最後の竜は死んだ(後)

 俺たちには守るべきお姫様がいる。いつも風邪をひいてばかりだが、家の外に出れば父の畑仕事を手伝おうと無茶して、生き物ならなんでも触りたがる女の子。うん、野生児だな。


 母からは「彼女は大切な私の娘なのだからしっかりお守りしなさい」と俺も双子の兄であるロランも何度も何度も言われたものだ。物心ついたときから俺たち双子にとってティーネは可愛い妹という認識だった。それが一変したのは俺たちが十一、ティーネが十になったときだった。


──なんと、ティーネは皇帝陛下の御子であると母から知らされたのだった。そしてこれをティーネに決して伝えてはならないと固く約束させられた。ティーネは、自分は貰い子であると母から告げられたようだった。ティーネの本当の出生を教えるのは成人してからだそうだ。


 母はアスラ帝宮で侍女を務めていた人だった。有力な農家である実家を持っていた父と結婚し、ロランと俺を産んだ。ロランと俺が一歳を過ぎたとき、母に舞い込んできたのが皇帝陛下に誕生されたティーネ姫の乳母の話だった。乳母というものは基本的に貴族の娘が務めるものだったが、当時、子を産んだばかりの娘がいなかったのだ。そこで乳母に抜擢されたのが母だったそうだ。血族同士での婚姻を繰り返していた帝家は生まれてくる子が少なく、病弱な方が多かった。ティーネ姫も身体が弱かったが、無事に一歳のお誕生日を迎えられた。


 しかし問題はそれだけにとどまらなかった。アスラの豊かな魔石鉱山を狙った近隣諸国が連合を組み、侵攻してきたのだ。兵士が不足したことにより帝都の治安は悪化し、帝宮においてティーネ姫の暗殺未遂という決定的な事件が起こってしまった。これを危惧した皇帝陛下はティーネ姫を辺境で隠し育てさせることにしたのだ。これにまたもや白羽の矢が立ったのが乳母であった母だった。母は帝宮を辞して父の実家にてティーネ姫を預かり育てることになったのだ。


「ロラン、おまえは家に残ってティーネを守れ」


 十六になったとき、ついに俺たちへ徴兵の話が来た。ロランと俺とでどちらか必ずひとりは兵役に就かなければならなかった。


「何を言ってるんだ! おまえこそティーネのそばにいるべきだろう!? あんなにティーネはおまえに懐いているじゃないか!」


 ロランはティーネが俺のことを本気で好きになっているのを知っていた。ティーネもティーネだ。そんなもの決して叶わないというのに。


「だからこそだ。ティーネを傷つけたくない。あいつが俺たちと別れる日が必ずやってくると知ってしまったら哀れだ」


「おまえ、本当にそれでいいのかよ! 二度とティーネと会えないかもしれないんだぞ!?」


 ロランは血相を変えて俺をとがめた。


「それがティーネにとって一番幸せかもな」


 俺は半分冗談、半分本気で言ったのだった。結局ロランは折れて、俺が帝都へと赴くことになった。


「必ず帰ってくるんでしょうね?」


 この病弱なのを感じさせないほど気が強いお姫様はむすっとした顔で俺を見送るのだった。陰で散々泣いていたのだろう、目が赤く腫れぼったいのが丸わかりだった。


「俺がいなくてもロランがいるだろ。顔も背丈もほとんど変わらない」


「全然違う! ロランも好きだけれど、リュナンのことはもっと好きだから!」


 やめてくれ。余計に帰ってきづらくなるだろう。


「それじゃあな。元気にしてろよ」


「当たり前よ!」


 俺はティーネに背を向けて歩き出した。振り向くことはしなかった。


 俺はアスラ帝国を、しいてはティーネの帰るべき場所である帝家を守るために竜部隊へと自ら志願した。竜部隊の設立は帝国が編み出した苦肉の策だった。魔石を大量に消費し人間を竜という怪物に変貌させる。そして上空から魔法攻撃を行うという滅茶苦茶なものだった。竜部隊は各地で戦果を挙げ続けたが、敵の反撃も凄まじかった。最終的に、帝国は竜部隊へ各地の都市を無差別に攻撃するように命じた。それは大陸全土が焦土と化すほどの苛烈さだった。


 俺がロランからの文を受け取ったのは約一年後のことだった。その内容は、ティーネが風邪をひどくこじらせて亡くなった、というものだった。魔石は怪我や病気の治療には効果を発揮しない。


──ついに自分は何もできずティーネを死なせてしまった。


 その一文にはロランのやりきれない悔しさが滲み出ていた。帝家の末裔の命を預かっておきながら、何も助けることができなかった。文を焼くと、空へと白い煙が細く立ち昇っていった。


 魔法戦争が終結した三年後、ひそかに故郷の村へと飛び立った。ティーネは村の共同墓地に埋葬されたという。最期まで彼女は自らの出生を知ることはなかった。その夜は月明かりだけが美しかったのを覚えている。村の上空を飛行しながら、己には何ができただろうかと問い続けた。


──そして俺はとある馬鹿げた考えに取り憑かれた。


 竜となる者たちには戦争終結後に元の人間へと戻るための魔石が用意されていた。


「何百年、何千年が経とうと構わない。生まれ変わったティーネに会わせてくれ」


 俺は気がつけば、そう魔石に願っていた。魔石の塊はその願いを聞き届けたのか否か、粉々に砕け散って消失した。これが自分にとって最後に残された魔石であることは重々承知の上だった。


「……すまない、ロラン。母さん、父さん」


──竜の声は人間には届かない。それにこんな姿ではロランにも父母にも二度と会うことができない。俺はこの夜、ひとりの娘と会いたいという願いのために家族と永遠の別れを告げることになったのだった。


 ◇


 この春に息子が生まれた。時が経つのは早いもので、私も二十二になった。リュナンと私は正式に婚姻を結び、リュナンは王配となった。


「俺に王配が務まるとは思えない。きみと結婚なんてできない」


 当初、リュナンはこんなことをのたまったわけだが、私はこう反論した。


「この一五〇年間、何を見続けてきたの、あなたは?」


「…………」


「この国の歴史を見続けてきたあなた以外に王配となる適任がいると思うの? 私にもう一度、転生しろと言うつもり? ……覚悟しなさい!」


 一五〇年前、リュナンはアスラ帝国の末裔の姫だった私を、自身が竜から人間に戻るための魔石を使って転生させた。もしかすると、再び私と会いたいがためだけに竜でい続けることを選んだのかもしれない。


 ヨルーナ王家は後世への戒めとして魔石をひとつだけ王冠に残していた。その最後の魔石が、リュナンが人間へと戻るための役に立った。それが無かったら一体どうするつもりだったのだろう。本当に馬鹿な人。前世の両親の死に目にも会わなかった親不孝者だ。両親がリュナンを戦死したものだと思って悲しみのまま亡くなっていったのだと思うと胸が張り裂けそうだ。


 我が子には魔石の欠けた不恰好な王冠を引き継ぐことになるが、きっとこれも今までの全ての歴史として理解してくれるはずだ。自分の父親が竜だなんて知ったら、私の子だからきっと目を輝かせて聞いてくれるだろう。いや、私だけ伝説の竜に会ってずるい、と泣きじゃくるかもしれない。どちらの反応をするか今から楽しみだ。私は竜からこの国の成り立ちを聞いたわけだから、やはり竜から話していただこう。それはこの子にしかできない経験だろうから。


 二つ下の弟カイルはこの子の誕生をすごく喜んでいた。カイルは最初から王位になんて興味がなかった。彼の正体が判明したのは、リュナンが竜から人間に戻った後、初めて顔を合わせたときだった。カイルはリュナンの顔を見るなり突然号泣し始めたのだった。私の結婚が決まったことが嬉しいのか、それとも、義兄ができることがそんなに嬉しいのか、どちらなのだろうと思った。


──そのどちらでもなかった。


 そして泣いていたと思っていたカイルは、今度は大笑いし始めた。薄気味悪いと私が訝しみだしたとき、彼は自分の正体を明かし始めた。


──カイルは前世のもうひとりの兄ロランが転生した人物だったのだ。


 ロランは私がアスラ帝宮から預けられた際に持たされていた緊急時用の魔石を処分しようとした。ただ破壊するのももったいないと思って冗談半分に、「来世では兄妹三人で賑やかに面白おかしく暮らせたらいいな」などと呟いたそうだ。すると魔石が消失したらしい。その願いは無事叶ったというわけだ。


 とにかく三人が奇跡的な再会を果たしたことに、全員が大いに泣いて大いに笑った。この双子の兄たちは考えることまでが一緒で本当に面白い。

 

 ところで息子が国を継いだら、私たち夫婦とカイルは父さん母さんの暮らしていた村があった領地で余生を過ごそうと計画している。きっと楽しい第二の人生になるはずだ。


 ◇


 僕が父から王家の醜聞を聞かされてから十五年後のことだった。療養地で暮らしていた祖父リュナンが亡くなったと知らせが入った。


 祖父は建国王アルフと共に、竜の最後の力を使って全ての魔石鉱山を葬り過去のものにした。


 魔石の欠けた王冠はこの国の不退転の象徴なのだ。これを後世に残すのが僕の仕事だ。加えて、僕はこの醜聞を広く国民に公開しようとしており、国王である父も賛同してくれている。


 祖父は竜でなく人として死んだのだ。


──最後の竜はここに倒された。

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【短編】最後の竜は死んだ〜どうして前世農家の娘が女王に!?〜 花麒白 @Hanaki_Tsukumo

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