ジョエルの父親Ⅲ
「良かった! 良かった……」
コレットちゃんとその家族がある日、コレットちゃんの婚約者ということでロランという青年を連れてきた。パッと見ではあるがそのロラン君は礼儀正しい好青年のようで、コレットちゃんとその家族とも仲良くやれているように見えた。
その様を見て、妻はボロボロと嬉し涙を零した。まあ、見せてくれたらいいなぁと思っていた姿を見せてくれたので、残された願いの一つを叶えてくれたからだ。
と、そんなことをああだこうだ考えていた私自身も嬉しい。その横で妻は語った。
「コレットちゃん、貴女への手紙でも貴女の幸せを願っているといったことをあの子は書いたでしょう?」
「あ、ああ……ありましたね」
「だから私達もね、コレットちゃんが幸せになる姿を見届けておきたいと思っていたの。もしかしたら私達の義娘になったかもしれない子だもの。幸せを願わない訳がないわ。でも、でも……」
嗚呼、このリゴンで見ておきたいものは全て見てしまった。
満足とも、虚しさとも違うような感覚でありながら、漠然とそう思った。それは私も、そして妻も同じだった。
妻はそれを言葉にした。
「でも、もうお仕舞い。コレットちゃんは幸せになれそうだし、私達ももうこのリゴンの街に思い残したことはないわ」
「それで、お二人はこれからどうされるおつもりですか?」
これまで黙っていたロラン君が、食い気味にそう訊いてきた。その目は私達の考えを少し察しているようだった。どうしようとしているか、察しているようだった。
まあ、秘密ではないのだけれど。と言うことで、妻もあっさりと答える。
「私達も引っ越すわ、あの子に近い場所にね。あんな子でも私達にとっては大切な息子ですもの。こんな街で想い出を穢されるくらいならば、知らない街であっても少しでもあの子の近くにいたいもの」
「ジョ、ジョエルから連絡があったの!?」
コレットちゃんは驚いた表情でそう訊いてきた。そのように捉えるか。捉えるだろうな。違うけれど。
そうであればいいな。そうなってくれれば良かったのにな。私達はそこに寂しさと、遠くに置いてきた悲しさを思い出していた。
その中で妻は静かに首を横に振る。
「いいえ。いいえ」
来る訳がない。来る訳がないのだ。
声にしてはいけない言葉を飲み込みながら、私達は俯き、ただ首を横に振った。そんな私達にコレットちゃん達はそれ以上の追及をしてこなかった。気を遣ってくれたのだろう。
「そ、そう……」
「では、あまり長くお邪魔してもよろしくないので、そろそろ失礼しようか」
コレットちゃんの父親がそう言い、場をお開きにした。そして無言で立ち上がり、帰る支度をし始めた。コレットちゃんには少し迷いがあったようだが、結局はそれに従った。
それから数分経ち、コレットちゃんは振り切ったかのように言った。
「では、私達は行きます。さようなら」
無理にでも笑顔を浮かべたコレットちゃんに、私達も無理をして笑顔を浮かべた。これまでのたくさんの思い出を思えば、笑顔以外でのお別れとなってしまうのは悲し過ぎたからだ。
それ故、コレットちゃんへ最後に言った言葉は完全なる本心だった。
「ええ、さようなら。幸せになってね」
「はい!」
最後にコレットちゃんが見せてくれた笑顔はきっと、無理のないものだった。そう思わせてくれるものだった。
私達はコレットちゃんとその家族を笑顔で見送った。コレットちゃん達には良い思い出ばかりで、思う所はない。あるのはこのリゴンの住人達に対してだけだ。
ただ、それもまた終わる。コレットちゃんが就職し、新しい婚約者を見付けるまでの間に、我々はツイードとの激戦地だった場所へ行くツテを見付けていた。この家は売り払い、そちらへ居を移す。
「それでは、私達も行きましょうか」
「ああ」
逸る妻の言葉通り、私達はツイードへ旅立つ。その妻の懐には、終戦直前にジョエルが私達へ最後に送った手紙がずっとずっと大切に秘められていた。
その手紙にはこう書いてあった。
父さん、母さん
元気にしていますか? そろそろこの戦争も終わる見込みだと上官から聞きました。この手紙が届く頃にはきっと、戦争は終わっているのでしょう。父さん、母さん、そしてその周りが無事であればこの上ない幸せです。
しかしながら、僕はそこへ帰ることが叶いません。ツイードとの戦闘により利き腕である右腕を失い、足腰をボロボロに砕かれ、内臓もいくつも潰れてしまい、僕は間違いなく戦争が終わる前に死にます。先立つ不幸、申し訳ありません。
さて、僕にはリゴンに婚約者であるコレットを残しております。彼女にはツイードに新しい女性と恋仲になったから婚約破棄してほしい、といった偽りの手紙を送りました。親不孝を重ねて申し訳ないですが、その茶番にお付き合いお願いします。
コレットは気持ちの切り替えがあまり上手くありません。その上で思い込みが強い傾向があります。僕が戦死したと知ると、一生をかけて慰霊を弔うなんてことを言い出しかねません。
それはいけない。彼女は若く、未来がある。僕という過去に囚われることなく、新しい未来を歩んで幸せになってほしいのです。その為、僕は彼女にとってとてつもなく愚かで、不誠実なクズであろうと思います。そうすれば、僕のことなど意図的に忘れてくれるのではと愚考しました。
僕が残した貯金、遺産の半分は父さんと母さんに、もう半分はコレットへ慰謝料とでも言って渡して頂けないでしょうか。彼女の夫になろうとした僕に、最後の尽力をさせてもらえるとこの上の無い喜びです。
最後に父さんと母さん、これまで僕を育ててくれてありがとうございました。貴方達の子供に生まれ育ち、僕はとてつもなく幸せでした。これからのご健勝を天から見守っています。さようなら。
ジョエル
愛しかった婚約者にさようならを 橘塞人 @soxt
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