【短編】最後の竜は死んだ〜どうして前世農家の娘が女王に!?〜

花麒白

最後の竜は死んだ(前)

 僕の祖父母である両陛下が退位されて辺境の療養地で暮らされることになった。お二人とも若者に戻ったかのようなまぶしい笑顔を浮かべて旅立っていった。信頼している一人息子の父に王位を譲ってご安心なさったのだろう。


 父は戴冠式を経て、正式にこのヨルーナ王国の新王となった。このときに僕は初めて王冠を目にすることになったのだ。そうして、感じたままのことを大人気もなく歯に衣着せず言ったものだ。


「僕の代になったらこのみすぼらしい王冠を溶かして作り直したいです。この国の絶対的な王権の象徴なのですから、もっと豪奢にすべきでしょう」


 王冠は古びていて幼児が絵に描いたような意匠の、はっきりと言ってひどい代物だった。そして何よりも気になる点があった。


「そもそもなぜ中央の台座に嵌まっているべき宝石がないのですか? ここに新たな石を嵌め込めば少しはましになります」


 少なくともこのときは正しいことを言ったつもりだった。しかし、父は首を横に振った。


「そう思うのももっともだろうが、そうはいかない理由があるんだよ」


 そう答えた父の表情は曖昧で、釈然としないものがあった。


「理由とは?」


 僕は納得がいかずに思わず口角を下げていたのだろう、父が苦笑した。


「次の王はおまえだ。この話を語るべきときがついに来たのだろうな」


 父は笑ませていた口元を引き結んで真剣な面持ちになった。


「何かお話があるのですか?」


「長くなる、まあ座りなさい」


 僕が父の執務室の長椅子に腰かけたのを見て、父は人払いをした。侍従が茶を淹れてから引き取っていった。

 

「これは王位を継ぐものだけが知るこの国の秘事だ。文で残すこともせず、口伝でのみ伝えられてきた醜聞だ」


「……醜聞?」


 緊張で声が上ずるのがわかった。若さゆえの満たされない好奇心が少しでも埋まることを期待して父の話に耳を傾けることにしたのだった。


 父は難儀そうに口を開いた。


「かつて竜神様がいらっしゃったのは知っているな?」


「何を唐突に。赤子以外なら誰しもが知っていることでしょう。実在した最後の竜の一頭、でしたよね?」


「……それは正解であって正解ではない」


 父は湯気を立てる茶を、音を立てず啜りながら宙の一点を見つめていた。


「一体、何が何やらわかりません。結局のところ竜神様はお亡くなりになり、竜は絶滅した」


 父は複雑な表情を浮かべたままぽつりと呟いた。


「先王陛下が竜神様を弑した……というべきなのだろうな」


「なんということを!」


 尊き竜を殺すとは決して許されないことだ。それを先王陛下は行ったというのか。


「人間の考えることなぞ、いつも薄汚いものだ」


 父は日光を雷雨の前の黒雲が遮ったように顔を曇らせた。


 ◇


 やはり健康な身体が一番だ。食べ物が美味しく感じるのがいい。ベッドの上で寝たきりというものは実につまらない。王宮の庭園の一角を借りて作った菜園で採れたて新鮮の野菜を生で齧った。少し侍女たちから悲鳴が聞こえる。


「うん、今年の出来もいいわ!」


 何とはなしに自らの力量に唸ってしまった。


 私──フェリシア・ヨルーナがこの城に生まれてから十六年が経った。


 十六という歳は私にとって特別な意味を持つ。


 私はこのヨルーナ王国の国王と王妃の天真爛漫な一人娘である。しかし、他人とは少し違うところがあるとしたら、「前世の記憶」というものがあるということだろうか。十六という若さで亡くなった、どこにでもいる農家の娘。それが前世の私だ。兎にも角にも、この歳まで無事に生きることができたことに感謝だ。しかし、なぜそんな記憶を持ったまま生まれてきたのかは全くわからないし、誰かに話したところで信じてもらえないだろう。私は私、姫は姫であると言われるのが筋だ。


 ただ、前世の記憶が私を突き動かすのか、作物を育てること、生き物に触れることは両親に反対されても断固として譲らなかった。菜園に出た虫を、飼っているニワトリにあげると喜んで食べてくれるのだ。鶏糞はとってもいい肥料になるし、何よりもヒヨコがたまらなく可愛い。卵も取れる。今朝のオムレツはこの大切なニワトリたちから頂戴して作ったものだ。


 しかしまあ、帝王学だのお作法だのを説かれても元百姓には難しすぎる。有力な貴族の顔と名前と出身と好きな物を覚えろって言われて、「はいそうですか」なんて素直に思えるわけないでしょう。姫に生まれたというだけでこんなにも苦労するものなのだ。でも姫に生まれて良かったと思ったこともたくさんある。健康な身体は言わずもがな、この国の誰だろうと夫にできるということ、そして何より、王家の人間だけが「竜神様」にお目通り叶うことだ。


 完全に一目惚れだった。もう、竜神様はかっこいい。竜神様とは、現代に生き残る最後の竜だ。昨年、父に連れられて初めて竜神様にお会いしたとき、あまりの神々しさに雷霆に撃たれたかのようになった。好きな生き物ともしも会話ができたら、と考える人は大勢いるだろう。私はその夢が叶っているのだ。


 竜神様は王家代々の陵墓を守護されている。王家のご先祖様たちの霊を鎮めるという名目で、私は竜神様にお会いしに来たのだった。


 鎮魂の儀式が滞りなく終わって、さっそく竜神様のお住まいである近隣の山へと足を踏み入れた。竜神様はいつもこの山の洞窟にひっそりと身を隠していらっしゃるのだ。


「竜神様、国王の娘であるフェリシアが今年も参りました」


 私は巨人の背丈ほどはありそうな高さがある洞窟の入り口の前に立って奥の暗がりへと声を発した。すると、闇を割って中から銀色の大きな塊が姿を現した。陽光を受けて鱗がキラキラと光っている。


「フェリシアか。確かきみとは昨年会ったな」


 竜神様は見上げるような大きさのそれは美しく立派な竜だった。


「また来年もこちらに伺いますね」


 王家の人間だけが竜神様と会話することができるのだ。これが竜神様に選ばれし者、つまり王族であることの証なのだと言われている。


 その晩はなぜか前世の夢を見た。前世の母は極めて美人というわけではないが、それでも美しく、優しかった。頑丈な人で、一つ違いの双子の兄たちを産んだのだった。元々は城で侍女を務めていたが辞めて、辺境にある前世の父の実家の農園で暮らすことになったそうだ。父の実家は広大な葡萄畑を所有し、葡萄酒の製造を行っていた地元の有力な農家だったらしい。「らしい」という表現を使うのは、私は病弱で、あまり父の仕事を手伝うことができなかったからだ。


 そして、十になったとき衝撃の事実を父と母から知らされた。私は父と母の娘ではなく、貰い子だったというのだ。幸いなことに、兄たちを産んだばかりの母はまだ乳が出たので、それで赤ん坊だった私を育ててくれたという。言うなれば、兄たちと私は乳兄妹というわけだ。


 父も母も兄たちもそれを承知の上で私を家族として大切に扱ってくれたのだった。やがて私が十五のとき、兄たちのうちひとりが戦争へと徴兵されて都へと旅立つことになった。そして彼と生きて再会することはついぞ叶わなかったのだ。


──私が一年後に風邪をこじらせてあっけなく命を落としてしまったから。


 ◇


 年が明けてからすぐ、国王である父が亡くなった。心臓の病によるあっという間の死だった。当然ながら遺言が残されることもなく、諸々の引き継ぎに苦労した。国葬も無事に済んだが、私は疲労困憊になってしまった。


 そんな忙しい日々を過ごしていたときにその事件は起こった。


──なんと、父のご落胤が現れたのだ。


 ご落胤は男児で、つまり私の腹違いの弟にあたる人だ。この時期においでなすったということは、王位の継承権を主張しにきたのか、莫大な遺産を要求しにきたのか、いずれにせよ面倒ごとには変わりないだろう。まずは冷静に事実かどうかを知らなければ。


「母上、彼は本当に父上の御子なのですか?」


 さっそく真相を知るだろう母に尋ねたのだった。


「そうですよ」


 母は意外にもほがらかな微笑みを浮かべていた。さすが王妃だ、何事にも慌てない立派なお方である。


「母上はこの事実を知った上で私に黙っていらっしゃったのですか?」


「あなたが成人したら話そうと思っていたのよ」


「一体どのような経緯だったのです?」


 母は全てを語ってくれた。母は当然ながら父の正妻だが、私を授かるまでに時間がかかり、かなり高齢での出産となった。次の御子はきっと望めないだろうと感じた母は、父に信頼できる母の侍女を側室とするよう提案したという。その侍女は若く健康だった。父は母に対して心苦しさを持ちながらもその通りにした。無事に御子は誕生した。健康な男児だった。それがご落胤の誕生した経緯だ。今年で十四歳になるという。


「ご落胤が今になって現れた目的は?」


 率直に聞きたいところだった。


「陛下の墓前に花をたむけに来たのですよ。急な出来事だったから死に目に会えることもなく哀れなことだわ」


 母の話を聞いてひとまず安心した。ここからお家騒動になるなんて迷惑極まりない。


 そしてご落胤と対面することになった。利発そうな印象を受ける少年というのが初めて会った感想だ。確かに父に面影が似ている気がする。


「お初にお目にかかります、フェリシア王女殿下。カイルと申します」


 カイル殿下は私に対して恐縮しているようだった。さすがに正妻の娘と話をするのは緊張するだろう。お気持ちを察する。こちらも別に敵意がないことを示さなければ。


「初めまして、カイル殿下。私のことはぜひ姉と思って遠慮はなしに接してください」


「では姉上とお呼びしてもよろしいでしょうか」


「もちろんです」


「私のことはカイルとお呼びください」


 少し頬を赤く染めて肩に力が入った様子で話すカイル殿下はまだあどけなさが残っていて可愛らしい。私に弟ができるとは思わなかった。まあつまり、彼は私の身に何かあったときの代理になるわけだ。仲良くするべきだろう。結果として私も慌てて結婚相手を決めて世継ぎをもうける必要性が少し薄れたということで、安心材料が生まれた。


「母としばらく王宮に滞在いたします。少しの間ですがよろしくお願いいたします」


「カイル、今はどこに住んでいらっしゃるの?」


「亡き陛下から賜った屋敷で暮らしております。王都から馬車で三日ほどの距離です」


 私もカイルの墓参りに同行した。彼は泣くことはなかった。私も彼の立場だったら泣かないと思う。父がカイルの存在を秘匿していたのは、私がこの歳まで健康体で育ったので、そのまま女王として後継ぎにしようと判断したからだったらしい。

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