幕間 シンシア・フィアレスの独白
兄が嫌いだった。
私には二人の兄がいる。
六つ歳の離れた兄と、双子の兄。嫌いだったのは後者だ。
双子の兄──ウィルフレッド・フィアレス。いつから彼のことを嫌っていたのか、今となっては自分でもよく覚えていない。
物心つく前は兄さんにべったりだったらしい。気がついた時にはすでに嫌いだったから、そうなったのは三歳とか四歳とか、多分そこらへん。
でも、嫌いだった理由は明確に覚えている。
端的に言ってしまえば、気味が悪かったのだ。
──いや待って、今のなし。さすがに兄さんが聞いたらかなり傷ついちゃいそう。あの人、顔には出さないけれど、結構繊細だから。もちろん、本人には言うつもりはこれっぽっちもない。
こほん。
言い方は悪かったけど、まあ間違ってはいない。
私には双子の兄が、本当の自分の兄だとは思えていなかったのだ。
*
兄さんはいつだって私の先を行っていた。
魔術も剣術も、その他の習い事も。
私は常々そんな兄さんと比べられていた。双子なのだから当たり前、と言ってしまえばそれまでだが、気持ちのいいものではない。
嫌いだった理由の、最初の方はこれが原因だったのだと思う。
今になって振り返ってみても、それは嫌いになるよね、と思ってしまう。
別に、「兄はできているのに、どうしてあなたはできないの!?」といったようなことは言われていない。「ウィルの真似をしてごらん」とか「ウィルにコツを教えてもらうといい」とかだ。
ウィル、ウィル、ウィル。
何かと兄さんの名前を挙げられていた。
多分、それを口にした人たちは私と兄さんを比較しているつもりなんてなかったのだろう。それでも、当時の私にとって、それは苦痛だった。
兄さんは私が嫌がるようなことは一切しなかった。それでも、私は兄が嫌いだったのだ。
私は兄さんへそっけない態度を取り続けた。
挨拶はほとんどせず、話しかけられても
私が嫌っていることを、兄さんは気がついていたはずだ。そのくらいわかりやすい態度を私はとっていた。それでも、兄さんは私との関わり合いを諦めようとはしなかった。私のことを気遣ってか、話しかける頻度こそ徐々に減っていったけど、会話がゼロになることはなかった。
この頃から、兄さんが自分と同じ年齢の子供だとは思えなくなってきていた。
だって、兄さんは私がどんな態度をとっても怒ることがなかったから。アンリ姉はもちろん、エル兄だって怒りそうな態度で兄さんに接しても、困ったような笑みを浮かべているだけだった。
その笑顔には見覚えがあった。私がわがままを言った時の、お父さんが浮かべる表情と一緒だった。
そんな私の感覚を、決定づける出来事があった。
*
ある日、いつものように兄さんとの魔術の模擬戦をすることになり、いつものようにエル兄が立会人を買って出てくれた。
いつも通りでなかったのは、結界を張る魔道具を屋敷の中に忘れてきていたことだ。
魔術の模擬戦をする際に使用するこの魔道具は、内部からの魔術を初級までは防ぐことができ、さらに結界内で負傷した者を即座に回復するという優れものだ。中級以上の魔術での傷は回復が間に合わないけれど、私と兄さんが模擬戦で使うのは初級魔術なので、この結界の治癒で事足りる。
エル兄が魔道具を取りに行っている間、兄さんは杖の整備でもしているのか、こちらに背を向けていた。
その時私に沸き上がった感情は、よく覚えていない。
多分、普段まったく取り乱すことも、慌てることもない兄さんの焦った顔が見たいとか、そんな子供じみた理由だったはず。
ともかく、私はこっそりと兄さんの方に杖を向け、
もちろん、当てるつもりはこれっぽっちもなかった。ちょっと横にずれたところに撃って、兄さんを慌てさせる。ただ、それだけ。兄さんが動いたら当たってしまう、なんてことは考えもしなかった。
でも、当時の私は未熟だった。
兄さんに気づかれないようにと、無詠唱で発動した
まずいと思った時にはもう遅かった。私の制御を外れた魔術は、兄さんに向かって真っすぐ飛んでいく。
「──っ、兄さ──」
私の声に反応したのか、
でもだめ、この距離じゃもう……!
ボン、と爆ぜる音がした。
いったい何が起こったのか。その時の私は気が動転していて思い至ることができなかったけど、後になってわかった。
私が放った
兄さんの放った
それをあの一瞬でやってのけたのだ。制御を失った魔術に対して、同等の魔術をぶつける。それも、無詠唱で。
やっぱり、兄さんは天才だ。
ああ、そうじゃなくて。
そのあと私は──。
兄さんは無事だった。
その安心感から、思わず座り込んでしまった。
兄さんに何か言わなきゃ。それはわかっているけど、何を言えばいいの……?
「大きな音が聞こえたけど、どうしたの!?」
私が何も言えずにいると、音を聞きつけたエル兄が帰ってきた。
「実は……」
黙ったままの私を見ると、兄さんはエル兄に説明を始めた。
怒られる、そう思ったけど、そうはならなかった。
「杖の整備をしていたら魔術が暴発してしまいまして……。僕もシンシアも特に怪我はないのですが」
「……なるほど。二人が無事ならいいのだけど、魔力の扱いにはよく注意を払うこと。先生から聞いているとは思うけど、魔術の鍛錬中に怪我を負う人は少なくないからね」
「はい、以後気をつけます」
どうして、と思った。
兄さんは悪くないのに。私が全部悪いのに。
「あ、の……、に、兄さん?」
謝らなきゃ。
悪いのは私で、エル兄に怒られるのも私のはずなのに。
「なんだい?」
たどたどしく声をかけた私に、兄さんが浮かべた表情は見慣れたものだった。
困ったような笑い顔。
そこに、私に対する怒りは一切なかった。その笑顔に、いったいどういった感情が含まれていたのか、正直今となってもわからない。
謝罪の言葉は、どこかへ消えてしまった。
そして、こう思ってしまった。
ああ。
この人は私とは違う。
もちろん、わかってる。
このエピソードでの兄さんの落ち度はゼロだ。
徹頭徹尾私が悪く、兄さんは被害者だ。
でも、あの時、兄さんの笑顔を見た私は、彼のことがわからなくなった。
何を考えて、何を思っているのか。
これまでもわからなかったけど、わかっていることもあった。彼は私の兄だ。双子の兄だ。
その感覚が、私と兄さんを繋いでいた唯一の糸が、切れたような。私があの時感じたのはそのようなものだった。
……なんだかこう振り返ってみると、私、兄さんのこと大嫌いだったみたい。
ううん。
正確には嫌いって感情じゃない気がするけど、どうなんだろう?
エル兄とアンリ姉はどうだったのだろう。二人は双子ではないけど、比べられることは多かったはずだ。
それはさておき。
もう一つ、私の兄さんに対する考えが変わる出来事があった。
*
魔物狩り。
あれは確か八歳とか、そのくらいの時だったと思う。
アンリ姉に誘われて、兄さんとイライザさんと一緒に森へ魔物を討伐しに行った。
途中までは順調だった。初めての実戦ということで、私はもちろん、兄さんも緊張気味だったと思うけど、上手く立ち回れていたと思う。
想定外の事態が起きたのは、帰り際だった。
遭難している子供の兄弟を見つけた際に、
何とか
当時の私は知る由もないが、Cランクの魔物で、熟練の冒険者でもたやすくはない相手。
私はアンリ姉が吹き飛ばされたのを見て、諦めてしまった。この相手には勝てない、と。
兄さんは私の手を引いて逃げ、追いつかれそうになると私をかばいながら
でも、やっぱり勝てなくて。
兄さんはボロボロになりながら、それでも私に問いかけた。
一人で逃げられるか、と。
その瞬間、私の中で何かが氷解した。
わからない、と思っていたことがわかった。全部ではなくて、ほんの一部だけ。でも、それだけで十分。
簡単なことだった。単純なことだった。
兄さんは私を、妹を大切に想ってくれている。守ろうとしてくれている。
何を考えているのかわからなくても、私とはどこか根本的に違う人間だとしても。
それでも。
ウィルフレッド・フィアレスはシンシア・フィアレスの兄なのだと。私たちは兄妹なのだと。
すとんと、腑に落ちた。そうなってしまえば、覚悟が決まるのに時間はかからなかった。
兄が頑張ったのだ。次は妹の番。
自然と杖を握って、
……結局、アンリ姉が倒しちゃったけど。
魔物狩りのあと、イライザさんに回復系統魔術を教えてほしいとお願いした。
私をかばってボロボロになった兄さんに、何もできなかった自分が歯がゆかったから。幸いにも、私には回復魔術の才能があったらしく、上達は早かった。
気がつけば、兄さんのことを
でも、急に態度を変えるのはなんだか気恥ずかしくて、そっけない対応をとり続けていた。
レスペデーザ家へ向かったあの日以来、兄さんとは会えていない。
今でも、見送りをしなかったことを後悔している。見送ったからといって、何かが変わったわけではないのだろうけど、それでも。
だから、いつになるかわからないけど、次に兄さんと会う時にはちゃんとしようと思う。
見送りはできなかったけど、出迎えならまだ間に合う。
兄を尊敬する、妹として。
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喪失転生 山崎諏佐 @susayamasaki
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