長い階段を登っていく。
そしてようやく登りきると、巨大な五体の女神像が来た者すべてを歓迎してくれる。
一般市民から貴族まで、誰でも参拝できる“平等”を掲げる神殿には、今日もたくさんの人で賑わっていた。
「さぁ、行こうかリリアノ」
「はい殿下」
神殿の門を潜った途端、エルティスが自身に施していた変装の魔術はきれいに剥がされていった。
光り輝く銀髪とコバルトブルーの瞳が彼の元へ帰還する。
「……そうだった。神殿は魔術が無効化されるんだったね」
「い、いかがしますか殿下」
「大丈夫、このまま行こう。せっかくの君との神殿デートだしね」
「なっ!神殿はデートをするようなところではありません殿下!」
エルティスは機嫌がいいのか、今日はいつもに増してよく笑う。
そんな彼を見て、リリアノもまた無意識につられて微笑むのだった。
「──おや、これはエルティス殿下ではございませんか」
そのとき、声をかけてきたのは一人の司祭だった。
長い髪を一つに結び、真っ白な祭服に身を包んでいる彼。
歳を感じさせないのか、はたまた不思議な力で歳を取らないのか分からないけれど、その司祭はまだ三十代も前半のような若い男性のような姿をしていた。
司祭の資格を有するのは決して安易な道ではなく、幾千もの過酷な修行に耐えた者だけが、その証である神殿の紋様が描かれたバッジをつけることが許されるのだそうだ。
そんな司祭の中でも数々の位というものが存在し、下級から上級、そして神殿の長でありもっとも女神の声が聞けるとされているのが大司祭である。
「マルドフ大司祭。お久しぶりです」
「(大司祭!?)」
平気な顔をして会話を繰り広げるエルティスの隣で、リリアノは目を大きくして驚いた。
大司祭とは、王家の次に女神の力を操ることができると言われている。
王家の人々は女神の力で国の繁栄に尽力し、大司祭はその力で人々を癒し、厄災や困難から救うために用意されたのだという話は、昔話でよく聞かされる物語の一つだ。
「今日はご祈祷ですか?それともまた神書に行かれますか?」
「いいえ、今日は彼女と神殿の奥の間へ向かいます」
本来は王家の者のみ入ることが許されているところへ、リリアノまで連れていくことを大司祭に堂々と言っていいものなのか。
リリアノは思わず唾を飲み込む。
「(いくら殿下とはいえ、こればかりは……)」
ダメなのではないか。
そう思っていたリリアノとは正反対に、マルドフ大司祭は飛び跳ねるように湧いて喜んだ。
「あぁ、エルティス様!……と、いうことは彼女が例の!?」
「……これ以上何も言いませんよ、マルドフ大司祭」
突然目を輝かせながらそう言った大司祭は、そのつぶらな瞳でリリアノを凝視した。
厳格なこの神殿とは似ても似つかない、自由な大司祭だった。
「あなたがエルティス様の運命の方なのですね!?」
「う、運命!?」
「えぇ、そうですとも!お二人で奥の間に行かれるということは、そういうことでしょう?」
「あの、すみませんがお話が一向に見えず……」
「わたくしは嬉しいのですよ、ご令嬢。これでエルティス様のお命も……」
「──マルドフ大司祭。彼女にそれ以上のことは何も言わないように」
“エルティス様の……お命も”?
そんな意味深な発言をしたマルドフの言葉を途中で止めたのは、他でもないエルティスだった。
「(今、なにを言おうとなさっていたのかしら)」
「おっと、これはこれは。興奮のあまり出過ぎた真似をしてしまいましたね」
「用がなければ僕たちはこれで失礼するよ、大司祭」
「えぇ、ごゆるりとなさってください。エルティス様」
小さく一礼をしてこの場を去っていく大司祭。
その姿でさえも、どこか嬉しさが滲み出ているように感じるのは気のせいだろか。
リリアノは大司祭の姿を最後まで見送った。
「あの、エルティス殿下。先ほどの大司祭様はいったい……」
「司祭がみんなあんなふうにおかしな人ばかりじゃないことは確かだよ」
そういうことが聞きたかったのではなかったのだけど。リリアノは大司祭の言葉に引っかかりながらも、それ以上問い詰めるのをやめた。
そしてご祈祷を済ませたあと、エルティスとリリアノは神殿の奥の間へと向かった。
たくさんの人で賑わっていた場所とは違って、護衛騎士以外誰もいない、静かな空間だった。
「さぁ、どうぞ」
「し、失礼いたします」
一歩足を踏み入れると、ヒヤリとした空気が肌をかすめた。
そして、中には等身大サイズの五人の女神像が円を描くようにして並べられている。
特徴的なのは、それぞれの胸の位置に色違いのきれいな宝石が埋め込まれていることだった。
「アスタリス王国が、この五人の女神によって創られた話はリリアノも知っているよね?」
「はい。大地、太陽、水、木、命の力を宿した女神たちのお話ですよね」
一番目の女神が大地を司る『ラーニン』、二番目が太陽を司る『サニア』、三番目が水を司る『ウルハルト』、四番目の木を司るのが『モニータ』。
エルティスは一つずつ女神像を指さして、リリアノに説明をする。
「そして、最後の五番目の命を司る女神の名前が……『ミューロライ』」
エルティスがすべての女神の紹介を終えたとき、リリアノはとあることに気づいた。
「殿下のミドルネームと、こちらの五番目の女神様の名前が同じですね」
「そうだね。王族は直系であればあるほど女神の加護を強く受けるらしいのだけど、中でも僕はこのミューロライの“命”の力に愛されたそうだよ」
「そうだったのですね」
「僕が生まれる前に占星術師にそう言われたから、ミドルネームをそのままつけられたんだって」
「でも、それも嘘ではない気がします。殿下の死に戻りは、きっとミューロライ様のお力の賜物だと思います」
リリアノがそういうと、どこか浮かない顔をしているエルティスは徐に口を開いた。
「どうせなら、僕は六番目の愛を司る女神『フェアリス』に愛されたかった」
「……六番目?創造主の女神は五人のはずでは?」
「本当はね、女神は全員で六人なんだよ。でも、創造主五人の女神たちは、愛は必要ないと言ってフェアリスを仲間から除外したんだ。愛は……ときに人を狂わせてしまうから、という理由でね」
これまで一度も聞いたことのない女神の話に、リリアノは軽い衝撃を受けた。
「愛の女神に愛されれば、僕はすぐにでも願うのに。リリアノの愛をください、とね。願うだけで君の心がもらえるのなら、どんなに嬉しいことだろう」
どこか一点を見つめながら、エルティスは独り言にも近いような声でそう言った。
リリアノはそんなエルティスに、何も声をかけることができなかった。
「……帰ろうか」
「えぇ、そうしましょう」
「帰ったら君の兄がご馳走を用意して待っているはずだからね。二人で楽しんで」
「エルティス殿下は参加されないのですか?」
「せっかくの誕生日なんだから、リーファスと二人で積もる話でもあるでしょ?僕はこれから先ずっと君と生涯をともにする予定だから、今日くらいは彼に譲ることにするよ」
そう言って、エルティスはリリアノを奥の間の出口へ誘った。
「ありがとうございます、殿下。十八回目の誕生日が、こんなにも幸せなものになるとは思っていませんでした」
屋敷に帰ったら、リーファスに会える。
そう思うだけで、リリアノの心は浮かれていた。
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