第5話:君の誕生を誰よりも喜んでいるのは、間違いなく僕だろうね
「……一睡もできなかったわ」
昨日、エルティスから『お嫁さんにならい?』という突然のプロポーズ、のようなものを受けたせいだ。
“ようなもの”と付け加えたのは、通常思い浮かべるプロポーズの仕方とはまるで異なっていたからである。
朝、ヨロヨロと寝室から降りて食卓へ腰掛けると、今日も無愛想を極めたようなサリエルがガシャガシャと食器を鳴らしながらパン二切れとサラダを並べた。
「今日はどちらへ?」
サリエルは怠慢の権化のようなメイドではあるが、一つだけ毎日のように欠かさず聞いてくるのはリリアノの一日の予定だ。
リリアノに全く興味を持っていない彼女が、どうして予定だけは知りたがるのか不思議でならない。
「……午後から神殿へ向かいます」
「神殿ですか?なぜ、目的は?」
「私の、誕生日だからです」
今日はリリアノの誕生日。
昨日、エルティスには商団の雑務をこなすと嘘をついたが、今日のこの日だけはリリアノは一切予定を入れていない。
実の母が亡くなり、マーリンと連れ子がハーヴィッド家にやってきてからというもの、だんだんと自分の誕生日を祝ってくれることはなくなり、父が病に伏せてからは一度も彼らに『おめでとう』と言われることはなかった。
実兄のリーファスだけが、王都からわざわざ豪華なプレゼントと手紙を贈ってくれる。ただし宰相補佐官という仕事柄、家に帰ってくることは許されていない。
そこでリリアノは、毎年自分の誕生日に神殿へと足を運び、父の病気のこと、それからリーファスの『いつか宰相になってこの国をもっと豊かにしたい』という夢が叶いますようにと祈りを捧げる日にした。
「では行ってきます」
神殿に寄付するお金と、必要なものだけを持って屋敷を出た。
今日の王都も雲一つない快晴だった。
「──おはよう、リリアノ」
「なっ!?で、殿下!?」
門を出てすぐ、昨日聞いたばかりのすっかり耳に馴染みのある声が届いた。
外の眩しさに目を細めながらも、声のするほうを確認する。
するとそこには『商い人のエル』としてではなく、きちんとした正装でやってきたエルティスが、リリアノが出てくる瞬間を今か今かと待ち構えていた。
「ど、どうしてここへ!?」
「だって今日は君の誕生日でしょ?君がこの世に誕生した聖なる日にラフな服装はよくないと思って」
「そういうことではなくてですね、殿下……!」
ちょうどランチの時間を過ぎたあたりの今。
王位継承権一位の座にいる王太子が、こんなところにいていいはずがない。
なぜなら今日は隣国フィスローナ王国の王女が来訪される日だからだ。いや、もうとっくに来ている時間で、今頃は国王や王妃とともに食事会が行われているころだろう。
「す、すぐにお帰りください!」
「どうして?」
「どうしてって……っ。お忘れですか!?今日はフィスローナ王国の王女様がお越しになる大切な日ではありませんか!」
「今の僕にとって、君以外に大切なものなんてないよ」
“なにを馬鹿なことを……っ”。
リリアノはもう少しで本気でそう口にしてしまうところだった。
「お戻りください、殿下」
「君の誕生日に尋ねてくる彼女が悪い」
「……」
「それに、君は毎年自分の誕生日に神殿に行くでしょう?」
「それも、過去に私が殿下に伝えたんですか?」
「あぁ、そうだよ。三度目の人生のときにね。自分のことを滅多に話してはくれなかった君が、僕に教えてくれた数少ない大切な情報なんだ」
リリアノはおかしくなりそうだった。
隣国の王女ともあろうお方が、しがない伯爵令嬢であるリリアノの誕生日を気にしながら来訪日を決めるわけもないというのに。
意地でも帰らない姿勢を崩さないエルティスに、リリアノは小さくため息を落とした。
「……大丈夫、心配しないで。リリアノ」
「しかし」
「今日は君を喜ばせるためにきたんだよ?とっておきのプレゼントを持ってね」
「プレゼント、ですか?」
「あぁ、絶対気に入ってくれると思うんだ」
えっへん!と鼻を高くして、自信満々気にそう言ったエルティスは、横を向いてヒョイヒョイと手招きをした。
そして、エルティスに呼ばれてこの場へやってきた人物──。
「リ、リーファスお兄様!?」
「リリアノー!誕生日おめでとう!」
信じられないことが起こった。
なんと、エルティスに連れられてやってきたのは実兄のリーファスだった。
まさか自分の誕生日に会えるとは思ってもいなかったリリアノは、長年の夢が一つ叶ったと涙が溢れ出てきてしまった。
毎年リリアノの誕生日には欠かさずプレゼントと手紙を用意してくれていたリーファスだったが、それでも、どうしてもひと目会いたいとずっと思っていたリリアノにとって、この上ないほどの誕生日プレゼントとなった。
「エルティス殿下……っ。ありがとうございます!」
「リリアノはどんな高価な宝石も、ドレスも、食事も一切喜ばなかったからね」
「そ、そんなことはっ」
「君が家族を……、お父上と兄のことを大切に思っていたのは、どの人生でも変わらなかったことだよ」
二度目の人生で、自分の城にリリアノを閉じ込めたエルティスは、その償いとして毎日のように豪華な食事を用意し、最新のドレスやブレスレットを贈り、腐るほどの宝石を身につけさせた。
それは偏に、リリアノの口から『愛している』という言葉が欲しかったからだった。
それでも彼女はピクリとも表情を変えはしなかった。どれだけの金を積もうと、リリアノの心まで奪うことはできなかったのだ。
「でも、宰相補佐官のお兄様を連れてくるのは大変ではなかったですか?おやすみなどほとんどない職ですので」
「アッハハ!リリアノ、僕はこんなでもこの国の王太子だよ?恐ろしいことに、9割のことはこの肩書きだけで思い通りになってしまう」
自分の手のひらを見つめながら、乾いた笑いを発するエルティス。
「僕の肩書きを以てしてでも手に入れられないのは……君の心だよ」
「私の、心?」
「リリアノ自身を僕のものにすることは、正直簡単なことなんだ。たったひと言“リリアノと結婚します”と言えば君は晴れて僕のお嫁さんになるのだから。そこには君の意思も、拒否する権利も、なにもない──」
「そんなっ」
「でもね、それだと意味がないってことに気づいたんだ。君の体だけ手に入れても、僕はまったく満たされなかった」
「何度目かの、人生で学んだのですか?」
「そうだね。もっとも思い出したくない、二度目の人生のときだよ。だから五度目の今、今世では君の心がほしい」
「……っ」
「僕はどんどん我儘になっているみたいだね」
エルティスはにっこりと笑って、それ以上何も言わなかった。
リリアノも、そんなエルティスを見てこれ以上何かを聞くことはしなかった。
「──さぁ!じゃあ二人で神殿へ行こうか」
気を取り直したかのように、パンッと手を叩きながらエルティスは弾むような声でそう言った。
「で、殿下!その、身に余るほどのプレゼントもいただきましたし、殿下はこのまま王宮に戻ったほうが……」
「大丈夫。今日の僕は途方もないほどの高熱が出て寝室から一歩も動けないことになっているから、王女との予定はすべてキャンセルだってもう伝えてあるしね」
「で、ですが」
「ちゃんと変装もするし、何も問題はない。……そうですよね、リーファス補佐官」
「も、もちろんでございますエルティス殿下!リリアノ、殿下と一緒に行ってきなさい」
「……お兄様まで」
二対一となった今、軍配はエルティス側に上がった。リリアノはなにかを諦めたように目をグルリと回して、手荷物を持って歩きはじめた。
一足先に別荘の中に入ったリーファスの『なんだこの汚い屋敷は!?』という大きな声が後ろから聞こえてきたのは、無視することにした。
「馬車を用意してあるから、神殿まですぐだよ」
「あ、歩いていけます殿下!王家の馬車をお借りするわけにはなりません!」
「安心して?紋章はちゃんと隠してあるよ」
「で、でも」
「ほら、おいで。一緒に行こう」
そっと差し出された、エルティスの手。リリアノはそっと、その手に応えた。
その瞬間、リリアノはドキッと心臓を一度だけ高鳴らせたのだった──。
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