ジョエルの父親Ⅱ

 ジョエルとコレットちゃんの婚約がなくなって時間が経つにつれ、リゴンの人達の我々夫婦に対する当たりが厳しくなっていった。二人の婚約についての話が広まっていったのだろう。

 一昨日は八百屋にて、妻が店主夫妻に無視された。昨日は我々を遠目で見ながらヒソヒソ噂話をされた。このリゴンで私達夫婦の居場所は少しずつ、だが確実になくなっていっていた。

 そしてとうとう、我々の家の塀に、家の壁に、落書きする輩まで現れた。

 売国奴!

 裏切り者一家!

 地獄に堕ちろ!

 ラフランの恥晒し!

 ああ、今何か落書きしていったのはパン屋の女将か。旦那が戦死したらしいので、何かにあたりたくなる気持ちも分からなくはないが……


「あの子のこと、何も分かってないくせに!」

「ああ、その通りだ」


 嘆く妻の言葉に、私は強く頷いた。あの女将に限らず、落書きした馬鹿共は何も分かっていない。

 例えジョエルがコレットちゃんへ送った手紙が正なのだとしても、ジョエルがしたのはツイードの女性と結婚しただけであって、母国を裏切ってラフランへ攻撃した訳ではない。ラフランに、リゴンに、何も傷をつけてはいない。つけたのはコレットちゃんだけだ。

 それ故に、例えジョエルがコレットちゃんへ送った手紙が正なのだとしても、その行為を責めることが出来るのはコレットちゃんと彼女の家族だけである。事実、ジョエルはコレットちゃんとの約束を違え、帰ってこない。


「何なの、あの馬鹿な人達は」

「ああ、その通りだ。酷いな、行動だけでなく頭の中身が」


 私はまた、妻の言葉に強く頷いた。世の中は馬鹿ばかりである。いつぞやそんな言葉を吐いた若人を、その時は苦々しく思ったものだが、今ではあの時の若人に共感までしてしまっている。嗚呼、世の中は馬鹿ばかりだ。

 ただ、そんな馬鹿共へ私達が出来ることはなかった。それが100%正論であっても、紛うことなき正義であっても、聞く耳を持たぬからこそ馬鹿は馬鹿なのだと知っていたからだ。

 そう思った私の横で、妻はボソリと言った。


「そう言えばあの女将、10年ちょっと前に店の前を通りかかったあの子に誤って水をかけちゃったんだけど、謝りもせずにそんな所を通ったお前が悪いと怒鳴ったことがあったわ。それ以来、そう言えばあの店に行くのをやめたんだわ。私が水をかけられても、何されても、そんな店に行った私が悪いってことなんでしょうし」

「まあ、その程度の人間なんだということで、気にしないようにしておこう」

「そうね」


 ただ、この一件で私も妻もこのリゴンという街に対する思い入れを確実に無くしていた。敢えて何かあるかと言われれば、せいぜいコレットちゃんが幸せになった姿を見ておきたいというものだけだった。

 とは言え、最後にあったあの様子ならば彼女は元気に幸せな姿をいずれ見せてくれるだろう。その間に私達は生活を再建するのと並行して、情報収集を始めた。知りたいのは戦場でのジョエルについて、ジョエルがいたその戦場。そして、学びたいのはツイード語だ。

 私達は過去に囚われながらも未来へ進んでいた。落書きをするような馬鹿共の相手をする暇などなかった。

 そうしてしばらくの時が流れた。

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