最後の竜は死んだ(中)

 父の喪が明けてから、私はこのヨルーナ王国の女王に即位することとなった。ついに戴冠式のとき、私はこの王家伝来の冠を目の当たりにする。金を打ち出して作られた質素な冠だが、中央の台座には一際目立つ貴石が嵌め込まれていた。


──それは、「魔石」の大きな結晶だった。


 約一五〇年前に起こった魔法戦争は、この石を巡った熾烈な争いだったということはヨルーナ国民の広く知るところだ。初代である建国王アルフは魔法戦争により焦土と化した大陸の跡地にヨルーナ王国の礎を築いた英雄だ。


 そして、約一五〇年前という時期は前世の私が亡くなった年代と一致する。偶然かどうかはわからないが、私はこの時代の一端を知る唯一の人間と言えるだろう。人間に限らない話なら竜神様がいらっしゃる。彼は少なくとも二〇〇年前から生きているらしい。この大陸にいつから存在する方なのかはわからないが。


──魔石とは何か。


 元々は辺境の農家の娘であった私の知る範囲だが、人間の願望を叶えるという魔力の籠もった貴石だ。魔石を使うことによって人間は昔、魔法を行使することができた。当然ながら魔石の鉱山を多く所有する国ほど他国との争いにおいて有利だったことは言うまでもないだろう。魔石を所有する国が所有しない国に高値で売りつけたことにより、経済格差が生じたのは自然なことだった。


 魔石鉱山を最も所有していた大国が今は滅びしアスラ帝国だった。アスラは魔石を収奪することを目的とした他国からの侵攻が増えていたことに悩んでいた。それまでは単純なエネルギー源として平和に利用されていた魔石も、戦乱が激化していくのに従って軍事転用されるようになっていったという。


「先祖代々の墓と新たに加わった父の御霊を守っていただきありがとうございます、竜神様」


 十八になった私は今日も竜神様のお住まいを訪ねていた。洞窟の中は薄暗く、やはり外からは奥の様子を窺い知れない。


「フェリシアか。お父上のことは残念だったな。急なことで大変だっただろう」


 竜神様の声には私を気遣う響きがあった。


「……いえ」


 私は一体どんな表情をしていたのだろう。


「今日は私が知るべきだったろう、この国の成り立ちを竜神様に詳しく教えていただきたく参りました」


「お父上からは何も聞かされていなかったか」


「父からは『おまえが十八になったら全てを伝えよう』と言われていたのですが、ついぞ私は何も知ることもなく父は逝ってしまいました」


 父が一体何を語ろうとしていたのかを知りたかった。竜神様ならきっと全ての真実を知っていらっしゃるだろうと一縷の望みに賭けてここに来たのだった。


「……知りたいか、全てを。そして全てを知れば元には戻れなくなるが、それでも構わないか?」


 この質問への返答はすでに私の中ではっきりと決まっていたものだった。


「むろんです!」


 私の張り上げた声が洞窟にくぐもって反響した。


「よし。俺が知る全てをきみに伝えよう」


 竜神様の声の調子がぐっと低くなった。私はその迫力に息を呑み込んだ。


「さて、何から話したものか。そうだな、この洞窟は一体何だったと思う?」


「え? この洞窟は天然のものではないのですか?」


 全く予想していなかった問いかけが来て困惑する。


「ここは人工的に掘って作られた場所だ。そして、ここを掘った人々がいた。ここは魔石鉱山の跡地だ」


「ここが……?」


「王家の墓守りの仕事というのは建前だ。本来、俺はこの鉱山跡を守護するのが役目だったというわけだ。とある人物から依頼されて、それをおよそ一五〇年前から続けている」


 竜神様は最後の竜。ご家族はとうの昔に亡くされているはずだ。竜神様は一五〇年もの間、一人ぼっちでずっとこの鉱山跡を守ってきたのか。


──孤高の存在である竜神様にそんな依頼をできる人物なんて、一人しか思いつかない。


「……建国王アルフ様」


「気づいたか。きみは聡いな」


 そしてつまり、竜神様は。


「アルフ様とお会いしたことがあるのですね?」


「いかにもそうだ。話が早くて助かる」


 そのとき、興味関心が己の内から泉のようにこんこんと湧き出して止まらないのを感じた。


「アルフ様はどのような方だったのですか?」


「真面目で優しく、とにかく欲のない人物だったよ。自然と周りに人が集まってくる、そんな人柄をしていた」


 竜神様は懐かしそうな柔らかい口調になっていた。しかし私が次の質問をしたとき、打って変わって竜神様のまとう雰囲気が硬質化したものになった。


「ヨルーナを建国なさる前は何をされていた方だったのですか?」


 特に他意のない質問だったのだが、竜神様は苦しそうにひとつ、溜め息をついた。


「……いよいよ核心を突いてきたな」


 そうして竜神様は淡々と、一息に告げた。


「彼はアスラ帝国の所有していた元鉱山奴隷だ」


「元、鉱山奴隷……?」


 私は足元から地面が全て崩落してしまったような衝撃を味わうことになった。


「建国王アルフ・ヨルーナ。彼はアスラ帝国によって魔石鉱山で働かされていた鉱奴の一族の出身だ」


「りゅ、竜神様……」


「そして俺も『竜神様』などと呼ばれるような崇高な存在でも何でもない」


 竜神様の声には凍てつくように冷徹な響きがあった。


「何も知らぬ私にもわかるように説明してください」


 私は努めて冷静を保とうとしたが、四肢の先端が冷たく、痺れていくのを抑えられなかった。


「ああ……そのつもりだ」


 竜神様は首をひとつ、縦に振った。


「まず、魔石は見ただけで人間を魅了し使いたくなってしまうという呪いのような力を放つ。大勢の人間が魔石を求め、奪い合った原因だな。しかし、アルフの一族は先天的なものなのか後天的なものなのか、今となってはわからないが、魔石の魅了に耐性があった。それゆえに魔石鉱山でひたすら魔石を採掘することに従事させられていたんだ」


「魔石の魅了に耐性があった……?」


「現にきみは俺と会話が通じているだろう? きみがアルフの末裔であることの真の証だ。俺の声は常人には意味を伴って聞こえない。魔石の呪いを帯びているからな。──魔石の効力を吸収し、無害化してしまう。それがアルフの一族の能力だったんだ」


「私にもその能力が受け継がれている、ということですか」


 王族だけが竜神様のお言葉を聞くことができる、というのは明白な理由があったからなのか。それも決して竜神様に選ばれた一族だからという抽象的なものではなく。


「その通りだ。……話を戻そう。魔石鉱山での労働は過酷なもので、毎日のように人死が出たという。そのような環境でもアルフはかろうじて生き残った。しかし皮肉にもそれがヨルーナ建国のきっかけとなったんだ」


「魔法戦争によってアスラ帝国も、アスラに侵攻した国の人々も、ことごとく死に絶えたからですね?」


「察しがいいな。むろん、魔石鉱山がどこにあるかということはアスラにとって一番の国家機密だった。外界から完全に遮断された状態の秘匿された場所で働かされていた彼らは、終戦したことにもすぐには気がつかなかったほどだ」


 アルフ様はたまたま魔法戦争の混乱の中で生き残った。たったそれだけの理由でヨルーナを建国したのか。そして、道理で自らの出身を隠すわけだ。魔石鉱山で働いていたと判明すれば、魔石を狙う人々に殺されてしまう。


「アルフは二度とこのような悲劇が起こらぬよう、魔石という負の遺物を全て破壊し、魔石鉱山も埋め戻して何もかもを葬り去った。──きみのお父上が語ろうとした話はこんなところだろう」


 これがヨルーナ王家に伝わる秘密か。知れば後には戻れないというのはまさに本当だった。そしてさらなる謎が残されている。


「先ほど竜神様はご自分のことを『崇高な存在でも何でもない』とおっしゃいましたよね。それは一体どういう意味ですか?」


「アスラは魔法戦争に勝利するため、魔石の軍事転用研究を盛んに行った。そしてアスラが犯した最大の罪……それが『竜部隊』の設立だった」


「……竜部隊?」


 もっと直接的な答えが来ると思っていたので、遠回しな言い方と、聞いたことのない単語に眉をひそめる。


「魔石の力で人間を竜に変えて殺戮兵器として運用する、と言ったらわかるだろうか」


「へ……?」


 頭が真っ白になって、言葉が出てこない。心臓が早鐘のように鼓動を鳴らしている。


「俺はその最後の生き残りだ」


 竜神様は顔を横に背けている。


「そ、そんな……竜神様は元人間、だったのですか」


 言葉が途切れ途切れになりながらも、ようやく話すことができた。


「皆、俺のことを『竜神様』と呼ぶが、あまりにもおこがましいことだ。ただの人殺しに」


 何という人生なのだろう。戦のために化け物になって人を殺せだなんて。


「他の竜……人たちもいたのですよね? どうして竜神様だけ生き残ったのですか?」


 すると、竜神様が顔を正面に戻して私の目を見つめた。


「……人を、待っている」


「人を?」


「俺がまだ人間だった頃、俺のことを好きだと言ってくれた人がいた」


「恋人がいらっしゃったんですね」


「いや、恋人には決してなることの許されない人だった」


「なることが許されない?」


「……ああ。身分違いの恋ってやつさ」


 竜神様は目を伏せて、表情の読み取れない顔なのに、どうしてか寂しげに微笑んだように見えた。


「ひとつ、お伺いしてもいいですか」


「なんだ?」


「その方のお名前は?」


「……ティーネという。ティーネ・エルシュ。……いや、違ったな。本当の名はティーネ・アスラだ」


──ああ、全ての納得がいった。


 本当にこの人は一五〇年もの間、ずっと待ち続けていたんだ。そして何をした結果、どれだけのものを失ってしまったかもわかってしまった。私はこの人の名前を知っている。忘れるわけがなかった。


「あなたって本当に馬鹿真面目な頑固者だわ。……リュナン」


 彼は目を丸くした。何呼吸かおいてからやっと返事をした。


「本当にそう思う。耳に痛い。……ティーネ」

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