第4話:僕のお嫁さんにならない?
「──あの、リリアノ様。今日も例の人が来ているようですが……」
「……えぇ、お通ししてちょうだい。あの、くれぐれも丁寧に、粗相のないよう、本当に丁寧おもてなしをするようにね?」
「分かってますよ。あの人、毎日のように来ていますがリアノ様の男かなにかですか?」
「ち、違うわよ!商団関係の方よ。名前は確か……“エル”。そう、エルよ」
「へぇ、なるほど」
エルティスの死に戻りの話を聞いた日から、彼は毎日のようにリリアノの別荘の屋敷へ足を運んでくるようになった。
エルティスは屋敷に来てなにをするわけでもなく、いつも二人分の料理や果物を持って、リリアノが商団の仕事をしている姿をただ眺めて、夕方ごろには帰っていく。
「おはよう、リリアノ」
「おはようございます、エルティ……じゃない、エル様」
本当はもう来ないでほしいと伝えたいリリアノだったが、仮にもこの国の王太子を門前払いするわけにもいかず、今日も苦笑いに近い笑みを浮かべてリリアノの執務室へと招いた。
「リリアノの今日の予定は?」
「今日は午後から新作の売り込みと、あとは商団が運営している店舗の視察が入っております」
執務室にある簡素なソファに、あの“麗しの王太子”が座っているというなんともミスマッチな組み合わせにも慣れはじめたリリアノは、書類にサインをしながらそう答えた。
『商人エル』になりすまし、いかにも商い人のような装いをしているエルティスだが、常人では決してあり得ないような気品とオーラまでは隠しれていない。
足を組み、優雅に安っぽい紅茶を嗜むその姿に、リリアノはそっと眼を逸らした。
「困ったなぁ。今日も僕とのデートが組み込まれていないみたい」
「で、殿下、あの、昨日も申し上げましたが、私は王都に留まる一ヶ月の間にしなくてはならないことが山積みでして……っ」
「そうだね、リリアノは働き者だものね。それはよく知っているよ」
「申し訳ございません」
「だから、こうしよう。午後の新作の売り込みとやらは、僕が以前のように一瞬で終わらせてみせるから、空いた時間を二人で……」
「な、なりません!以前のそれは打ち合わせではなく、一方的な押し売りでした!」
リリアノが王都へ来てすぐ、オリヴァーと新作の香水についての打ち合わせをはじめようとしたとき、エルティスがものの数秒で販売の許可をもぎ取るにまで至ってしまったことをリリアノはよく思っていない。
「でもあの香水の売れ行きは順調でしょう?」
「そ、それはそうですが……。でも、あのようなことは二度としてはなりません。きちんと説明を施し、問題点を改善して、双方が納得できてこそよい商売が行えるとよく父が言っていましたので」
「分かった、もうやめておこう。君に嫌われたくはないからね」
「ありがとうございます、殿下」
「なら代わりに、次に流行るものを教えよう。これから先、貴族たちには東洋で生産されている絹の生地で作られた衣服が好まれるようになる。中流階級の者にはガラス細工の置物ときれいに彫刻された蝋燭が、労働階級やそのほか一般市民には匂い付きの石鹸が大流行だった」
「そ、それは殿下が死に戻りをなされたときに見た光景ですか?」
「あぁ。四度とも同じものが流行っていたから間違いないだろうね」
「なんと……っ!」
絹の生地はリリアノも知ってはいるものの、流通の面で不便が多く、アスタリス王国での取り扱いはほとんどないに等しい。
とはいえガラス細工や彫刻された蝋、それに石鹸は商団の持つ生産工場ならばすぐにでも手配することが可能だ。
「でも匂いつき、となればまずは市場調査を徹底しなくてはならないから」
ぶつぶつと独り言を言いながら、リリアノは顎に手を当てて一気に頭の中に入ってきたアイデアをあれやこれやと掻き立てていく。
リリアノは商団の経営自体にさほど興味はなく、この仕事を担っていく上で一番の楽しみは『売れる新作』を頭の中で考えているときに他ならない。
「彫刻が施された蝋も、職人が必要になるわよね。でも職人を雇ってしまえばどうしても原価が上がってしまうから……」
「……」
「そうだ!職人一人を雇って、彫刻を他の人に教えればいいのよ!」
心底楽しそうにしているリリアノの姿を、エルティスは余すことなくただ愛おしそうに見つめている。
こうして彼女と二人きりの空間で、とくに警戒されることもなく穏やかに過ごせているこの瞬間に、エルティスは心から感謝した。
それと同時に、もっと、もっとという黒い欲望も渦巻きはじめる。
一刻も早くリリアノを自分だけのものにして、できることなら自分の城に閉じ込めておきたい、というのが最初の人生からずっと思い描いてきたエルティスの本音だった。
「(……いや、ダメだ。それを実行したことによって、二度目の人生でどうなった?)」
リリアノにも詳細は伝えられなかったほど、二度目の人生は最悪のものだった。
最初の人生でリリアノを失った記憶を鮮明に持ったまま二度目に突入したエルティスは、彼女のデビュタントの日に無理やり婚約者に仕立て上げ、そして城の中に閉じ込めた。
リリアノが大切にしていた家族も、商団も、すべて切り離し、身一つで監禁したのだった。
『エルティス殿下、どうか私を家に帰してください』
『殿下、もうおやめください……っ』
『いくら殿下と触れ合おうと、私は決して殿下のものにはなりません』
リリアノの体は手に入れた。
数えきれないほど彼女を愛し、尽くし、金と物には一切不自由をさせなかった。
それでも、彼女の心まで手にいれることはできなかった。
挙げ句の果てにリリアノは一瞬の隙を突いて城から逃げ出し、実家へ逃げ帰った。
けれどエルティスの婚約者として見染められた彼女に嫉妬した継母マーリンとミーシャは、病気の父と一緒にリリアノを家から追い出し、ハーヴィッド家の財産を全て奪われてしまう。
病に伏せる父と二人で各地を転々とし、リリアノは一生懸命に働いたが、それでも結局父は他界し、最後はリリアノ自身も静かに悲しみに暮れながら死にゆくのだった。
「(あの人生のだけは二の舞を演じてはならない)」
「殿下、どうかなさいましたか?お茶のおかわりをお持ちしましょうか?」
「あぁ、いや、大丈夫気にしないで?君のことをうっかり食べてしまわないよう、自分を戒めていたところだよ」
「……はい?」
「ところで、リリアノ?明日はなにか用事はあるの?」
エルティスは話題を逸らすように違う話を投げかける。
リリアノは一瞬、エルティスの“うっかり食べてしまわないよう”という言葉に反論しそうになりながらも、次の話題に備えた。
“明日”。
「はい、明日も一日商団の雑務が入っております」
「……そう」
「殿下も明日は隣国のフィスローナ王国の王女様が訪問されるのですよね?」
この国の隣に位置するフィスローナ王国は、アスタリス王国よりも栄えてはいないものの、緑多き大自然に囲まれ、数々の果物の名産地となっている。
そしてもっとも有名なのは、フィスローナ王国は妖精の加護を受けているということだった。
アスタリス王国の起源は、大地、太陽、水、木、命を司る五人の女神たちの力によって創られたとされており、どちらも偉大な加護を授かってできた国という点で近しいものがあるため、お互いの関係はとても良好なのだと新聞に綴られてあったことをリリアノは思い出した。
「僕の予定はどうして知っているの?」
「ふふっ。殿下のご予定は常に新聞に綴られております」
リリアノが王都に来るまで、エルティスを知る唯一のツールが新聞だった。
そのため、今では本人がすぐそばにいるというのに、エルティスの記事を読むことが習慣となっている。
「なるほど、新聞か」
「殿下は王国随一の有名なお方ですから」
「でもね、リリアノ──」
エルティスはリリアノの目の前までゆっくりと歩み寄る。
一歩、また一歩とエルティスが近づいてくるたび、リリアノは半歩ずつ後ろへ下がっていく。
「僕は今、君の目の前にいるのだし……記者が書いた文ではなく、僕に直接尋ねてほしいな」
「す、すみません!殿下の記事を読むことが日課となっておりまして!」
「……日課?」
「えぇ。領地にいたころ、エルティス殿下のことを知るには新聞以外の方法がなかったものですから」
「毎日、僕のことを知ろうとしてくれていたの?」
「殿下の功績や国民たちへの配慮や待遇に、すごく感銘を受けておりました」
リリアノにとって、新聞を読むことで経済を知ることが一番の目的だったが、それでも欠かさずエルティスの記事をチェックしていた。
幼い頃に会っていた人物だということのほかに、誰もが口を揃えて『完璧な王太子』『麗しの王太子殿下』と呼ぶエルティス本人に単純な興味があったのだ。
「……あれ、殿下?」
「ごめん、少しだけ待って」
にっこりと笑顔を浮かべてそう言ったリリアノに、エルティスは完全にノックアウトされてしまった。
両手で顔を隠し、その場にしゃがみ込んでどうにか込み上げてくる気持ちを押さえ込んだ。
「──あぁ、これだから君のことがこんなにも愛おしく思ってしまうんじゃないか」
「え?」
「同時に、他の男にもこんなふうに君の笑顔を晒しているのではないかと思うと……また世界を破滅させてやりたくなる」
「で、殿下?」
「ねぇ、リリアノ?これはただの提案なのだけど……」
エルティスはしゃがみ込んだまま、顔だけをリリアノのほうへ向けた。
リリアのを見上げた頬は赤く火照り、息づかいは荒く、少し潤んだコバルトブルーの瞳が上目遣いでリリアノを視界に捉えた。
「君、僕のお嫁さんにならない──?」
小高い丘の上にあるこの屋敷は、窓を開けると草木の匂いを含んだ心地よい風を運んでくる。太陽の日差しは程よく空調を整え、この執務室に流れる雰囲気は最高だった。
しかし、告白をするには最低なタイミングであった。
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